天空天河 二
──忠義者がいて、景琰は幸せだ。──
長蘇は、戦英の思考か手に取るように分かり、何だが嬉しくなって、独りでに口元が綻んだ。
それを見て、戦英の顔は更に引き攣る。どんどん心配事が増える様だった。
──クス。──
「来たか。」
靖王が、遥か向こうの書房の前で、二人に声を掛けた。
待ちきれずに、部屋の前に出ていたのだ。
「これは靖王殿下。」
長蘇が拱手する。
靖王が長蘇を、書房に迎え入れ、案内した戦英は去った。
靖王が長蘇に言った。
「良い酒を贈られ、皆喜んでいる。
礼を言う。」
「助けて頂いたのです。当然の事。」
長蘇はそう答えて、手元の包みを、靖王に差し出した。
「靖王殿下にはこちらを。
どうぞお納め下さい。」
「私にまでか。あれしきの事で、気を使わせるな。」
靖王は受け取り、包みを開いた。
袋を開けて、竹簡を読み始める。
靖王の顔は厳しい表情に変わる。
──そら、思い通りだ。私を訝っている。
だが、説明はちゃんと用意している。
景琰を説き伏せるのだ。──
『これは一体何だ!』という顔をして、靖王が長蘇を睨みつける。
──ふふふ、、、。そう来なくては。──
所が靖王は、その直後、にこりと微笑み。
「貴重な書簡だ、ありがたい。遠慮なく頂くとしよう。」
「は?。」
思いもかけない靖王の言葉に、つい聞き返してしまう。
「ん?、この書簡、私にくれるのではないのか?。」
「、、ぁッ、、いえ、、そう言う意味では、、。
気に入って頂けた様で、贈り甲斐があります。」
長蘇は大急ぎで拱手し礼をした。
靖王は長蘇に席を勧め、自分も差し向かえで座った。
━━クス、、、。
慌てているな。━━
靖王は笑いを堪えるのに必死だ。
笑いを噛み殺しながら、茶など入れ始めた。
──妙だ、、、。景琰、何故笑う。
嘗ての景琰ならば、激怒して、竹簡を私に向けて、叩き付けてもいい場面なのに、、。
、、、人間が丸くなった???。
、、、、、、目の前のこの男、本当に景琰なのか?。
、、、つか、お前、、辺境平定の折、何処かで、頭、打ったか?。──
長蘇はそんな事を、悶々と考えていた。
靖王は入れた茶を、長蘇に勧め。
「どうした?、何か不満が?。」
驚き顔の長蘇に、空(す)かさず、靖王が尋ねる。
━━、、、何だかちょっと楽しい、、。━━
靖王はとうに戦英から、蘇哲が梅長蘇である事を聞いていた。そして梅長蘇が、困るのを楽しんでいたのだ。
━━辺境や皇宮で、散々揉まれる事が多いと、肝心の事なぞ、どうでも良くなるから不思議だ。━━
余裕の靖王だった。
「不満など、滅相も無い。
靖王府に伺うのは初めてなので、少々緊張しているのです。、、殿下の気のせいですよ。」
「そうか、気のせいか。」
━━靖王府が初めてと?。
ならば私の予想は外れているのか?。
私は、この者の正体を確信しているのだが、、。
、、間違いは無いはずだと、、違うのか?。
、、、、、、いやいやいや待て待て待て、、、
アイツは嘘つきだった。
嘘には仕方ない事も多かったが、、あいつはしれっと約束を破ったり、平気な顔で嘯(うそぶ)くのだ。━━
気を取り直して、靖王は話す。
「まぁ良い。
今日は贈り物をしに来ただけでは無いのだろう?。
、、江左盟の宗主、梅長蘇殿。」
「ふふふ、、ご存知でしたか。流石は靖王殿下。」
「本題に入ろうではないか。梅宗主。」
「はい。」
長蘇は返事をすると、にやりとし、深々と拱手した。
