天空天河 一
何事も無かったように、すたすたと藺晨の所に歩んで行き、藺晨の側に座ると、七弦を弾く藺晨の背に凭(もた)れ、心地良さげに音色に身を任せた。
こんなに穏やかで素直な飛流も、滅多に無い。
飛流も別れを察しているのだ。
飛流は嘗て、藺晨の望むままに、飛流自身がこの童子の姿に変えた。
白い者の何かを得て、大きくなったのだろうか。
飛流は琥燁玉の中に封じられた『魔』だったのだ。
だが悪さをして、害を成せぬように、封じ込められた『魔』では無く、善悪も何も知らぬ生まれたばかりの小さな『魔』の様な、、。
ただ、属性が『魔』の物だったのだ。
至宝を求めて、この石柱の岩屋に、誰が来ようと、飛流を渡すつもりなどは、微塵も無かった。
藺晨には、飛流への情も湧いていたのだ。
《まさか飛流が、奴を選ぼうとは、、、。》
染み一つ無い琥燁玉は美しく、あれだけでも価値のある玉だったが。
『至宝』なぞとは誰が言ったものやら、出鱈目で、とんだ中身だった。
ただ飛流は、何かの力を持つのは確かで、飛流と互いに『承允(契約)』をせねば、飛流の力は得られぬのだ。
飛流に協力させる代わりに、自分も何かを飛流に渡す。己では渡すものを選べない。飛流に取られると、言った方が正しかろう。
《奴は一体、何を奪われたのか。》
百数十年、共に暮らしたが、藺晨は頑なに飛流との承允を、拒絶し続けてきたのた。
主でも従でも無く、対等だった。
藺晨にとっては、もはや飛流は、弟の様な存在だった。
「飛流、奴は間もなく、目覚めるのか?。」
藺晨が聞くと、飛流が背中越しに頷くのが分かった。
「、、、そうか。」
藺晨は七弦を弾き続けた。
そろそろ夕暮れになろうという頃、飛流が立ち上がり、繭に近寄った。
飛流が繭に手を当てると、繭が二つに割れた。
繭の中は、光も差し込まぬ、漆黒の闇だった。
飛流が繭の裂け目を広げると、中から一人の男が、ゆっくりと立ち上がる。
長い黒髪を揺らし、俯き、表情は黒髪に隠れて見えない。
近付いた飛流と視線を交わし、男は飛流の腕の中に、崩れる様に倒れ込んだ。