今モ誰カガ教エテル
舌に触れる肉はどれも豊潤(ほうじゅん)で、柔らかく、硬(かた)いところは硬く、とても最高に味が濃かった。それは『タレをたっぷりで』と蓮加達が希望した為である。タレのしみた大盛りの白米が、これまた最高に美味しいのだ。
「じゃーーーん! はいもう、ごちそうさまでした!」
蓮加は歓喜の雄(お)たけびを上げた。その声は学食中に木霊した事だろう。何十人かは蓮加の事を振り返ったかもしれない。しかし、連れの二人は笑っていた。
午後の授業は退屈のあまり、眠ってしまった。これは不本意に、という意味である。つまりは、居眠りなのだ。
気が付いたのは、授業の終わりを告げるチャイムであった。蓮加は呆然と顔を上げ、そして涎(よだれ)をふいた。授業終了の挨拶をもたもたとこなし、また着席する。蓮加の通っているこの学校は、午後の授業を終了した後すぐに清掃に取りかかる。それが終了してから、六時間目と七時間目があるのだ。
教室での机の列が違う梅と珠美は、いつもすぐに清掃へと向かう。蓮加も同じ列の仲間達とこの時間はだらだらと清掃場所へと移動するのだ。しかし、この日の清掃時間はやけに退屈であった。焼肉後にたっぷりと居眠りをした為か、意識が判然としない。もう、今朝から続いていたご機嫌は何処かに消えていた。
六時間目も、七時間目も、このように終わってしまった。それはまるで朦朧とする夢の中のような感覚であった。蓮加にしていれば、居眠りから眼を覚まして、総合で四十分程度の体感時間しかない。このように、精神が判然とせず、虚ろになってしまうのは、あの日以来、久しぶりであった。
下校時間が訪れると、蓮加はいつもの二人と共に、駅に向かって歩いた。
どうにも、気が落ち着かない。
「だんだんさー、まっキンキンになってきてない?」
「あ~ドライヤー。焼けちゃうんだよね~」
「えー。ワラみたいになっちゃうよ? ちゃんとトリートメントとかしてる?」
「してる。もう死んでっから、意味ないんだよね。いいんだー、切るから」
「もう復活しないのかなあ?」
「あ~……。なんかそういう薬もあっけどね。高いんじゃん?」
電車の中では、何事をしゃべったのかもわからなかった。梅と珠美が話している言葉を聞きながら、蓮加はまたあの気持ちを体感していたのだ。
それは、最近完治したと思っていた、あの疑心暗鬼であった。
電車を下車した後、梅と珠美はその脚でカラオケへと遊びに向かった。しかし蓮加は例により、それを断った。疑心暗鬼を持て余してしまえば、楽しい時間も良く分からなくなってしまうのだ。
駅から続く都会の街並みを、蓮加は久方ぶりの一人きりで歩いていた。
電車の中でも、疑心暗鬼は大変だった。梅と珠美が『髪を復活させる薬がある』という話題を楽しんでいた時、蓮加は相槌を打ちながらも、『本当か?』と、一人本気で思考を傾けていた。それは、他愛もない思考ではないのだ。
髪の毛を復活させる薬などが、本当にこの世に存在しているのか? それだけではなく、リンスやコンディショナーは、本当に髪の毛を滑らかに美しく養っているのか?
本当は、全てが嘘なのでは? 髪の毛がリンスやコンディショナーによってそうなっているのだと、皆が勝手に思い込んでいるだけではないのか? 亜開発者がそう断言しただけならば、皆はそれを鵜呑みにしているだけではないか。開発者がそれを科学的に証明したとしても、それを計測したコンピューター自体が、全てでたらめなデータを作るものだったら? 『これで栄養を取れる』とか、『これで髪の毛の成長は促進します』と思い込んでいる事が、ただの思い込みだったら? もう確かめられないよ。科学者とかが間違っていたら、私達は騙(だま)されるしかないよ。
それは、全部、真実かどうかもわからない事だ。
疑心暗鬼は全ての事に共通して働いてしまう。全ての事を、頭から否定したくなってしまう。つまりは、疑ってしまうのだ。
蓮加はまた少しだけ憂鬱な気分に陥っていた。こうなると、家までの帰路も『もっと短くなかった?』と、そうなってしまう。『もっと長くなかった?』でも別にいい。蓮加の疑心暗鬼とは無差別的なもので、その対象や理由付けは何でもよかった。
マンションに到着する前に、蓮加は深く深呼吸をした。そこは欅の木が植えてある風変わりな住宅街の路であった。
ガードレールが等間隔に生えていて、路地の道路を確認する為のオレンジ色のミラー四本、十字路に建っている。
住宅街には、何の違和感もない混雑した路の造りになっていた。東京都らしいと言えば、そのままであろう。そこを、蓮加は歩いている。否、今は立ち止まって深呼吸をしているが。
ようやく気分が落ち着きを取り戻してきた時に、蓮加は前方のガードレールに気が付いた。
「あ……」
欅の木が、アスファルトから生えている。その前には短いガードレールがあり、やはりそれもアスファルトから生えている。
そして、蓮加の見つめるそのガードレールに、そいつが佇(たたず)んでいた。
そいつは遠目に蓮加を見つめ返していた。
蓮加も、ただ茫然(ぼうぜん)とそいつを見つめていた。
自宅はそちらの方向にあるのだが、脚がまだ歩こうとしない。頭だけが、まずはそれを受け止めようとしていた。
あれは、夢ではなかったのだと……。
4
頭の中は、すぐにパニックしていた……。
こういう時にはどうしたらいいのか、私は全くそれがわからなくて、ただ路の途中で、そいつを見ていた。
そいつは……、あいつだった。
何日か前に、いきなり教室に乗り込んできた、ハンサムな人。
ここまで慌てたのは、生まれて初めてか、珠美が転んで泣いた時以来だ……。
向こうを見ながら、私は路の途中で立ち止まっているんだけど、それがね、向こうもその時、私と同じだったの。こっちを見たまま、止まってる……。
なんか、もう怪しいを通り越して、怖い。ハンサムな顔が黙ったまま、何かを言いたそうにこっちを見てる。
十メートルもない。そこのガードレールから、ずっとこっちを見てて、今にも動き出しそう。口も動きそう。
どうしよう……。とか考えないで、私はもうそいつに歩み寄っていた。
「この前の人でしょう?」
そいつは落ち着いたまま、私に頷いた。
「あの……、この前のは、何だったんですか?」
それ以上の言葉が出てこなかった。
心臓がバックんばっくんいってて、頭はもっといっちゃってる。
顔がハンサムなのも、ちょっと話すのに困った。
そいつは少しの間、私を無視してたんだけど、やっと、ちょっとずつだけしゃべり始めた。
それがまた……、よくわからない内容だったんだ。
「ゆっくり話していくから、まずは落ち着いて、話を聞ける状態にしてもらえますか」
その時の私の頭の中は、もうパニックよりも大変だった。
流されるようにしか、もうならないの。全部真っ白。
「わかった」
私は頷いた。
それから、そいつの話は始まった。
「最近さあ、なんか変な感じがしてたでしょう? してなかった?」
それは、最初に会った時も言っていた事だった。
「それってどういう事?」
「あれ」