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清かの風と小さな笑顔

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 心配ではあるが、現状、義勇は体育の授業も問題なく受けている。もう体は大丈夫なのだろう。それでも万が一があってはいけない。無理をさせぬよう注意深くあらねば。そう決意している杏寿郎だが、原級留置の理由については詮索するつもりなど微塵もなかった。
 義勇自身が説明してきたのならともかく、好奇心でたずねるのは不躾すぎるというものだ。

 だが――。

 知らず腕組みし、杏寿郎は、わずかに眉を寄せ考える。
 たしかに義勇に対しては、先生たちもどこか腫れ物に触るように接している気がしなくもない。部外者である義勇が、水泳部の部室に入り浸ってもおとがめなしなのだって、よく考えればおかしな話だ。
 黙り込んだ杏寿郎に、クラスメイトたちは少し勢い込んだ様子で、なおも言いつのった。
「煉獄くんは知らないからしょうがないけど、冨岡先輩が留年した理由って、一年近くも精神病院に入院してたからなんだぜ?」
「両親とお姉さんが事故で死んじゃって、親戚の家に引き取られたんだ。そしたら、だんだんおかしくなっちゃってさぁ。学校でもいきなり泣き叫んだりしてたんだって」
「虐待じゃないかって、初等部でも噂になってたぐらいだよな。鱗滝先輩ん家も疑われて大変だったって先輩たちが言ってたよ」
「そうそう。あのころは中等部だけじゃなく、初等部の先生たちまでピリピリしちゃってさ。本当に大変だったんだ。結局入院しちゃったし。今年になってやっと学校に戻ってきたっていってもさ、やっぱり前とは全然違っちゃってるし、変にかまったらかわいそうだろ?」
 クラスメイトが口々にいう言葉に、杏寿郎の眉間のしわがだんだんと、くっきり深く刻まれだす。不快感はもはや隠しようがないほどふくらんでいた。
「それのどこが、話しかけられたら義勇がかわいそうだなどという話になるのか、俺にはさっぱりわからん。君たちが義勇のことを案じていることは認めよう。だが、義勇自身がかかわるな、話しかけるなと言ってきたわけではないからな! 義勇になにが必要でなにが必要ないかは、義勇自身が決めることだ。君たちが勝手に決めつけていいものではないだろう!」

 もし義勇本人から、自分にかかわるなと言われても、はいそうですかと引き下がる気など、まるでないけれど。

 思いながら杏寿郎がキッパリと言ったそのとき、音も立てずに義勇が姿を現した。
 ギョッとするクラスメイトたちに目を向けるでもなく、義勇は何事もなかったかのように席に着いた。本人に聞かせる会話ではない自覚はあったのだろう、お節介な者たちもあわてて自分の席へと戻っていく。
「おはよう、義勇!」
「……おはよう」
 常と同じように衒いなく言えば、義勇も、そっけなくではあるけれど挨拶を返してくれた。毎日のことだが、杏寿郎は笑み崩れそうになる。
 たかが挨拶だ。誰とだって交わす、ごく普通のやり取り。けれども、こんなささいな一事を取ってみても、義勇が杏寿郎を厭うているわけではない証拠だと思うのだ。諦められるわけがない。
「君のいないところで、勝手な話をしてしまってすまない。気分がよくないだろう? 本当に申しわけない」
 聞きようによっては、先ほどの会話は陰口のようにも聞こえただろう。義勇がどこから聞いていたかはわからないが、自分のことを話していたことぐらいはわかったはずだ。
 気遣わしく謝罪を述べた杏寿郎に、義勇の青い瞳が向けられた。
 少し逡巡するように一度目を伏せた義勇は、それでも杏寿郎をまっすぐ見つめ、小さく口を開いた。
 そのとき、チャイムが鳴った。先生が入ってくる。
 起立の号令に、義勇が静かに立ちあがった。杏寿郎もあわてて右に倣う。
 義勇は今、なにを言おうとしたのだろう。
 気になるけれども、義勇はもう杏寿郎のほうを向くことなく、じっと黒板を見つめている。生真面目な横顔を、チラチラと盗み見ながら、杏寿郎はソワソワとして落ち着かない胸のざわめきを持てあました。先生の言葉も、なんだか耳を素通りしてしまって、授業に集中できない。

