手袋を買いに行ったら大好きな人ができました 3
きょとんとする炭治郎に微笑んだまま、先代水柱様は、背後に立つ男の子たちを視線で促しました。
狐面の男の子と女の子の手には、いつの間にか一振りの刃がありました。二人はその刀を一緒に掲げ持ち、炭治郎に差し出してきます。
「受け取れ。そして戦え。大切なものを守るために。男なら。男に生まれたならば」
少し戸惑いながら炭治郎が刀を受け取ると、先代水柱様はうなずいて、そっと口を開きました。
「昔……まだ、神がこのキメツの森に多くお住まいだったころ、日の神様と水の神様は、この地で仲睦まじく暮らしておいででした」
突然語られだした昔話に、炭治郎がきょとりと目をまばたかせると、先代水柱様は少しおかしそうに笑い、なおも続けました。
それは、昔々の、神代のお話でした。
生きとし生ける者が健やかに命を育むためには、日の力と水の力が必要です。日の神と水の神はこのキメツの森で、お館さまをお助けし、多くの生き物たちを慈しみつつ、寄り添い合うように過ごしておいででした。
日の神様の眷属である天狐は、そんなお二人から生まれました。お二人は天狐をたいそう慈しみ、幸せに暮らしていたのです。
けれどあるとき、闇のなかから邪悪な命が生を得て、キメツの森に襲いかかりました。それが鬼舞辻無惨。闇の力を宿す『災い』です。
もちろんキメツの森に住まう神々は、力のかぎり戦いました。日の神も水の神も、例外ではありません。
神々は力を合わせ邪悪なそれを追い詰めましたが、増え始めていた人間たちが持つ醜い感情を糧とする無惨は、どれだけ神々が傷つけようと人間たちから力を得ては再生するため、討ち果たすことが叶いませんでした。
長い戦いの末、神々のうちでも力の強い十柱によって、無惨の力を大きく削りはしたものの、戦いの傷がもとで日の神様はお隠れになってしまわれました。残された水の神の嘆きは深く、悲しみはいつ癒えるともしれませんでした。そこでお館様は、水の神が柱の座を譲り天へと還ることをお許しになったのです。
水の神は、ご自分の弟君に柱の座をお譲りになりました。けれども、お二人の愛し子であり日の神の力を継ぐ天狐が、日柱を継ぐことをお許しにはなりませんでした。
神の座に就けば、力を取り戻した邪悪の化身ともいうべき無惨と戦う日が、いつか必ずやってきます。天狐の命が、日の神同様に失われることに、水の神は耐えられなかったのです。
それでも、天狐の持つ日輪の力を一対の耳飾りに封じ込め、それを受け継ぐよう水の神は定めました。いつの日か、ご自分の力を受け継ぎ水の神の座に就く者と、日の神の血を引く天狐の子孫が出逢い、ご自分と日の神のように慈しみ合うことがあるのなら、天狐が日輪の力を取り戻し水の神と寄り添い生きられるようにと願ったのです。
「日輪の力を宿した耳飾りを持つ狐の子……それが、あなたの祖先と、私の弟である水柱の祖先のお話です」
先代水柱様のやさしい笑みは、けれど少しだけ気遣わしげでした。
自分が神の血を引く天狐の子孫だと言われても、すぐには飲み込めず、目をぱちくりとさせる炭治郎をじっと見つめ、先代水柱様は問いかけました。
「その刀を振るい戦うのなら、もうあなたはただの狐の子には戻れません。ほかの動物たちとは異なる永い時間を、神として生きることになります。家族や友人と同じときは過ごせません。普通の動物として生きてきた者が神の時間を生きるには、つらい思いもすることでしょう。狐の子よ、今ならばまだ間に合います。恐ろしいと思うのであれば、このままもとの場所に戻してあげましょう。そうすればただの狐の子として当たり前の生をまっとうし、命を育み、安らかに眠ることができます。それでも、あなたは力を望みますか? 水柱とともに、悠久の神の時を生きる覚悟がありますか?」
