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手袋を買いに行ったら大好きな人ができました 3

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 水柱様の、静かだけれど凛とした名乗りが響いた途端に、無惨の忌々しげな声がそれを遮るように聞こえてきました。
「柱がたかが獣に真名を授けるだと……? 獣に縛られ従う神など、正気の沙汰ではないな」
 水柱様は応えず、パンっと両手を打ち合わせるとおもむろに開いていきました。
 掌のあいだから現れたのは、青く清浄な光を放つ一振りの刀。それをかまえると、水柱様は、鋭い一声(いっせい)とともに刀で空を薙ぎ払いました。
 斬撃で結界を斬り裂いたのでしょう。パァァァンッと高い音が響いて、空気が激しく振動しました。背後にいた炭治郎たちが、思わず尻もちをついて後ろに転げてしまうほど、それは激しい波動でした。
「名を」
 唐突にかけられた声は、言葉が足りません。でも、炭治郎にはすぐに伝わりました。コロコロ転がったせいでちょっぴり頭はクラクラしますが、炭治郎はそれでも、大きな声で叫びました。

「煉獄さんっ!!」

 途端にゴオォォォッと音立てて熱波が空を薙ぎ、燃え盛る炎が、炭治郎たちの目の前で踊るように噴き上がります。

「我は産屋敷九柱が一柱にして、炎柱を拝命する者なり! 我が赫き炎刀がお前を骨まで焼き尽くす!!」

 豪火のなかに現れたのは、金と赤の髪をなびかせた炎柱様です。水柱様の隣で赤くきらめく刀をかまえ、炎柱様は振り返ることなく大きな声で笑いました。
「よく己が責任を果たした、勇気ある少年たち! あとは俺たちに任せるがいい!」
 力強く頼もしいお声に、見合わせた炭治郎たちの顔に笑みが浮かびます。
 炭治郎たちは、続けてなおも声を張り上げました。

「胡蝶っ!!」 「宇髄さぁんっ!」 「時透さん!」 「不死川さんっ!!」 「甘露寺ぃ!」 「伊黒さぁん!」 「悲鳴嶼さん!!」

 全員で口々に柱様のお名前を呼べば、その声に応え、柱様が次々にお姿を現してくださいます。ついに、お館様が歴代最強と称える九柱が、ずらりと無惨の前に立ち並びました。
 その頼りがいのある背を、炭治郎たちは息を飲んで見つめました。柱様たちの背を見つめる炭治郎や禰豆子たちの目には、先ほどまでの不安や絶望など微塵もありません。
 森の動物たちはみんな、この背に守られ生きているのです。その心強いことといったら、言葉にならぬほど。
 ゆっくりと柱様たちの背をお一人ずつ見つめていった炭治郎は、最後に水柱様の背を見つめ、その瞳はそこから動かなくなりました。
 お母さんたちが殺されたあのときも、こうして自分と禰豆子の前に立ち、『災い』を斬り祓ってくれた水柱様。思い出せなかった水柱様のお顔が、炭治郎の脳裏にまざまざと浮かび上がりました。

 間に合わなくてすまなかったと、悲しげに言って頭を撫でてくれたその人のお顔は、洋服屋さんの顔をしていました。



「炭治郎……よくやった」

 不意にかけられた声に、炭治郎の大きな瞳に浮かび上がった大粒の涙が、ぽろりと落ちました。
 その声に炭治郎が答える暇もなく、岩柱様のゆくぞ! という大音声の掛け声とともに、柱様方の呼応する声が轟き、戦いが始まりました。

 激しく燃え盛り無惨へと襲いかかる炎、空気を震わせ大音量で繰り返される爆発。逆巻く渦潮が無惨を飲み込むように襲いかかり、疾風が玉座を斬りつけます。

 霞に紛れて繰り出される斬撃、一心同体に次々と呼吸を合わせて無惨に打ちかかるうねる、二本の刃。轟音立てて鉄鎖が岩を打ち砕くたび、炭治郎たちがいる扉の外も激しく揺れました。

