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清かの風と小さな笑顔

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 見るからに冷淡な態度を取られるわけでもないし、嫌厭されている感じはしないのだが、とにかく義勇は反応が薄い。ポツリと返される言葉は圧倒的に言葉が足りず、熱量の差は如何ともしがたい。
 何度かそんな日を繰り返して、返された短い言葉を繋ぎあわせてようやく知ったのは、義勇は水泳部に在籍している従弟と一緒に登校しているということだ。
 水泳部は全国的にも強豪として知られている。練習も厳しいようで、ほぼ毎日朝練があるらしい。だから義勇の登校時間も早い。従弟と一緒に部室棟に行き、部室で朝練が終わるのを待つのが常だ。
 仲の良さに杏寿郎はちょっぴりモヤモヤとしてしまうが、そんなこと、義勇には到底言えない。
 父が道場主をしている影響で小学校に上がる前から剣道をしている杏寿郎は、当たり前のように剣道部に入ったので、義勇とは下校時間だってなかなか合わない。剣道部は正直に言っていいのなら弱小の部類に入る。部員たちも顧問も、部活動に熱を入れている様子はない。
 そんな剣道部と強豪と呼ばれる水泳部では、部活の終了時間だって異なるのは道理だ。剣道部は大会前だろうと遅くとも七時には帰宅するが、水泳部はいつも九時近くまで練習していると聞いた。登校が一緒なら、下校も義勇は従弟と一緒だ。当然のごとく、下校時間は遅い。
 せめて一緒に帰りたくても、剣道部の先輩が帰っていくなか、杏寿郎ひとりで居残るわけにもいかない。いつだって、後ろ髪引かれつつも、屋内プールの明かりを見ながら帰るよりなかった。
 朝は朝で、小学校に入る前から杏寿郎は、早朝に父に稽古をつけてもらっているから、義勇の登校時間にあわせることはむずかしい。結果として、義勇と一緒にいられるのは授業中のみという毎日だ。
 そこまで従弟につきあうのなら、義勇も水泳部に入ればよさそうなものだが、杏寿郎が聞いても義勇は小さく首を振るだけだった。だから杏寿郎がその理由を知ったのは、杏寿郎が望む形ではなく、善意の第三者という仮面をかぶったお節介者たちによってである。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 それは、ゴールデンウィーク明けのことだった。
 創立記念日が五月九日ということもあり、私立であるこの学園では、飛び石連休にならぬよう休日が調整されている。四月二十九日の祝日は振替で登校しなければならないが、それでも今年は一日の土曜日から九日の日曜日までの、じつに九日間もの大型連休だ。家族旅行などで合間の登校日を休む生徒が多いがために、取られている措置なのだろう。
 煉獄家も、夏休みには時間が取れない事情もあって、家族旅行は大抵ゴールデンウィークなのが常だ。今年も張り切った父の先導で休暇を満喫した。
 とは言うものの、本音を言えば、杏寿郎にとっては少々寂しい日々でもあったのだけれど。
 なにせ、休暇中に一緒に遊ぶ約束などできるほど、まだ義勇と仲良くなれていない。杏寿郎にしてみれば、休みが多いのは義勇に逢えない日が増えるのと同義だ。ここぞとばかりに家族サービスに勤しんでくれた父には申しわけないけれども、杏寿郎が旅行中にこっそり落としたため息は多かった。
 ともあれ、久しぶりに義勇の顔が見られると、その日、杏寿郎はいつも以上にウキウキと登校した。それでなくとも今日は、杏寿郎にとってはちょっと特別な日だ。そんな日に九日ぶりの義勇に逢えるのだ。逢えなかった寂しさはともかくとして、いっそううれしかったのは確かだ。

 だが、喜びに満ちた杏寿郎を待っていたのは、クラスメイトからの思いも寄らない言葉だった。

 屈託がなく物怖じしない杏寿郎は、もともと人好きされる質だ。最初のころは義勇に対する杏寿郎の並外れた熱意に、クラスメイトはだいぶ面食らっていたようだが、今ではすっかり打ち解けている。だからだろうか。登校してくるなり杏寿郎のもとに進み出て、ちょっと話があるんだけどと声をかけてきた彼らの顔に、緊張はなかった。

「あのさ、煉獄くん。冨岡先輩を放っておいてあげなよ」

 そのとき、義勇はまだ教室に戻っていなかった。
 義勇が教室に戻ってくるのは、大概チャイムが鳴る二、三分前だ。それはまるで、話しかけられるのを厭う無言の意思表示のようにも見えて、クラスメイトのなかには、あからさまに義勇を敬遠しだす者も現れ始めていた。
 義勇の無愛想さは杏寿郎に対しても変わらない。露骨に眉をひそめることはないが、五年前、冬の商店街で見た愛らしい笑顔など、一度として向けてはくれなかった。
 だが、杏寿郎がそれしきでめげるわけもない。
 義勇とまた逢えただけでも幸せだが、年齢が違うのに同じクラスにまでなった。それ自体は喜ぶべきではないのかもしれないが、杏寿郎にとっては幸せなことに違いはない。仲良くなれたのなら、もっともっと幸せな心地がするだろう。
 今までは、義勇と過ごす時間など、想像するだけだった。だが今は違う。現実に義勇と毎日顔を合わせ、机を並べる日々だ。
 残念ながら、出逢ったあの日のように笑顔で会話したり、ましてや手を繋いで歩くなど、一度もない。今のところ、想像と現実はかなり乖離している。
 だからといって諦める気など毛頭ない杏寿郎は、想像してきた楽しい日々を現実にするためにも、せっせと義勇に声をかけている。たとえ一日に一言しか言葉を返してくれずとも、義勇が杏寿郎の言葉に応えてくれていることに変わりはないのだ。少しずつでも義勇のことを知れるのはうれしい。
 だが、ほかのクラスメイトの見解は、杏寿郎とは違うようだ。
 本来なら義勇は一学年上だということを、もうクラスの誰もが知っていた。初等部からの持ち上がりではない生徒であってもだ。
「なぜだ? 俺は義勇と仲良くしたい! 同じクラスの仲間としてもだし、できれば親友になりたいと思っている! それと、義勇は年上とはいえクラスメイトだ。先輩と呼ぶのは少しおかしくないだろうか」
 不快とまでは言わないが、いきなりそんなことを言われるのは腑に落ちない。だから素直に杏寿郎は反論したのだが、クラスメイトはそろって顔をしかめた。
「煉獄くんは外部入学だから知らないんだろうけど、冨岡先輩は色々あったんだよ。そっとしておいてあげなきゃかわいそうだろ」
「そうだよ。それに、前とは全然違っちゃったしさ。煉獄くんだってまったく相手にしてもらえてないじゃん。もうやめなって。関わんないでやれよ」
 そこで初めて杏寿郎は不快感を覚えた。
 義勇の身になにが起きて原級留置――落第や留年は、正式にはそう言うのだそうだ――することになったのか、杏寿郎は知らない。中等部では成績の良し悪しや不品行で留年になるはずもないし、そもそも義勇は真面目で小テストの点数だって良い。きっと長期入院などして学校に通えなくなっていたのだろうと、杏寿郎は推測していた。
 同じ学年、同じクラスになったのはうれしいけれども、義勇の体は心配だ。杏寿郎の知らぬところで、つらい入院生活を送っていたのかもしれないと思うと、呑気に過ごしていた自分が申しわけなくも思えた。もちろん、それはしかたのないことなのだけれど、気持ちの問題である。
作品名:清かの風と小さな笑顔 作家名:オバ/OBA