二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

霞の空と海の青

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

 助かった。あの自転車について行けば駐輪場がわかるだろう。今日は中等部の新入生しか生徒は出席しないはずだから、今の生徒も一年生に違いない。話しかけて、一緒に講堂に行かせてもらおう。

 見失わぬよう急いでペダルをこぎ追いかければ、校舎の横に大きな桜の木が見えた。屋根付きの駐輪場はその先にあった。
 先にたどり着いていた生徒は、まるで迷う様子もなく一番奥まで自転車を進めている。もっと手前で止めれば楽だろうに、学年ごとに場所が決まっているのだろうか。保護者同伴でなく自転車ということは、きっと初等部からの持ち上がり組だろうし、彼に倣えば間違いはないだろう。
 杏寿郎も急いでそちらに向かうと、背を向けたままの彼に声をかけた。
「おはよう! 君も新入生だろうか!」
 振り返った彼の目が、まっすぐ杏寿郎に向けられた。

 桜の花が舞っている。四月のどこかおぼろに霞む青空の下、振り返った彼の瞳は空よりも青く澄んで、じっと杏寿郎を見つめてきた。

 白い肌と少し癖のある黒髪。長いまつ毛。背は杏寿郎より少しだけ高いように見えた。きちんと締められたネクタイと真っ白なシャツは、清潔感があって好ましい。スラックスの折り目もくっきりとしている。ブレザーは杏寿郎と同じく、少しだけ大きいように見えた。
 幼くまろい頬は引きしまって、記憶にあるものよりも大人びていた。それでも、見間違えるわけもない。

「義勇……? 義勇かっ!?」

 長く豊かなまつ毛に縁どられた青い目を、パチリとひとつまばたかせて、彼はゆるゆると小首をかしげた。

 あぁ、義勇は俺を覚えていないのか。

 杏寿郎の胸にわきあがった途轍もない歓喜が、少しだけしぼむ。だが、それもしかたのないことだと思い直した。
 なにしろ逢ったのはたった一度きり。ほんの十数分の出来事だ。しかも、もう五年も前のことなのだ。覚えていなくても当然だろう。
 だが、杏寿郎の落胆は、風にさらわれそうな小さな一言によって、たちまち晴れた。

「杏寿郎……?」

 記憶にある声よりも、その声はいくぶん低い。そしてずいぶんと小さな声だ。けれども杏寿郎の耳は、一音たりと聞き逃すことがなかった。
 だってずっと、ずっと、もう一度聞きたいと思っていた声だ。もう一度その声で、名を呼んでほしいと願っていたのだ。
 身の内でふくれ上がりはち切れそうな喜悦や、抑えようのない高揚感に、杏寿郎の顔には見る間に笑みが広がった。
 思わず駆け寄った杏寿郎の背後で、ガシャンと音を立てて自転車が倒れる。けれど、そんな大きな音も、杏寿郎の耳には入らなかった。
 自分の名を綴ったほんの小さな声ばかり、耳にこだましていたので。

「義勇! 逢いたかった! よもや君もこの中学だとは思わなかった! あぁ、でも従弟がこちらに通っているんだったなっ。それで義勇も中学からこちらに来たのか? 今も仲良しなんだな! だがこれからは俺も同じ学校だっ、ぜひ俺とも仲良くしてくれ!」

 あんまりうれしくて、義勇の手をガシリと握り子供のようにブンブンと振った杏寿郎は、自分の言葉に、ん? とまばたきすると動きを止めた。
「今日は、新入生しか登校しないのではなかったか? 義勇、君は俺よりもひとつ年上だと思っていたのだが……俺の記憶違いだっただろうか」
 今ここにいるということは、義勇も杏寿郎と同じく中学一年生ということになる。
 思い出は美化されるそうだが、もしかして自分も、あの日の記憶を勝手に改ざんしていたんだろうか。思いも寄らない事態に、杏寿郎の背を冷や汗が伝った。
 あのときのことはなにひとつ忘れていないと思っていたのに、なんと不甲斐ない。義勇のことをきちんと覚えていられなかったなんて、いささかショックだ。義勇も勝手な思い違いをされて、さぞかし不快な思いをしていることだろう。

