今モ誰カガ教エテル
でも、それでも私は、たぶんあいつだったから、多くの不可思議を受け入れる事ができたのだろう。今ではあいつの言った『現実の中の嘘』という事を、眼の錯覚、と考えている。そうすれば、簡単に納得のいく話だった。大袈裟に、世界中の九十%が嘘も本当として見てるとか、十パーセントだけが気付けたとか、そうやってややこしく言う必要もない。だって、本当に何も変わらないのだから。
ただ、今まで信じていた現実は、全てが本当ではなかったという、それだけの事。例えば、駐車場に五台の車があって、みんなにはちゃんとそう見えるのに、急にそれが四台だっていう、本当の事に気付けるようになったとか、そんな事でしょう?
あいつが帰り際に言った事で、私は何となく、それが本当だと理解した。
「ちょっと……、どこ行くの? まだ話し終わってないじゃない」
「だってあんた、興奮しててさ、こっちが怖いし」
「興奮するに決まってるでしょぉ?」
「だから……、あぁ、いいや。最後にこれだけきいて下さいよ」
「何……」
「心霊写真ってさ、あるでしょう?」
「うん……」
「あれって世界的なメジャーな現象なんだよ」
「うん、だろうね……」
「あの中に、唯一、本物がある」
「えっ?」
ちょっとだけ、また私の近くに戻って来て、あいつが言った。
「実写の大きさでさあ、手とか、脚とかが映り込んでる心霊写真ってあるよねぇ?」
「ある…ね」
「幽霊はいるよ。んもう、それこそうじゃうじゃといる」
「……えぇ?」
「街で遊んでたり、聞こえない声で、ずっと生きてる奴らをナンパしてたり、誰かに憑りついて、嫌がらせする機会をうかがってたり、まあ、大抵は無害な幽霊ばっかりみたいだけど」
「はぁ? ちょ……、何?」
「手とかさ、脚とか? 実写のサイズで映り込んでる心霊写真、あれは全部本物の幽霊の写真だ」
「えぇ?」
「ああいう写真を撮った人達は、全員、俺達みたいに、二十歳を迎えてる」
「はあっ?」
「今はまだ難しいだろうけど、話してる俺だって、つい半年前に二十歳になったばっかりなんだ。大した事はないけど、こっちだって……、まだ、緊張してるんだからさ」
「ちょっとちょっと……え、ちょっと何ぃ?」
「だから、二十歳を迎えるって事は、見えなかったけどぉ、そこには本当に存在していたってものが、逆に見える、つまりはものが増える事にもなる」
「はい?」
「俺だって……、神様は、居るのか…とか、まだよくわからないんだから……。じゃあね」
これは、見ているものが減るだけでもない。増える事もある。つまりは、本当の世界というものが、ようやくちゃんと見えるようになったのだと、あいつは言った。
嘘には、もう思えない……。
本当だとして、じゃあ、あいつは一体何者?
人間だとは思う。半年前に二十歳になったばっかりだ、と自分でも愚痴を言っていたし。けど、じゃああいつは……、教室の時に、姿を消していたの?
一時間目と、二時間目が終了するまで、私はやはりあいつの事だけを考えてしまっていた。世界が変わった瞬間だとか、おめでとうだとか、随分と無責任な事を言い残しておいて、そのまま私を放って置く事が許せない。きっと全部本当なのだろうけど、ならば、もっともっと、逆に大袈裟に私を扱ってくれるべきだと思う。
教室から廊下に移動する。いつも通りの作業だった。二時間目終了時間から、三時間目開始の時刻までには、二十分もの休憩時間があるから、その間に私達はいつも生理現象を済ます。でも、私は登校と同時にそれを済ます習慣があるので、この時は大抵がトイレの前まで二人に付き合うだけだった。トイレは、この時間帯、異常なほどに混み合う。
「行ってらっしゃい」
私は女子トイレ前の廊下で、気の無い声を二人に送った。
「あ、じゃあさ、史緒里達んとこ行っててよ」
「ほーい」
梅にそう言われ、私はまた気の無い返事を返した。
「C組だぞ」と珠美に言われる。「ボケ~っとしてるから、E組に帰りそう」
「だいじょぶでーす」
適当に答えて、私はその混み合った廊下を歩き始めた。
騒がしい声が賑わう廊下、思えば、E組の私が三年C組に向かうのは、これが初めての事だった。もっと考えてみると、昇降口以外の学校の中で、楓と史緒里と喋るのも、これが初めてになる。
気が付くと、もうC組の前に来ていた。やけに短く感じる。トイレからは、さすがにC組の方がE組よりも近い。
これがまた、他の教室に他者が入るというのが、くだらない緊張を誘うのだった。しかし無理もない、私は、C組にはあの二人しか知り合いはいないのだから、私に注ぎ込まれる視線の全ては、部外者の者を見つめる冷たい視線なのである。
扉に手をかけると、なぜだか心臓が活発に活動を始めた。世界が変わったとか、二十歳がおめでとうだとか、そんな事はこの瞬間の緊張に比べれば、屁でもない。
運悪く、その教室の扉は前もうしろも閉まり切っていた。でももう約束をしてしまったわけだし、またトイレの前に戻るというのも何なので、私は思いきる事にした。
扉を開けた。ガラガラガラ――という、扉の開く音だけがその教室に響き渡っていた。
扉の開閉音が止むと、何も聞こえないそんな痛い沈黙と、まるで宇宙人でも発見したかのようなそんな痛い視線が私一人だけに集中していた。
私はわざとらしく、すぐに、じゃーーーん、と、大声で両手を上げた。
「あー蓮加だ」
「蓮加ちゃ~ん!」
どうやら、この教室では、楓と史緒里は少し意見力のある生徒だったみたい。この状況で気にせず声を出せる事が頷かせる……。ちょっと、助かったな。
「じゃーーん! 待ったあ?」
私が歩き出す前に、すぐに教室の中は、またざわざわと騒ぎ始めてくれた。
世界がどうのよりも過酷な、どうにか、助かった……、という気持ちだった。
6
梅と珠美はすんなりとC組の教室に入ってきた。金髪の珠美なんて、C組の男子達と仲良く片言を交わしたぐらいだ。梅には楓と史緒里の他にも沢山友達がいるみたいだったし。私は随分と損なタイミングで入ってしまったらしかった。
「次の授業って何ぃ?」珠美は気の抜けた炭酸みたいな声を出す。「体育って今日ある?」
「ないない、なんで?」史緒里は真面目に答える。この子は私よりも落ち着いている。
「ジャージ貸してくんない?」
「いいよ、別に」楓が即答した。「私の方がサイズ合うよね?」
「あ~りがと~う」
私も気楽な会話をしている。そういえば、体育があったんだか。
「体育やだな~……、れんか今筋肉痛なのに~……」
私は趣味でやっているダンスで、しょっちゅう筋肉痛に悩まされている。そんな日の私のとって、体育は強敵だった。
「ダンスか?」梅は表情を濃く怪しくする。普通にしていれば美人さんなのに。「ま~だビルの窓で踊ってんの?」
「窓って言うなよ……。もうそこじゃない、今は室内」
「ちょっとここで踊ってみてよ」そう言うのはいつも珠美だった。決まっていつも顔はにやけている。「ヒップホップのやつやってよ」
「やだよ」と私はいつも言う。そりゃ嫌だ。「あ~……お腹すいた」