天空天河 二
平気な振りをして、何食わぬ顔で、誉王に謀の助言をすると?。
私の小殊に耐えられる事か?。
どれ程、己の心を殺して、誉王に近付くと、、。
誉王に対する嫌悪感と、誉王に尽さねばならぬ己への嫌悪感は、小殊の心を酷く苛むだろう、、。
そんな事をしてまで、、、。
小殊の心が、壊れてしまわないのだろうか。
、、だが小殊は、それをやると、決めたのだ。
、、、どれ程の覚悟で、、、。
梅嶺の凄惨な戦場から生き残り、姿まで変え、弱い身体になってまで、耐えて成そうとしている。
心が、身体が、、どんなに傷付いているだろうか。
小殊をこの腕に抱きしめて、温めてやりたいと、心から思う。
復讐をしたいと、、思っているのだろうか。
江左盟を操り、江湖の力を使い、祁王と林家と、赤焔軍の復讐を?。
私の知る小殊ならば、関係者への復讐では無く、別の事を考える筈。
だが余りに、余りに、小殊の身の上に起こった事は凄惨で、、、、、、、。
我を忘れて、復讐に臨んでいるとて、理解は出来る。
覚悟を決めて、この金陵に戻ったのだ。
今日、ここで小殊に、朱弓をその手に握らせた時、小殊は俯いて、只ならぬ様子だった。
蘇哲は小殊だと、私が知っている事を悟った筈。
あの場で、私には観念して、全てを打ち明けるのだと思っていた。
なのに、小殊め、正体を明かす所か、幾らか取り乱したのを取り繕う事も、、、、正体を匂わせもしなかったのだ。
、、、小殊は恐らく、私を巻き込まず、一人で成すつもりなのだ。
馬鹿な小殊。
何故、私に打ち明けぬのだ。
今まで二人ならば、何でも成せた。
私では力になれぬと?。
赤焔事案には、恐らく王族も関わっていよう。
何より、最後に全てを決めたのは、陛下なのだ。
探ろうとすれば妨害され、或いは、、死、、。
もう、小殊を失いたくない。
私の傍に置き、守りたい。
小殊が復讐を諦められぬなら、見守り、手助けをしよう。小殊の身に迫る、全ての危険から、私が守る。
それでも、、、
梁の民は、赤焔事案の真実を知るべきだが。
朝廷が示した事案の審理は、偽りであり、、。
だが、今、小殊が真実を示せば、
小殊の身が余りに危うい。
靖王の位なぞ、捨てても良いのだ。
富貴な身分なぞ惜しくも無い。
小殊を連れ去り、だれも知らぬ他の国で、暮らしても良い。━━
林殊の事に、思いを巡らしていると、戦英が、書房に入って来る。
「蘇哲殿が帰られました。」
「そうか、、様子はどうだった?。」
「挨拶はしましたが、一言も話さずに、、。
顔色が悪かった様子でしたが、、、蘇哲殿が何か失礼な事でも?。」
顔色が悪いと聞き、戦英を険しい表情で見る。
靖王の表情で、戦英は気持ちを察して、言い繕った。
「顔色が悪いだけで、足取りはしっかりとしていましたが。」
「、、、、分かった、、下がって良い。」
戦英は拱手して、書房を去った。
━━やはり、動揺したのだ。
顔色が悪かった、と、、。
私は、やり過ぎたのだろうか、、、。
ただ、一刻も早く、小殊と話がしたたかっただけなのだ。
小殊が金陵に来て、私に正体を明かさぬなら、一人で事を起こす気なのだ。
小殊の、それが望みならば、私はそれに従おう。
小殊である事を、私に明かさずとも、
小殊には私が付いている事を、
知っていて欲しい。
どんな事でも、小殊の望みは叶えよう。
そして、私は小殊の盾になろう。
私がどうなろうとも、構いはせぬ。
小殊が健やかならば、それで良いのだ。━━
その日の夜半、
ひっそりとした書房に、
靖王が一人佇む。
思いは林殊の事。
嘗ての事が、目紛(めまぐ)るしい程、頭の中を駆け巡る。
小さな林殊と遊んだ事。
林殊はあの頃から負けず嫌いで、思い通りにならぬと、膨れてしまうのだ。
膨れて意地ける小さな林殊も、それはそれは可愛らしく。
可愛らしい林殊を、誰にも見せたくなくて、ぎゅっと抱きしめた。
林殊は、二つ上の、靖王の腕を擦り抜けて、追いかけっこが始まる。
そして記憶は、勇ましい青年林殊の、怪童ぶりを。
自信に満ち、少々不遜な林殊の顔の陰には、数知れずの不安もあったのだ。
表には出さず、常に心の中で消していたのだ。
何時何時(いつなんどき)も平常心を心がけ、既に大将の器があった。
だが、靖王には時折、吐露し。
靖王だけに胸の内を曝(さら)ける事が、何より靖王には嬉しくて。
林殊は、情けない姿を、靖王に見せるのを嫌ったが。
林殊はそう思っていても、靖王に、助けを求めてしまうのだ。
靖王を心から頼りにしていた。
靖王は、助言をし讒言をし、常に力付けた。
酷く落ち込んだ時には、抱きしめて心から林殊を包み込み、癒してやりたいと思ったが、林殊の尊厳を重んじて、二人で酒を酌み交わし、眠らせて忘れさせた。
回想には終わりが無く、
出口も答えもない、靖王の思い。
夜も更け、書房の中には、月明かりが、窓から差し込んでいる。
いつの間にか、靖王は密道の仕掛け扉の前に立っていた。
そっと、仕掛けに手を置く。
書棚の飾りが鍵の解除に。
書棚の一面を動かせば、そこには密道への扉が有るのだ。
十年前より、仕掛け扉は重くなっていた。
重い扉も、幾らか動かせば、以前の様に、軽く動くようになった。
靖王は燭台を持ち、一歩、密道の中へと、、。
密道の闇が、靖王を包む。
蝋燭の光だけが、靖王を守るように、床と壁を照らし出す。
ずっと使われた形跡は無く、湿り気を帯びた、地下特有の匂い。
石組の壁や床は、どこも傷んではいないようだ。ただ嘗ての匂いが強くなっただけだった。
音もない、無の闇を、蝋燭の光を頼りに、ゆっくりと密道の中を進む。
光は、靖王府に近い大きな空洞から、蘇哲の屋敷の方へと。
幾らか狭くなった通路を、一歩一歩、進んでいった。
蘇哲の屋敷に近くなると、石の回廊が終わる。
また隠し扉があり、開ければ蘇哲の屋敷の、隠し部屋になる。
隠し扉は、施錠もされておらず、難無く開いた。
「不用心だな。」
靖王は独り言ちた。
隠し部屋は綺麗に掃除され、塵一つ無い。
更に進めば、蘇哲の屋敷の書房へと、通じている筈。
隠し部屋と、蘇哲の書房への扉の前で、靖王は立ち止まった。
━━小殊、、今は、眠っているのか、、それとも具合が悪く、苦しんでいるのだろうか。
門衛を呼び、更に詳しく聞いた話では、血の気は失せ、酷い顔色だったと、、。
医師に、具合を診てもらっただろうか。
薬を煎じる者は、側に居るのだろうか。
、、一目で良い、小殊の顔を見たい。━━
この扉を開ければ、直ぐに長蘇に会えるのだ。
扉に手を当て、押し開こうか迷いが生じて、長い間、動けないでいた。
「ヒ──リュ──。」
中から声が聞こえた。
長蘇の声だった。
透き通る声は、靖王の胸に響いた。
「ソコニ、ナニカイルノカ?。」