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五月雨と君の冷たい手 前編

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 この学園は中高問わず、毎週火曜の放課後には、委員会がある。杏寿郎は体育委員で、クラス代表の委員長だ。中等部一年の委員長には、初等部から持ち上がりの生徒が就くのが常らしいが、体育委員長は満場一致で杏寿郎に決まった。どうやら声の大きさが決め手だったようだ。体育の授業で体操や集合の掛け声をかけるのは、基本的に体育委員長の務めだから、杏寿郎が適任ということなのだろう。
 校則で、中等部以上の生徒は原則的に、全員なんらかの委員会に入ることになっている。義勇は図書委員になった。委員長ではない。月に一度、当番で図書室に行くことになってはいるが、それ以外で、義勇が委員の仕事をしているのを杏寿郎が見たことはない。ほかの委員と行動をともにしているところも同様だ。義勇はいつだって一人で図書室へと向かう。
 正しくは、ほかの委員が義勇に声をかけない。気にならないわけではないが、べつにいじめや無視をされているようには感じられないから、杏寿郎も声をかけあぐねている。ひとつ年上ということもあるし、なによりも義勇自身が近寄りがたい雰囲気をまとっているものだから、大人しい生徒が多い図書委員たちは声をかけづらいのだろう。学級委員でもない杏寿郎が、無理に強いるというわけにもいかない。
 きっと今日も義勇は、帰りのホームルームが終わったら部室棟にいくはずだ。結局、今日も会話らしい会話もなしに、授業が終わる。予想のうちだけれど、がっかりとしてしまうのはしょうがない。
 落胆のなかで杏寿郎が思い起こすのは、入学して初めて、義勇と二言以上の会話を交わせた日のことだ。



 入学して一週間ほど経ったその日、ホームルームの議題は委員決めだった。朝のホームルーム前や昼休みの教室に義勇がいない理由が、ようやく判明したころの話だ。

 どんなに話しかけても、義勇はいつでもそっけなくて、質問に返される言葉も断片的な一言でしかない。しかも、どんなに杏寿郎が頑張って話しかけても、一日のうちに一度だけ返してもらえればいいほうなんて有り様だ。
 それでも話しかけないなどという選択はさらさらなく、その日もホームルームが終わるなり杏寿郎は、会話の糸口を求めて義勇に問いかけた。

「義勇は図書委員か。もしかして、本が好きなのか?」

 返ってきた義勇の答えは「嫌いじゃない」だ。好きと嫌いじゃないでは意味が異なると思うのだが、それでも答えてくれたことに違いはない。話を広げるべく、杏寿郎は勢い込んで言葉を重ねた。
「どんな本が好きなんだ? 俺も君のお薦めならば読んでみたい!」
 杏寿郎は、読書を苦手としているわけではないが、本音を言えば体を動かすほうが好きだ。読むのも、小説よりも図鑑や指導書が多い。父の教えを優先しているが、それでも剣道に関する本を目にしたときには、一度は目を通すようにしている。娯楽としてより、勉学や向上のためにというのが、杏寿郎の読書傾向だ。
 でも、義勇が好きな本ならば、どんな内容だろうとちっとも苦じゃないだろう。それに義勇だって、好きな本の話題なら会話に乗ってくれるかもしれない。
 共通の話題ができればありがたいと、期待に心浮き立たせて言った杏寿郎に、義勇は珍しくも考え込むそぶりをみせた。
 少し目を伏せて黙り込んだ義勇の顔は、無表情ではあるが、なんだかずいぶんと真剣なようにも見える。
 そんなに考え込んでしまうようなことを言っただろうか。ちょっぴり不安にもなったが、話しかけて思案の邪魔をするのは忍びない。杏寿郎の言葉を真剣に受け止めてくれている証明のようで、うれしくもあった。

 それに、考え事をしている最中なら、じっと見つめていても気づかれずに済む。

 真白い磁器のように滑らかな頬や、少し伏せられた長いまつ毛が目元に落とす影。艶やかなサクランボみたいな小さめの唇なんかをすべて、余すことなく眺めていられるのだ。義勇の顔は、いつまで見ていたって飽きやしない。義勇のすべてが、杏寿郎の目には眩しく、好ましく映る。
 部室棟に向かうのすら忘れていたのか、掃除当番が「おまえら邪魔っ、掃除すんだからどけよ」と声をかけてくるまで、義勇はずっと黙り込んだまま熟考していた。
 結局答えを聞けぬまま、義勇はあわてた様子で立ちあがり、カバンをつかむと杏寿郎に「ごめん」と小さく謝って教室を出ていった。あれは返す返すも残念だった。
 けれど、残念なことばかりではなかったのだ。



 ここはテストに出るぞとの台詞が多くなった授業がすべて終わり、帰りのショートホームルームも終わってしまえば、義勇は、いつもと同じく静かに教室を出ていく。今日もひとりでだ。
「義勇! また明日!」
 杏寿郎が言えば、こくりとうなずいてくれる。それだけでもいいかと杏寿郎は思っている。いや、本音を言えばもっと一緒にいたいのだけれども、焦るのはやめた。
 一緒に部室棟に行こうと誘うのも、もう諦めて久しい。義勇は二年の教室に向かってから、従弟と連れ立ち部室棟に行くのだ。その習慣は今のところちっとも変化がない。
 中等部の部室棟はふたつあり、位置はそれなりに離れている。水泳部の部室は屋内プールに近く、杏寿郎の入った剣道部は当然のことながら道場に近い。まったくの逆方向だ。誘ったところで、一緒に行けるのは昇降口まででしかない。
 それに今日は火曜日だ。委員会がある。委員長は必ず出席しなければならないから、杏寿郎は部活も休みだ。
 席に着いたまま杏寿郎は、廊下をいく義勇の背中を視線で追った。白いシャツの背中はすぐに見えなくなり、杏寿郎は小さくため息をつくと、カバンからビニール袋に包まれた一冊の本を取り出した。
 それはとても古い文庫本だ。奥付には一九六九年発行とある。小口は日焼けし、ページ全体も薄茶色く染まっていた。

『パール街の少年たち』

 そんなタイトルが書かれた表紙も色あせて、潔癖症の者ならば、触れることさえためらいそうな本だ。
 それでも、持ち主がこの本を大事にしてきたのは間違いないだろう。経年劣化のほかには、傷や汚れはひとつもない。大切に扱われていたことは疑いようがなかった。

「……杏寿郎が気にいるか、わからないけど」

 いつもよりも少し早く教室に戻ってきた義勇が、席に着くなりそんな一言とともに差し出してくれた本だった。
 委員を決めるホームルームがあった翌朝のことだ。

「これが義勇のお薦めなのか!」
「杏寿郎は、好きじゃないかもしれない。つまらないと思ったら、読まなくていい」
 そればかりが気になるようで、義勇はためらいがちにうつむいていた。
「そんなこと絶対にするものか! 義勇が一所懸命考えてえらんでくれた本だ! 大事に読ませてもらう!」
 嘘なんかひとつもない。少しでも乱雑に扱えば、ページが落ちてしまいそうに古い本だ。ギュッと抱きしめたくなるのをこらえて、杏寿郎は声を弾ませた。うれしくて、幸せで、しょうがなかった。我慢しなければ、それこそ本を抱きしめ飛び上がってしまいそうなぐらいに。