 嫌われたらどうしよう。らしくもない弱気の虫がムクリと頭をもたげた。

 再会できればすぐにでも友だちになれると思い込んでいたけれども、喜んでいるのは自分だけで、義勇からうれしそうな気配は感じられない。あのときの花のような笑みすら、記憶違いだったのかと思えるほどの無表情っぷりだ。
 けれども、仲良くなりたい気持ちは、ちっとも減らないのだ。逢えてうれしい想いと、これから義勇と過ごせる学校生活への期待には、なんの変わりもない。
 もしも義勇が自分ほどにはこの再会を喜んでいないのだとしても、これから仲良くなればいいだけだ。間違っていたことを謝って、それから、改めて友だちになってほしいと言おう。
 決意して、杏寿郎が口を開きかけたとき、義勇のほうが一瞬早く言葉を紡いだ。

「……間違ってない。でも、一年だ」
「え?」
「原級留置したから」

 義勇の眼差しが杏寿郎から外れた。耳慣れない言葉を問い返す前に、義勇の手が引くそぶりをみせる。思わず力をゆるめた杏寿郎の手から、義勇の手が離れていった。
 杏寿郎が着ていたブルゾンのポケットから、ためらいもなくするりと抜け出ていった、あの日のように。

「講堂はあっちだ」

 白い指先が駐輪場とは逆方向を指した。そのまま杏寿郎の傍らを通り抜けようとするから、杏寿郎はあわてて声をかけた。
「どこに行くんだ?」
「……教室」
「なぜ? 入学式が始まってしまうぞ?」
「二度目だから……式には出ない」
 義勇の言うことはよくわからない。
 杏寿郎の記憶に間違いはなく、ひとつ年上だと認めたのに、同じ一年生だと義勇は言う。聞き慣れない言葉の意味もわからず、ニコリともしない義勇の顔に、息苦しささえ覚えた。

 やっぱり再会を喜んでいるのは俺だけなのだろうか。

 図らずも情けなく眉を下げてしまった杏寿郎に、義勇は初めて、わずかに逡巡の気配をみせた。けれどもやはりなにも言わず、倒れたままの自転車に歩み寄ると、無言のまま起こしてくれた。
「あ、あぁ、すまん!」
「一年は奥だ」
 親切にしてくれたと喜ぶには、義勇の声も態度もそっけない。幼いころの、花開くようなはにかんだ笑みなど、白く整った顔にはちらりとも浮かばなかった。
 言葉をかけあぐねた杏寿郎がハンドルを握ったのと同時に、義勇は、にべもなく立ち去っていった。杏寿郎になど、もうまるっきり興味などないと言わんばかりだ。
 それでも、焦りつつ自転車を留める杏寿郎を一度だけ振り返り見た瞳は、昔と同じ、澄んだ海の色をしていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 式の間中、杏寿郎の心を占めていたのは義勇のことばかりだった。校長先生の挨拶も、教師たちの紹介も、聞こえているけれどもまるで意識に留まることがない。
 晴れがましい式典だというのに気もそぞろでいるなど、学費を出してくれている父や母に申しわけない。ぼんやりしている自分に気づくたび、反省するのだが、すぐにまた義勇のことばかり考えてしまう。そして何度も同じ問いを、頭のなかで繰り返す。

 義勇はなぜ、俺と同じ一年になったのだろう。

 疑問は、背後から聞えてきたクラスメイトの私語で知れた。
「なぁ、冨岡先輩、俺らと同じクラスなんだってさ」
「マジで? えー、前ならともかく、今のあの人と一緒じゃ気を使うよなぁ。ただでさえ留年した先輩なんて、声かけづらいのに」
作品名:霞の空と海の青 作家名:オバ/OBA