 授業が終わったら、義勇に聞いてみようか。時機を逸した話題に、義勇は答えてくれるだろうか。

 ちらりと視界の端でうかがう義勇の白い横顔の向こうに、澄んだ青空が広がっている。くっきりとした陰影を落とす長いまつ毛が、少し伏せられた。ノートをとる指先は、昔よりも長くて少し骨ばっている。
 ぼんやりと見惚れてしまっていたら、不意に義勇の手が杏寿郎の机に乗せられた。白い手はすぐさま去って、後に残されたのはノートの切れ端だ。
 義勇がメモを回してくるなんて初めてだ。興奮と歓喜にわき立った胸は、けれどもそこに書かれた文字に、ドクンと大きく鳴るなりシンと冷えた。

『事実だ』

 たった一言の簡潔な手紙。これは、義勇も放っておいてほしいと思っているという、意思表示なのだろうか。杏寿郎が話しかけるのを、本当は義勇も迷惑だと思っているのだとしたら、こんなに悲しいことはない。
 そろりとつまみとった紙片を、握りつぶしてしまいたい。けれども、そんなことができるはずもなかった。
 だって、義勇がくれた、初めての手紙だ。
 ただの走り書きでしかなくとも、それでも義勇が杏寿郎だけに宛ててくれた、義勇の言葉だ。義勇の意思だ。捨てるなんて、絶対にしない。
 杏寿郎は、デニム地のペンケースに小さな紙片をそっとしまいこんだ。授業はやっぱり、なにも頭に入ってはこなかった。



 一時限目の終わりを告げるチャイムが鳴っても、杏寿郎は、いつものように義勇に話しかけることができなかった。
 気になるのなら、問うてみればいいのだ。あれはどういう意味だと聞いてみればいい。わかっているのに、なんだか聞くのが怖かった。
 義勇に話しかけるのをやめる気など毛頭ないのに、迷惑がられていたらと思うと、なにを言ったらいいのかわからない。
 黙り込んだままの杏寿郎に、義勇はなにを思ったのか、複雑そうな目を向けてきた。

「……ごめん」
「ん?」

 ぽつりと聞こえた声は、一瞬、幻聴かと思った。杏寿郎にしてみれば、思いもよらない一言だったので。
「なんで義勇が謝るんだ?」
「杏寿郎も……嫌だろう?」
 ザワザワと騒がしくなった教室で、義勇の小さな声は聞き取りにくい。それでも杏寿郎が聞き逃すことはなかった。
「なんのことだ? 嫌だなんて思うことはひとつもないぞ。あ、すまん、ひとつあった。義勇に嫌われるのだけは、絶対に嫌だ。……いや、まだあるな。義勇が悲しいのも、つらいのも、嫌だ。あぁ、もちろん父上や母上、千寿郎も同様だ。うぅむ、意外と嫌なことというのは多いものだな」
 杏寿郎が腕組みして考え込むと、義勇はどこか放心した顔でパチパチと目をまばたかせた。
「……その、嫌だのなんのと言うのが多いのは、駄々をこねる子供みたいだろうか?」
 義勇の視線に気づいて、少し気恥ずかしく杏寿郎が言うと、義勇の顔がわずかに伏せられた。
「義勇?」
「それは、駄々をこねるとは言わないだろ」
 押し殺しそこねたような小さな忍び笑いと、かすかに震える肩。

 笑った。ほんの少しだけれど。本当に、ささやかにだけれども――義勇が、笑ってくれた!
作品名:清かの風と小さな笑顔 作家名:オバ/OBA