 ひらひらと煌めき舞い踊る蝶が無惨を取り囲み、華麗な剣戟が繰り出されていくのも、炭治郎たちは息を呑んで見つめていました。
 けれど、どれだけ柱たちが激しく攻撃しようとも、無惨には届きません。

 無惨は怒りの表情さえ浮かべることなく、玉座に座ったまま刃に覆われた巨大な触手を伸ばして、柱たちの攻撃をいなしては、鋭く振るって柱たちを打ち据え斬りかかります。ちっとも怯える様子などありません。

「ど、どうしよう、炭治郎っ! 柱様たちの攻撃が効かないよっ!」
「大丈夫だっ、柱様たちが負けるわけないっ! 信じるんだ、善逸!!」
「そうよっ。お館様が仰ってたもの、本心からの祈りが柱様の力になるって! 善逸さん、一緒に祈ろうっ!」
「くそったれがぁぁっ!! 祈ることしかできねぇのかよっ!」
 伊之助が地団太を踏みますが、炭治郎たちにできるのは祈ることだけでした。
 ただ一心に、心の底から、炭治郎たちは祈りました。
 柱様たちの無事を、勝利を、一心に祈り続けました。
 きっと柱さまたちのお住まいでも、森の動物たちが同じように自分が感謝し敬愛する柱様に、心からの祈りを捧げているのでしょう。
 劣勢に見える柱様たちの刃からは、決して力が薄れることはなく、斬り祓っては再生する触手を、ひたすらに祓い続け、少しずつ無惨へと詰め寄っていきます。
 炭治郎の腰にある藤の花は、五分の一ほどを残して枯れ落ちていました。
 もうじき夜が来ます。夜が来れば無惨の力が蓄えられたこの無限城に、『災い』たちが無惨の加勢をせんと戻ってくるか、もしくは一斉に森の動物たちに襲いかかるでしょう。
 『災い』たちが力を増す夜になる前に、この無限城を打ち崩し、新年のご来光を無惨の身に浴びせること。それが無惨を討ち果たす唯一の術です。

 父さん、母さん、竹雄、花子、茂、六太……お願いだ、どうか水柱様を……義勇さんを助けて。禰豆子たちを守るために、義勇さんに力を貸してあげて。
 義勇さんのお姉さん、眷属の人たち、お願いします。俺は皆様に差し上げられる対価なんて持たないただの狐だけど、俺にできることならなんだってします。だからどうか、どうかお願いです。義勇さんを、悲しくて寂しくて、でも誰よりもやさしいあの人を、守ってあげてください。力を貸してあげてください……っ。

 炭治郎は必死に祈りました。柱様たちすべてに頑張ってください、ご無事でいてくださいと。そして、一心にお願いしました。天に昇ったお父さんたちや、お隠れになった義勇さんのご家族に、義勇さんを守って、と。
 自分のことは一度も思い浮かびませんでした。願うのはただ、柱様たちや禰豆子や善逸、伊之助のこと。お館様や森の動物たちのこと。そして、水柱様である大好きな洋服屋さん──義勇さんのことばかりでした。
 藤の花はもう数えるほどしか咲いていません。けれど炭治郎は諦めませんでした。
 ひたすらに祈り続けている炭治郎の耳で、不意にゆらりと耳飾りが揺れました。
 懐にしまい込まれたハンカチが、青く透き通った光を放ちだし、ゆっくりと炭治郎を包んでいきます。
 気づかず目を閉じ一心に祈っていた炭治郎の頬に、やさしく触れる手がありました。
 驚いて炭治郎が顔を上げると、目の前にとてもきれいな女の人が労り深く微笑んでいます。女の人は炭治郎の頬をそっと撫で、静かに口を開きました。
「その願いに見合う対価として、あなたはその身を捧げられますか?」
「はいっ! それで禰豆子たちが……義勇さんが無事でいられるなら!」
 悩むことなく間髪入れずに、炭治郎は大きな声で答えました。すると、女の人の背後で高笑いが聞こえました。