長蘇は背を正して、真っ直ぐに靖王を見て、話す。
「靖王殿下、皇帝になる気はお有りで?。」
「むっ、、、。」
長蘇の問いに、靖王は眉を顰める。
「靖王殿下は、皇太子や誉王が、この大梁の皇帝になっても、良いとお考えで?。」
長蘇の質問に、靖王の眉間が険しくなる。
「当然反対だ。あの二人が皇帝になぞ、、。
今でさえ、民の生活になぞ無関心で、二人共、搾取に明け暮れている。
どちらが皇帝になっても、梁が潰れてしまうぞ。
民はどうなるのだ。」
「、、。」
長蘇はにやりと笑う。
茶をぐいと一飲みして、靖王は言う。
「あの二人を、権力から遠ざけるのなら、何でもしよう。
私が皇帝などという話には、乗れぬがな。
梅宗主に、方策は有るのだろう?。私は何をすれば良いのだ?。」
「は?、、殿下?、、。私を疑わずに、話に乗ると?。」
「ん?、その為にここに来たのだろう?。何か問題でも?。」
真顔で聞いてくる靖王に、長蘇は唖然とした。
──景琰という奴は、昔からこういう所はあったのだが、、。
、、だが、お前、、、少しは疑えよ。
変な奴らに、利用されたらどうすんだ。
私は、一物も二物もある、江左盟の惣領なのだぞ。
私の腹の内位、少しは探れ、コラ。──
気を取り直し、長蘇は言う。
「皇帝に、何故ならぬので?。殿下の手腕ならば、この大梁なぞ、治められましょう。
赤焔事案以来、今まで息を潜め、名君の出来を待ち続ける忠臣も、多いでしょうに。その者達は、靖王殿下と梁の為に、才能を見出されるのを待っている筈。
その者達に、腕を奮う機会を与えぬので?。」
「私の出身(しゅっし)は低い。三十になろうというのに、今以て郡王止まり。そして恐らく、生涯このままだろう。悪ければ、庶人、或いは罪人。
私が陥れられようと、助ける事が出来る者はいない。母とて伝がある訳では無い。
全ては、陛下次第なのだ。
私は朝廷での後ろ盾は皆無だ。私を皇帝になぞ、誰が考えようか。」
長蘇は何とか、計画通りに進めようと、怒られる事を覚悟で、一つの質問をしてみる。
「靖王殿下、、、陛下が何故、皇帝になれたと?。ご存知で?。」
すると靖王は眉を顰めて、聞き返す。
「梅宗主。
それはどういう意味だ?。
父に倣えと?。
私は簒奪なぞはしない。兄弟の命も奪わぬ。
長兄がそうだったからだ。
長兄は私の手本。常に民と朝廷の平静を願った。
そなた、分かっているだろう?。」
長蘇の思った通りに、靖王は怒ったが、、。
靖王に、意味の分からぬ事を言われて、長蘇は答えに窮する。
──梅長蘇に、景琰の何が分かっていると?。
、、、、どういう意味だ?。──
「、、まぁ、、いい、、。」
長蘇が口篭っているのを見て、靖王が言った。
「あの兄二人を、どうにか出来るなら、喜んで梅宗主の手駒になり、動いてやろう。
だが、私は帝位には就かぬ。
二人が失脚したならば、梅宗主の願いも望みも、私ができる限り、全て叶えよう。
それでどうだ?。」
「、、、。」
長蘇は、どう答えていいのか分からない。
「なんだ?、不服か?。」
「不服などと、、、滅相も無い。
私の謀に、無条件で協力するとは、、。
殿下の意図が分からず、少々、混乱しています。」
「何を混乱する?。思い通りになったのだろう?。良かったでは無いか。
もっと私が目先の利を主張して、交渉に難航すると思ったか?。」
──、、景琰の一本気な性格は、昔のまま。
景琰は、言っている言葉が、全てなのだ。
言葉を飾ったり、曖昧にしたりはせぬ。