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消えてしまう前に

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 謝った後すぐに、あやめは薄っすらと微笑んで、前に歩き始めた。雨宮は焦って傘と脚を前に出す。
「お昼休みが終わるまで、少し歩こう?」
 あやめは足元を見下ろしたままで、雨宮にそう囁いた。
「お、うん。わかった」
 子供公園の森林は白の世界にとけ込んでいた。増えていく二つの足音は公園外の電信柱で一度止まる。
 麦わら帽子のような、白い大きな帽子が斜め上に傾斜し、ようやく見えた白い粉雪のようなあやめの顔が、雨宮を見つめた。
 雨宮はぐっと唾(つば)を呑(の)んだ。
「ごめんなさい……。お昼休みが終わる、ぎりぎりまで、今日はしゃべっていたいの」
 そう言われた雨宮は、あやめの唇を見つめたまま、素早く二回ほど頷いてみせた。
 真っ白な肌に浮かび上がった赤い唇が、ゆっくりと雨宮に開かれる。
「雨宮君の会社がどこにあるのか、知らないから……。案内してくれる?」
 雨宮はふと我に返るように、あやめの眼を見つめた。
「会社に?」
「公園でしか、会った事なかったね」あやめは照れるように、目尻に皺を作った。
「会社?」雨宮は狐に頬でもつままれたような顔であやめを見ていた。「会社に行くの? 何で?」
「ぎりぎりまで、しゃべっていたいって、さっき言ったじゃない」
 あやめはすっきりと前を向く。前方の何処までもに白い景色が続いていた。
 前線に積もった雪が落ち、下の雪と重なる。路上に駐車された車には雪が深く積もり、その車内は隠されている。住宅街の屋根屋根にも白い雪が降り積もり、一色に広がった亜世界が二人を受け入れていた。
 雨宮はいつになく緊張した。
 隣を歩くあやめは、いつにもまして、美しく見えた。
 白く短いコートから見えるロングスカートは、やはりそのコートと同じく、白い雪のような色をしていた。それは完全に地面を隠した雪に裾を濡らしている。歩く度にロングスカートの下から茶色いロングブーツが顔を出していた。
「もう……、四年も経つんだね……」
 耳を呼んだあやめの言葉に、雨宮は地面の雪から視線を上げた。
「四年かぁ~……」
 そう言ったままフリーズしてしまいそうな雨宮の顔は、隣のあやめを意識したものであった。
 しかし、二人はそうでしかなかった。昼休みという短い時間ではあるものの、子供公園を出た事さえない。その小さな小さな公園の、小さな小さなベンチで、二人は言葉だけを交わして来たのである。
 そのベンチにさえ、もう少し近づける隙間があったのだった。
 今も、近づく時間は充分にある。しかし、雨宮は何もしない。触れてしまえば、崩れてしまう。いつからか、雨宮はあやめにそんなイメージを抱いていた。
 雨宮の顔は、傘の先に見える雪に向けられていた。
「筒井さんってさ……、海も、似合うような気がするな」
「海も好きだよ」あやめは雨宮の方を見上げた。「あ…」
 帽子が邪魔だったので、それを手に持ちかえる。
「夏なんかは、海にも行ったりするの?」
「うん」あやめは改めて雨宮を見た。そしてまた、いつものように微笑む。「夏に、公園に来ても、私がいない時があったでしょう?」
「あ、ああ」雨宮はすぐに頷いた。一度逸らしかけた視線をすぐにまたあやめに合わせる。その顔はほんのりと赤らんでいた。「海ぃ……、行ってたの?」
 あやめは嬉しそうに頷いた。そしてまた、前を向く。
 雨宮も、そのまましばらくの間、何も語らぬままで歩いた。
 雨宮が何度目かに前方を指差した時、あやめはそこで脚を止めた。
 雨宮は慌てて傘を後ろに戻す。
「どうした?」
 あやめは細く白い指を、真っ直ぐに前方に伸ばして、止めた。
 雨宮は驚いた顔をした。
「煙草屋さんで、一回だけ、会ってるんだよ、私達」
 あやめは無邪気な笑顔を雨宮に向けた。雨宮はあやめに微笑んで、首を横に振った。
「二回だよ、二回」雨宮は指を差した。
「二回?」あやめは雨宮の指先を探す。
 そこには、雪に埋もれてしまっている、古びたたばこの自販機があった。
「婆さんと、世間話でもしてたんだろ」
 今度はあやめが驚いた顔をした。
「筒井さんをとっちゃって、婆さんには悪い事したな」
「ふふ」
 自販機を二人して一つの傘が通り過ぎた時には、傘の柄を持った雨宮の腕に、あやめが手を添えていた。
 自然と浮かんできていた笑みを、雨宮は隠そうとはしなかった。それはまるで、粉雪のような感触で、やはり、触れてしまえばとけてしまうかのように、柔らかく、空気のように、雨宮の腕に触れていた。
「ここ」
 雨宮は己を見上げたあやめに、そう言って頷いた。
「ここが俺の会社」
 クリーム色の壁に灰色の排水パイプが延びている、随分と古びたビルであった。
 あやめは少しだけのビルを見てから、雨宮に振り返った。
 雪は深々と降り落ちている。
 あやめの向こう側の景色にも、雨宮の向こう側の景色にも、雪は深々と落ち続ける。
 雨宮は眉間に皺を寄せていた。
 二人が出会ってから、こんな雪は何度二人に降り積もったのだろうか。
 それは懐かしさのある、そんな雪景色であった。
「あさって……、五時に、私の家に来てほしいの」
 雨宮はあやめを見つめたままで、また我に返る。
「家? 家って確か……」雨宮は、状況に相応しいのか、それとも相応しくないのか、やけに緊張した口調で言った。「子供公園の近くにある……」
「パン屋……」
 あやめはと息を吐くように呟いた。赤い唇から、白い靄が浮かび上がり、ほんの一瞬で消えていった。
「五時……。あ、おう、わかった」雨宮はそう言って、すぐに心配そうな顔をした。「どうした?」
 あやめは短く首を振った。時々荒くなる息遣いが、白く大きな靄を作る。
 あやめは泣いていた……。
「どうしたの?」
 雨宮はあやめの肩に手をかけようとして、それを留めた。
 あやめはそのまま、「来て下さい」と言って、すぐに走り出していた。
「筒井さんっ!」
 白い景色の中に、足跡が増えていく。それは一人分だけ、長い髪を揺らしながら、白いコートが作っていく。
 雨宮はただそれをその場から見つめていた。
 白雪は深々と降り続ける。
 雨宮の顔は深刻に、その背中を追いかけていた。
 傘を差したまま、まだ見えている背中を、どうしてかわからぬままに、雨宮は見つめ続ける。
 あやめの背中が見えなくなった頃には、白雪はいつしか、小さな粉雪に姿を変えていた。

       9

 お母さんの言葉を信じる……。
 私は、たぶん、最初から、そうしたかったんだと思う。
 もう、こんな変な気持ちを持て余すのは嫌だ……。
 明日が、ついに来た。いつかは来ると思っていた明日。いつなのか、どうやって訪れるのか、それはずっとわからないままだったけれど……。どういう形にしろ、それは私に訪れたのだから。
 私は明日がどんな日なのかを知っているのだから。私は、もう、迷わない。
 それは私が決めた事なのだから……。

       10

 空から雪は降り落ちていないが、住宅街はすっかりと白い景色に染まっていた。十一月という季節に雪が降る事は珍しくもなんともないが、俺がこんな雪路の住宅街を歩く事は珍しいのだろう。
作品名:消えてしまう前に 作家名:タンポポ