BUDDY 13
「君がそう言うのならば、いいことなのだろうな」
ふ、と穏やかな笑みを浮かべたアーチャーに、凛は思わず鼓動を跳ねさせた。
(こいつ……、こんな表情《かお》するんだ……)
急に黙った凛に、アーチャーは訝しそうに首を傾げている。
「いってらっしゃい。遅くなるんでしょ? 楽しんできてね」
見惚れたのを誤魔化して、凛はクッションを再度抱きしめ、アクビを噛み殺した。
「戻らないかもしれないが、心配するな。夕食と明日の朝食も念のために用意はしているからな」
「戻らなっ? ……あー、そう……、外泊予定ってことね……」
「聖杯の件で何かあれば、呼び出してくれてかまわない」
絶対イヤよ、とは口にせず、手を振った凛はアーチャーのどこかズレた感覚に苦笑うしかなかった。
***
遠坂邸から霊体で出発したアーチャーは、新都へ向かって家々の屋根を跳び伝う。ほどなく赤い橋が見え、少し速度を落とした。
(駅前での待ち合わせは、時間通りでよさそうだな)
少し早めの昼食を遠坂邸でとった士郎は、それからすぐに出発している。アーチャーが凛の夕食と翌日の朝食を用意している間に出かけたのを確認済みだ。
霊体化のできない士郎は、おそらく歩いて新都まで行くことだろう。そのタイムラグを計算し、アーチャーは先に士郎を遠坂邸から出させたのだ。
わざわざ駅前に集合などと言わず、家から一緒に歩いて行けばいい、という士郎の意見は却下だった。
何しろこれは、デートである。
デートとは、出かける前からはじまっているもので、待ち合わせをし、少し時間のズレが生じ、連絡手段のない二人がヤキモキするのが定石だ。
……というのはアーチャーの幻想である。夢を見過ぎである。いつの少女漫画だと突っ込まれても仕方がないのである。
そんなアーチャーの目論見はともかく、デートの誘いはどうにかなった。次は待ち合わせでのタイミングだ。
(士郎が先に着いているのがいいだろう)
先に出発した手前、士郎が少し待つ方がいいと考え、アーチャーは新都へと繋がる赤い橋のたもとで霊体を解き、ここから駅前まで歩いて向かうことにした。
時間的には余裕があり、少々遅れてもいいくらいの気持ちで歩を進めていたのだが、どうにも気が逸ってしまう。柄にもなく緊張しているのもあるが、楽しみにしていたという気持ちの方が大きい。
(士郎と出かけるなど、いつぶりだろうか?)
聖杯戦争中の行動を除いては、士郎の生前にまで遡らなければならないだろう。本当に久しぶりすぎて、どんな会話をすればいいのかすらわからない。
(いや、会話などなんでもいい。近況も好みも知り尽くしているのだ。目についたことを意味もなく話すだけで……)
そんな会話ができるだろうか、とアーチャーは心配になる。士郎の生前も死後も、そんな意味のない会話などした記憶がないのだ。
(い、今になって尻込みしてどうする! もう後には引けないのだぞ、オレ!)
手汗を握りしめながら歩く速度は速くなり、気づけば待ち合わせ場所の駅前に着いていた。
早すぎたか、と駅前にある時計に目を遣れば、ちょうど一時半を少し過ぎた頃合いだ。
「アーチャー」
士郎はどこかと探す前に呼ばれて振り向くと、片手を上げて歩み寄って来る。
「待たせたか?」
「いや、俺もさっき着いたところだ」
何気なく、デートっぽい言葉のやり取りに何やら感動しつつ、いつもとはどことなく雰囲気が違う士郎に気づいた。
「どうかしたか?」
「ああ、いや……、そんな服を、持っていたのかと」
「あ、これ? 遠坂に渡されて、着ていけって命令されて……。どこか変か?」
自身の格好を眺めながら訊く士郎に、
「いや。よく似合っている」
思わず本音が漏れてしまう。
「っば、バカ! なに言ってんだ!」
顔を赤くして声を荒げる士郎に、アーチャーの頬は緩む。
(ああ、デートっぽい……)
そんな感慨を覚えた。
昼食は済ませていたので、まずは映画だ、と、脳内でのプラン通りにアーチャーは士郎を伴って歩き出す。
映画館の入り口で、上映中の作品を眺め、ここはやはり話題の恋愛映画……は、男二人で観るにはハードルが高いため、アクション映画を選んだ。
この映画館でアーチャーは、一つのミッションをクリアしなければならない。ポップコーンと飲み物を買い、座席に着き、ミッションクリアのために、何度も頭の中でシミュレーションをする。
“映画がはじまった暗がりの中、その終盤あたりを目指して、映画の盛り上がりとともに手を握る”
それが、映画館内でのミッションだ。タイミングは、早すぎても遅すぎてもいけない。ポップコーンを間に置けば、自然と互いの外側にあるカップホルダーに飲み物を置く。士郎の右手とアーチャーの左手は常にフリーの状態に保たれている。
(これなら、容易い)
チラリと士郎の手の位置を確認して、映画のパンフレットをパラパラとめくる士郎を垣間見る。いつものTシャツとジーンズというラフなものではなく、他所行きのTシャツの上に薄手のシャツを羽織り、チノパンをはいている。
紛争地にいた頃の軍人のような格好が板についていた士郎が、こういう服装も似合うのだと初めて気づいた。
いかにアーチャーが士郎を“そういう目”で見ていなかったか、ということに気づかされる。
相棒《バディ》だと思っていた。
そう思い込んで、他の見方をしなかった。士郎がどんな気持ちでいるのかを知ることも、また、知ろうとすることもなかった。
「あ、これ、見るか?」
アーチャーの視線に気づいたのか、士郎はパンフレットを渡してくる。
「あ、ああ」
ずいぶん不躾に見つめてしまったことに今頃気づき、少し気まずくて、素直にパンフレットを受け取ってしまった。特に興味も湧かないまま、適当にパンフレットをめくる。
「アーチャー、他に見たい映画、あったんじゃないのか?」
不意に訊かれて、目を向けた。
「……いや」
「そうか? なんか、迷ってたみたいだし、なんならもう一本見ても——」
「い、いや、これが見たかったのだ」
「そ、そっか。なら、いいんだ」
パンフレットに視線を戻し、アーチャーはホッと息を吐く。もう一本映画を見るなど、この後の予定に差し支える。
(この映画が、三時間近くか。やはりもう一本は無理だ)
そんなことを考えている間に館内が暗転し、映画がはじまった。
「やー、結構、観ごたえあったなー」
「ああ。三時間もあるとは思えない展開だった」
「確かに!」
映画の感想を興奮気味に話す士郎と映画館を出て、アーチャーははたと思い至る。
(しまった!)
陽の傾きはじめた駅前で、アーチャーは自身の失態に打ちのめされた。
「アーチャー? どうかしたか?」
「い、いや……、何も……」
アーチャーはすっかり忘れていた。思いの外、映画の面白さにのめり込み、士郎の手を握ることなどすっかり忘れてしまっていた。
(不覚……)
できることなら時間を巻き戻してもらいたいと、心の底から願いそうになる。
額に手を当てたまま何も言えないアーチャーを不思議そうに士郎は見上げた。
「あ、ああ、すまない」