今モ誰カガ教エテル
なんでも、自分的には二度目の奇跡だったらしい。あいつも、他の学校の先生に、急にカラオケルームの中に入ってこられたんだって。そこで長々と説明されている間に、友達はいつしか無視を決めて、帰っていってしまったらしい。次の日になってから『昨日、途中でどうしたんだよ~』って、怒られたみたい。もう二十歳の説明を受けていたから、トイレに行っているうちに帰られた、と逆に怒り返したみたいだけど。
私はこれから、本当の世界で生きていく事になった。この短い期間に、密集した不安や恐怖を味わったけど、今は要約そんな全てが解決した。全ては、何も変わらないのだ。
「ただいま~」
「こ~れ美味し~い!」
「お兄ちゃん漫画貸して」
「なんの復讐だよ。絶対、嫌だ!」
「おやすみ~……」
電気を消して、私はゆっくりと、眼を瞑る。
世界はいつもそばにある。
青い空を見上げる事もなく、いつものように、マンションの下を見下ろす。
すると、そこに梅達がいる。
それからは、また、学校かあ……。
布団の中がとても気持ち良かった。それも、昔と何も変わらない。
明日の学校も、朝起きる事も、かったるい。そんな事も、何も変わらない。
全く同じ、世界は一つだけなんだから。
急激な眠りに落ちていく快感も、前と何も変わらない、懐かしくもない、そのままの、そんな気持ち良さだった。
エピローグ
「都合がですね、ちょ~っと、ありましてぇ………」
「蓮加……、あんた、ちょっとそれ感じ悪いよぉ?」
梅は、どうしてこう元気がいいのだろう。
「違くて、マジだって、マジでもう一週間前から決まってたんだってぇ」
つい、にやけてしまう。
「ふふ~んそうですかそうですか、たまみ達とのディナーより、そっちの方が全然よさげですってか?」
珠美は、何でこうやって私を苛めるのか、全く……。
「もう、時間だから」
私はとうとう、にやけたまま、片手を上げて、走り始める。
「ごめんね!」
「薄情者ぉ~っ!」
「裏切り者ぉ~っ!」
駅の切符売り場で叫んだ二人を背中に、私は急いで、あの丘の神社に向かってる。
今日は、ちょうど、あいつに出会ってから、一年が過ぎた日だった。
地元の専門学校に入学した私は、今はバリバリの栄養士、候補。梅も専門学校に通って、保育士を目指している。珠美は、結局、大学に行きたいと言って、この一年を浪人中だった。
少しも変化しない駅の景色を離れて、並木沿いの公園通りをショートカットする。柵を飛び越えていったら、そこにいたカップルが眼を真ん丸にしてびっくりしていた。
夜の涼しい空気が、私の荒い息遣いに反応する。薄暗い夜の、栄えた街を越えて、新鮮な空気が停滞している、静かな住宅街の景色に入った。
あいつは、プロのミュージシャンを目指して、大阪に引っ越していった。向こうでは、アルバイトをしながら、友達と六人で八畳間に住み込み、路上演奏を頑張っているらしい。
急にきつくなった道路の坂を上りながら、そこからは、歩く事にした。
腕時計を確認してみると、もう約束の八時になろうとしている。
この前に会ったのは、四カ月も前だった。その時は向こうから連絡をくれたのだった。たまには用事でこっちにも来ると言っていたので、来たら連絡してよ、と、四カ月前に言っておいたのだ。そうしたら、薄情なもので、四か月間も、何の音さたもなかった。
でも、何だかんだと私の方も忙しかったので、この四か月間は短かったとも言える。
そして、本当に長かったとも、言えるわけだ。
息が完全にあがってくると、要約坂の途中に脇路が見えてくれた。ここまで来ると、等間隔にあった街灯の設置個所が一つ一つ遠くなっている為に、景色は完全な夜一色となっている。道路から左手側には、地元の街が夜に光って見える。右手側には、木々の壁と、神社へと通じるその細い一本路があった。
少しだけ走る事を再開させると、自然と胸が躍り出した。あれから訪れる事のなかった神社、初詣(はつもうで)さえ、私は梅達と浅草に行ってしまった為、この神社には来なかった。
もう一年も来ていない、人の気配がない、おんぼろ神社。
両脇を木々の森が囲っていて、石畳が真っ直ぐに延びている。脚元が暗くて、よく見えない、懐かしい景色だった。
石畳の路が広がっていて、森が遠く遠くの両脇に広がる。石畳の脇に、砂利がいっぱいに敷き詰められてくると、その先に、丘の先端と、ぽつんと佇んだあの神社が見えてくる。
私は脚を歩かせる。
私が住んでいない方の街。この丘はそっちの景色が一望できる。低い柵が造られた丘の展望台。すぐ近くには、砂利と、賽銭箱と、神社がある。
そいつは、あの日、私と話をした展望台の柵に腰を置いていた。よくそんなポーズをしている事が多いの。下は危ないのに、関係ないみたいに、そこに座っている。
私はその場所に向けて、歩き始めた。顔が、どうしても、言う事をきかない。
久しぶりに、成長した私を見せたいのに……。
「おお。久しぶりな」
「うん……、久しぶり」
「何で笑ってるの?」
「えぇ?」
「なんかった?」
「はは……、ははは」
ずっと変わらなかった髪型が、少しだけ長くなって、茶色に染まっていた。
随分と、大人になったように見える……。
一言を交わす度に、こいつと、私が、近くなる。
四カ月という薄情な時間が、この数分で埋め尽くされる……――。
「おかえりなさぁい……」
「うん。ただいま」
私のにやけ顔が落ち着いてきた頃になっても、私達はまだその思い出の場所で、懐かしい事や、最近の事、そんな尽きない話をしていた。
「見ろよ」
「ん?」
私はそいつの顔を見てしまった。
「この夜景の中にさ、俺達は、つい一年前まで居たんだよな」
「私は今も居るよ」
うん、そうじゃなくて――。そいつは、私を見てそう言った。
「これがこのまま、変わらない夜景だって、俺達はそう思って生活してたろ?」
「ああ……、ふふ。そうだねー」
「ここから見る夜景を知らなかったみたいに、俺達も、純粋だったよな」
「そうだねぇ」
あれから、もう一年が過ぎた。この一年に、私は十九歳になり、そして……、二十一歳を迎えた。
私はとうとう、こいつが私に感じた、その放たれる光を、発見する事はなかった。
そのまま二十一歳を迎えて、私はもう一生、後輩を迎える事はない。
「あ~あぁ……、誰か一人ぐらい、私もこの事を伝えたかったな~」
「面倒だよ」
「だってぇ、話して驚いてもらえる時って、それしかないじゃん」
「そんなの……、初めだけ。興奮されると、話す気も失せるって」
「あ……、それってもしかして、私の事言ってる?」
「だろうな」
表情豊かに変わる顔。でも、その眼だけが、ずっと遠くの夜景を見つめていて、ずっと真剣なままに見える。そういうところは、ずっと変わらないのかもしれない……。
こいつの事を、いつの間にか好きになった私の気持ち。この気持ちも、ずっと変わらないでほしい。こいつと、これからも、一緒に、ずっと一緒にいたい。
こいつってのは……、何か変か。
じゃあ、義巳を、ずっと好きでいる。