今モ誰カガ教エテル
梅が気を遣いながら、私に声をかける。
すぐに珠美も近寄って来て、蓮加凄すぎ……と、苦笑していた。
休憩時間が終わると、私達はE組の教室に戻った。さっきの事は、そのまま告白事件と称され、友達に大いに気を遣わせてしまった。かと言って、私的には特別気にも留めていなかったけど。
三時間目の授業で考えた事は、藤堂義巳が、もしかしたら『あいつ』ではないのかもしれないという事だけ。それだけで、五十分という時間はすぐに過ぎていった。」
「大丈夫っすか?」
「気ぃ落すなって、ね」
「あー、大丈夫……」
その休憩時間は、とてもじゃないけど、C組に行ける気分じゃなかった。
お昼休みも、清掃も、そしてそれ以降の授業も、私は気を落とすしかなかった。元々計画していたことが何もできずにいる。というか、もうできそうもなかった。あんな態度を取られたら、どうやって実行すればいいのかわからなくなってしまう。
ここでは話しかけるな。そういう意味なのだろうけど、そんな保障さえない。
藤堂義巳が『あいつ』ではなかったら……。その思いが、下校時間にも続いていた。
リーダー役である梅を始めとした四人は、電車を降りるまでずっと私に気を遣っていた。交わした言葉も、纏めて三分程度だっただろう。本物の気まZとは、こういう事を言うのかもしれない。
地元駅の最寄りのゲームセンターでは、失恋記念だ、と開き直って、四人とプリクラを撮る事にした。
梅が、私のおごりだ、と五百円を入れて、あんたが主役、と珠美が私を真ん中に担ぎ出した。その時に楓が急に、あ、じゃあさ、ヅラとかかぶろうよ、と言いだして、気付いてみると、私はプリンセスに変身していた。全身用のプリクラだったので、私服の上に丸かぶりのドレスとロールの金ヅラで、普通に撮った方が百倍可愛いな……、と私は軽く残念がっていた。
「そんじゃあね蓮加。元気出しなよ」
「ん」
四人がカラオケに誘ってくれたけど、私は、やはりそれを断った。家に帰って寝ると、四人にはそう伝えた。家に帰っても実際には何も変わらないのだけど、今の私は、リクエストされても、乃木坂46の岩元連化を真似る自信がない。
今は、あのハンサムな顔が、急に他人になってしまったのかと、ただそれに怯えるだけ。
突然現れたあいつが、どれだけ、これからの生活においての力強い味方だったのか、それを後悔するだけ……。
駅から遠ざかっていく見慣れたはずの帰路も、こんなにさっぱりしていたか、又もしくは、こんなにも雑然としていたか、今ではもう確かめる事ができない……。
幽霊が普通に街をうろつくような世界を、私は歩いている。
この、私のすぐ横に並ぶガードレールも、歩幅に合わせて移り変わっていく雑草も、本物なのか、偽物なのか……。ふと、寂しい気持ちになっている。
余計なものを見ないように、脚元に視線を落としていた。脚元だけでも、充分に家まで辿り着ける。元々、ここはそういう景色、そういう世界だったのに……。
二十歳って、なんなのよ……。
気が付くと、私はあの木を見つめていた。
あの日話したガードレールの前に立って、いっぱいについた緑の葉っぱを、消さないように、そっと、瞬きなしで、見上げていた……。
「そうそう、やっとわかってきたな」
びくん、と耳が勝手に動いた……。私はゆっくりと、うしろを振り返る。
そこには、あの日のガードレールに腰を置いている、あいつの姿があった。
そして、やはり同じ学校の制服を着ている。
それは藤堂義巳(とうどうよしみ)だった。
藤堂義巳は私の表情に構わず、前の木を指差していた。
「前と同じものをイメージするっていうか……、そうやって慎重な心構えで見ていれば、意外と前と何も変わらないんだよ」
私の顔は、たぶん弱々しく歪んでいる。
いっぺんに襲ってきた、そんな感情だった。
世界で唯一の……、私の、味方――。
「ようやく、落ち着いてきたみたいだね」
馬鹿……。
「え?」
「ばか……」私はそいつを睨んだ。「あんたねえっ……」
「なんだょ」
安心した途端、大波のような泣きたさが、いっぺんに噴き出しそうになった。
何もしゃべれなくなる……。
「学校では、無駄な話をしないでくれよな。これは俺達二十歳にしか理解しようがない。別に、他の奴らに言ったっていいし、聞かれてもいいけど、そんな事したら、俺達はただの妄想野郎って事になる。損だろ?」
何も言わない。涙が出ないように、口を不気味に曲げて、じっと見つめる。
それでも、どんどんと眼がしらが熱くなっていく……。
「とにかく、自分が大した世界にいないって、もうわかったよね?」そいつはすっきりとした、無表情だった。機嫌が良く見える。「別に変化なんてないよ、ただ、これは実話で、あんたはそれを知れたってだけ」
「変化ばっかりじゃん!」
私は言った。
もう、涙はとうにこぼれていた。
「そりゃ多少は……。え、何か…あった?」
「何かって、昨日ここで幽霊を見たわよっ」
興奮して大声を出したから、泣いちゃうかな、とも思ったけど、口に出した言葉が変だったので、私の涙はそこで一度止まってくれた。
「じゃあ、霊感がついたって思えばいいじゃないか……。見えたって、ちょっと見えたかどうかだろ…どうせ」
「チッカチカして、ちゃんと、はっきり見えた」
「……じゃあ、元が霊感が強い家系なんだ?」
「…ん? ……うん、たぶん、強い」
「幽霊見えたからって、泣いたの?」
「それだけじゃない……」
私の気持ちは、もう落ち着いていた。
それから、私がこの場所は嫌だからと言って、私達は駅の方に移動する。そのまま駅を通り越して、少し遠くにある、丘の上の神社に移動する事にした。場所に指定は、こいつがした。
溢れんばかりの思いを隠したまま、私はその神社を濃いつと目指す。大きく広がりを見せた空が、徐々に夕焼けを迎えている。それを少し意識しながら会話をして、私は安心の溜息をついていた。
私達は、ついに神社に到着する。昔と何も変わらない、しっかりと赤く染まっている、この夕焼けの世界で。
9
到着したのは、もう随分と歩いてからだったから、私達の理解は程よく行き届いていた。
私達が幽霊に憑りつかれる事は、滅多にないらしい。
神社の境内(けいだい)を見て私が怯えていると、こいつがそれを教えてくれた。
「あの賽銭箱で遊んでる幽霊いるでしょ、あいつだって、俺達に見られてるって気付けば、絶対にいなくなるよ」
「え…え、何で?」
私はテンパってしまっている。パニックに近い。
そいつが言っているのは、賽銭箱のそばで、裸のままで煙草を吸っている、三十代ぐらいのチカチカした男の幽霊だった。
「見ててね」
「え……、ちょとやめなって」
そいつはつかつかと、その賽銭箱の前まで近付いていった。
その幽霊は、ちょっと信じられない事を、した……。
神社のお堂に手を合わせている藤堂義巳に、お尻を向けて、なんか変なダンスを踊っている。
私は思わず、声を殺して笑ってしまった。