ゆっくりと炭治郎の頭に染み込んでいく先代水柱様のお言葉は、きっと炭治郎を案じてのものでしょう。
それでも、炭治郎はにっこりと笑いました。刀を持つ手に力を込め、ピンとしっぽを立てると、はい! と元気にうなずきます。
「もちろんです、先代水柱様。だって、どんなに永い時がつらいとしても、義勇さんが怪我をしたり死んでしまうのよりつらいはずがないですから! それに俺は長男なので、どんなにつらくても我慢できます!」
笑う炭治郎に、先代水柱様と眷属の子たちは、呆気にとられたのか目を見開き、やがて嬉しそうに笑いました。
「では、日輪の力を目覚めさせましょう。水の神によって封じられた日輪の力は、水の神の力を持つ者によって目覚めます。天狐の子よ、私たちの名を覚えていてくださいね……私の名は蔦子。今ここにいる私やこの子たちは、大切な義勇への想いだけの存在です。とうに命を失った身でありながら、あの子を心配するあまり未練がましく存在し続けた私たちに、最期の役目をくれてありがとう」
眷属の子たちも、面を外して炭治郎に近づき、素顔で笑いかけてくれました。
「俺の名は錆兎だ。義勇は人見知りな上に口下手だから、よく誤解される。手助けをしてやってくれ。あまりに不甲斐なければ鉄拳制裁してもかまわんからなっ」
「この子だったら、拳に訴えるよりも泣いてみせるほうが、きっと義勇には効くと思うけどな。私の名前は真菰だよ。義勇をよろしくね、かわいい狐さん」
口々に言って笑った先代水柱様たちが、炭治郎の耳飾りに代わる代わる触れました。たちまちお姿がぼやけて、霞のように薄れた先代水柱様たちは、スゥッと耳飾りに吸い込まれていきます。
待ってくださいと炭治郎が止める間もなく、幸せそうな笑みを残して消えてしまった先代水柱様たちに、炭治郎が茫然としていると、耳元で大きな声が聞こえました。
「お兄ちゃん、ねぇ、どうしたの!? しっかりしてっ!!」
「炭治郎っ! 炭治郎ってばっ!!」
「おいっ、権八郎! くっそぉっ、無惨の野郎の仕業かっ!?」
肩をグラグラと揺すぶられて、目を回しかけながら炭治郎が、大丈夫だからと声を上げると、禰豆子と善逸が泣きながらよかったぁと抱きついてきました。伊之助に心配かけんじゃねぇと頭をぽかりと叩かれて、炭治郎は慌てて辺りを見回しました。
「俺、ずっとここにいたのか?」
「いたよっ、当たり前だろ!? でもいきなり魂が抜けたみたいになっちゃって、声かけても全然聞こえてないみたいだし、揺すぶってもなんにも言わないしさぁ! すげぇ心配したんだからなっ!!」
善逸の言葉に、そうかとうなずいて、炭治郎はじっと禰豆子たちの顔を見回しました。
まるで夢を見ていたかのようですが、夢でないことはわかっていました。だから炭治郎は、もしかしたら最後になるかもしれない禰豆子の顔をじっと見て、にっこりと笑ったのです。
「禰豆子、兄ちゃんこれから大好きな人を助けるために戦ってくるよ。戻ってこられたら、さっきまでの俺とは違う俺になってるかもしれないけど、でも、俺はずっと禰豆子の兄ちゃんだからな!」
「なんのこと? お兄ちゃん、なにをする気なの?」
心配そうに言う禰豆子に笑ったまま、炭治郎は善逸と伊之助に向かって言いました。
「禰豆子を頼む。行ってくる!」
「えっ、ちょ、炭治郎っ!?」
作品名:手袋を買いに行ったら大好きな人ができました 3 作家名:オバ/OBA