今モ誰カガ教エテル
「これは俺達にしかない情報なんだ。自殺の原因は、ただのノイローゼになる。あんただって別に例外じゃない。それにっ、俺だって別に好きでこんな役をやってるんじゃないからな!」
「何それ……」
「あんたが、二十歳だってわかっちゃったんだよ。これが、二十歳になった人類だけの、約束なんだ。二十歳を迎えようとしている人間を見つけたら、発見者が絶対にその説明をしてやる。もっと詳しく言うとなぁ、二十歳をおめでとうって祝ってやるのまで決まってんだからなあ? ある意味、法律みたいなもんなんだよ、俺に文句言わないでくれっ……、とは、言えないけど……、文句は仕方がないらしい。でもさっ、人が真面目に話してるんだ、あんたの為に、わざわざ俺は予定を返上してここに居るんだ、この前も、予定を潰してあんたに二十歳の説明をしに行ったんだっ、文句っ……言っても、いいけどさ、ほどほどに、してくれよ」
凄い剣幕だった。
そいつは、そのまま顔をしかめて、少しだけ、私に言葉を残していった。
そいつが立ち去った後は、私もすぐに家に向かって歩き始めていた。
何が起きたのか、少しずつ、私は理解しようとしていたのだろう。それは、その帰り路で感じた、途方もない恐怖心が教えてくれた。
5
登校組が三人から五人に増えた事で、私な朝は更に賑やかになった。そしてその賑やかに紛れているかのように、あの私の疑心暗鬼も、さっぱりと姿を見せないでいた。
電車の中で梅と珠美の馬鹿騒ぎを聞きながら、私はあいつの事を考えていた。
耳元で囁かれたあの声、あの声が、本当に私の疑心暗鬼を治したのだろうか……。
あいつは、本当の事を言っていたのだろうか……。信用や信頼なんて言葉は浮上さえしないが、そうでないと、話が可笑しい。
教室で起きた事も、気の葉っぱが一度消えて見えたのも、私が疑心暗鬼に陥っていた事も、全部が事実ではある。私はその説明を持っていない。
でも、あいつならば、きっとその説明ができる……。というか、もうしていた。
私の意識は何をしていても、もうあいつの事ばかりを考えていた。あいつは何処に住んでいて、どんな生活を送っているのだろう。
あいつは、果たして人間だったのだろうか――。
疑問や思考は奥が深かった。絵空事の空想ではない思考が、こんなにも答えの出ない難関に挑むなんて、これまでの人生では到底想像もつかない現実だ。つまり、あいつはそれが本当の世界だと私に訴えたかったわけで……。
私は実際に、二度も、説明のつかない怪奇現象をこの眼で確かめてしまったわけで……。
電車を降りた。四人と楽しい話に花を咲かせて、学校まで、のんびりと歩く。
私は二十歳……。よくよく思えば、私はその意味不明な理由をまだ聞いていなかった。
確かめる術もない。もう、あいつは来ないし、私にはどうする事もできない。そして、あいつが言った通り、どうするという必要もなかった。
何が嘘なのか、そんなものは何も全く見えはしない。たまに物を凝視すると、パッと映像が変わる事があったけど、大した変化でもない。この前、お父さんが気に入っている家の花瓶でそれをやったら、濃かった碧(あお)色が、ほんの少しだけ、薄くなっただけだった。
変化なんてそんなものだった。他にもあるのかもしれないけど、そんな事には、絶対に気付けない。気づく方が絶対的に難しい。たぶんあいつは、それを言いたかったんだろう。
だけど、ただ一つ、前と決定的に変わってしまった事があった。それは、男子との会話が関係している。
それは、普通に話をするのではなく、男子には、耳元で囁いてほしい、という欲求だった。別にこれといった意味はない。ただ、そうやって聞くと、おそらく私は何でも素直に話を聞ける。もう疑心暗鬼は治ったけど、そうじゃなくて、言葉自体に興味を持てる。
つまり……、私はあいつを、心の何処かでまだ、待っている。
学校に到着した後は、だらだらと昇降口で靴から上履きに履き替えた。珠美はいつでも元気だ。梅も典型的なセクシー能天気だし、史緒里と楓は。絵に描いたようなお人好しだ。
教室に辿り着くと、私も含めた梅と珠美の話題が『最近何かあった?』というものになっていた。
私ははっとなって、その会話に集中した。
「耳かきやってたらさ~、いきなり、ティファニーちゃんが脚の裏なめてくるからさ~、マジで鼓膜(こまく)いくかと思ったよ」
珠美の近況報告は、愛犬のティファニーに脚をなめられた事らしい。
「梅はぁ?」だらしなく、珠美がきく。
「姉貴かなあ?」梅は顔を苦笑させた。「そのぐらい」
「姉貴?」珠美は派手に顔をしかめる。「が脚なめたの?」
「ぶぁっかかよてめー? 馬鹿かーん? バッカだな? 馬鹿っかよ? 馬鹿ーん?」
梅の激しい突っ込みに、私は思わず吹き出した。
「姉貴がダイエット失敗して、八つ当たってきたから、返り討ちにしたって言ったでしょ?」
「な~んだ、まだそんな話題しかないわけか。鬼ひま……」
「何それ……、耳かきって話題なわけ?」梅はひねくれた顔で、私に視線をよこす。「蓮加は?」
「えっ?」
不意に食らったカウンターパンチだった。気を引き締めていたはずなのに、なんちゃってアイドルのお笑いショート・コントにやられてしまった。
私は態勢を整え直す。仲が良いとはいえ、到底笑える話題というわけではない。
「あー蓮加? な~にもない。別に……あ、しゃぶしゃぶ食べた」
「ま~た食いもんかよ」呆れる珠美。
「いいなぁ……。美味しかった?」梅はにこやかにきいてきた。
「もうねっ……、すんごい、もう、もうね……とろけた! ENの新人ライバー様観ながらだったからよけいにとろけた!」
授業開始の模擬チャイムが鳴った。梅と珠美が席に戻り、私は新人ライバー様の話題の余韻を引きずってにやけ、そのまま、本当の事である近況の話題に思考を投じていた。
授業が始まっても、私が居眠りする事はなかった。耳元に残ったあの声が、私の胸を締め付けている……。
もう、あれから一週間が過ぎていた。あのガードレールの十字路に、あいつは、あれから一度も現れていない。初めて会った時のように、教室にも現れてくれない。何処にも、もうあいつの気配を感じる事はなかった。
伝える事があると言っていたあいつは、もう私に全てを伝え終えてしまったのだろうか。意味も分からないままの私は、このまま、意味不明の成人式もなしに、人生を生きていくのだろうか。
このままでは、私の中であいつの存在が可笑しくなってしまう。昨日なんて、私はお風呂場の湯船の中で、あいつに『もう一度会いたいの。出て来て』と、意味不明な事を祈ってしまった。神様の遣いとか、たぶん昨日の私はあいつの事をそんな感じに捉えていたのだと思う。
言われた事だけを考えれば、あいつは人間っぽかった。でも、現象とかで考えていけば、恐ろしいほどに理屈が通らない。そう考えれば、あいつが人間であるはずはないのだ。