忘れないをポケットに。
磯野波平は、噛り付くように、巨大スクリーンの北野日奈子を見つめる。
いつだっけか、きいちゃん泣いたよな。
いつだっけか、きいちゃん、笑ってたよな。
いつだっけかな。俺がきいちゃんに恋をしちまったのは……。
それは最初っからなんだろうけどな、真の恋心はそうもいかねえ。マジでDDじゃあねえからな。好きになれても、恋をするまでにはかなりの時間がいる。
で~もな、きいちゃんには、ころっと持ってかれちまった。
何を? て? 魂だろうが。心だぜ、きいちゃん。
マジで好きんなっちまったんだ。愛犬を大切にするきいちゃんも、同期を大事にするきいちゃんも、落ち込んだ時、自然と笑いかけてくれるきいちゃんも。
俺の事、嫌がんなかったよな。俺ぁたまーに、やりすぎちまって、本気で嫌われる事もあんだ。まあ自分が悪いんだけどな。
きいちゃんは、俺の事、ダチみてえにして付き合ってくれたな。
感謝してっぜ。
本当は抱きしめて、どっか遠くに逃げっちまいてえぐらいなんだが……。
本気できいちゃんの事信じて、応援する気満々だからよ。
今は一回バイバイ言っとくわ。
そんでまた出会えたら、結婚し
笑い合おうぜ。
なあ、きいちゃんよ。
「きいちゃーーーーーん!」
磯野波平は、溢れる涙を片手でぬぐいながら、大きく叫んだ。また何処かで彼女を見つけるその日までの、サヨナラのつもりで――。
ブルーのライティングの中、『ルート246』が爆発する。センターは北野日奈子である。紫色の衣装もブルー一色に染まっていた。
北野日奈子の「皆さ~ん最後まで盛り上がっていって下さーい!」という煽りから始まるのは『ガールズルール』であった。センターは北野日奈子である。爽やかな褐色に染まる青春のサーチライトがステージを交差する。会場中を走り、ファンに掛け声をかけた乃木坂46は、笑顔でまた、『ガールズルール』を歌い終えた。
『裸足でサマー』が真夏を演出するライトの下、始まる。センターは北野日奈子である。計り知れないパワーを持ったステージとなった。
北野日奈子のMCで、残るところ、あと二曲となった事を知らされた。
北野日奈子の思い入れのあるライブと同じアレンジで行われるというのは、『僕だけの光』であった。隠れ名曲と名高いこの一曲の放つ純粋な力のような輝きは、乃木坂46の姿に相応(ふさわ)しいのではないかと、ふと自然にそう思わせる楽曲であった。
乃木坂駅を出発する汽車の演出で、『君の名は希望』のインストが短く流れ、車掌のアナウンスが北野日奈子のラストランを解説した。汽車が発車する激しく明滅するライトの青いライトの海の中、北野日奈子そのものともいえる渾身の一曲、『日常』が始まった……。
ライティングが、紅いカラーに移り変わる。紅の中に白や紫や赤がフラッシュする。
間奏では、紫の中にフラッシュライトが明滅した。
大迫力のパフォーマンスの中、会場中が青のサイリュウムに染まっていた。
北野日奈子は「これからもみんなで歌い継いでいってくれたらなと思うので、よろしくお願いします!」とこれを乃木坂46に託した。
姫野あたるは、その眼を閉じた。涙がこぼれ落ちる……。
きいちゃんは乃木坂の太陽でござった……。小生は、小生は、僕は……。
そんな君に出会えて、本当に良かった。
きいちゃんを心から愛してくれたヲタの存在を、何よりも同士に思う。
きいちゃん。きいちゃん。ああ、きいちゃん……。
また呼ばせてほしい。きいちゃんと、馴れ馴れしく。仲良しみたいに。
乃木坂46の二期生という、伝説の存在に君はなるんだ。
僕はそれを、目の当たりにした。
そして君は羽ばたいていく。この乃木坂46というホームから。
その道が暗く見えずらくなったならば、僕ら君の大ファンが、一個一個、キャンドルを灯すから。迷わずに飛んでほしい。
無限大に広がる、未来という大空を――。
忘れるわけなんてない。
忘れるもんか。
忘れない。
きいちゃん、乃木坂46卒業、おめでとう。
これからも大好きだよ!
「ぎいぢゃーーん! ぎいぢゃーーーーーん!」
姫野あたるは、大声で夢中になって北野日奈子の名前を叫んだ。希望の方角へと、歩き始めた彼女の名を――。
ありがとうございます――。
一秒一秒、大事にできたなって、思います。
和田まあやのMCで、本日は、本当にありがとうございました――と、深々と頭を下げた乃木坂46は、大きく手を振りながら、ステージの果てへと帰っていった。
九年間、太陽の様なその笑顔を見守ってきたオーディエンス達が、クラップを開始する。
その音は会場中に木霊し、徐々にそのスピードを速めていく……。
紫一色の会場。
木霊する、アンコールを熱望する手拍子。
サイリュウムはピンクと黄緑。
止まないアンコール……。
「感動が、大きすぎるよ、きいちゃん……」夕は、溜息のように、そう涙声で呟いた。
「これは、忘れられない」稲見は深くそう思い、囁いた。
「天野川、お前泣いてんの? があっはっは」磯野は笑う。
「そりゃてめえだろうが」天野川は溜息を吐いた。
「きいちゃんって、すっごい素敵な人だね……」来栖は、涙をぬぐいながら、なんとか声にして呟いた。
「可愛すぎる人でござる……、その心は純情無垢、穢(けが)れを知らぬでござるよ。尊いでござる……」あたるは腕で顔を隠しながら、泣き声で囁いた。
「忘れない……、誰がなんと言おうと……」比鐘はぼそっと呟いた。
「お別れではないですよね、きいちゃんさん」駅前は両手で顔を隠して泣いていた。
「きいちゃん可愛い。可愛すぎるわ……」兎亜はなきべそをかいていた。
「感動いたしました。きいちゃん……」咲希は涙をぬぐって、囁いた。
ステージに舞い戻った北野日奈子は、漆黒のロングドレスを身に纏っていた。
声を詰まらせながら、思いの内を語る彼女は、どこか懐かしい笑顔であった。
「好きな気持ちが募るばかりです。大好きで大好きで大切で仕方なくて、自分はどうしたら、そんな好きなものの一部になれるかずっと考えて、考えて過ごしていました。思いが募るばかりです。その思いが届かなくて、希望に破れて、大好きな気持ちがわからなくなってしまう日もありましたが、こうやって最後の時まで、どうしたって大好きなんだなと、このグループの事が本当に大好きで大好きでたまらないんだなと、思います」
乃木坂46の事が、大好きで大好きで、たまらないんだなと、思います……。
北野日奈子は、文字にしてきた言葉を披露する。
それは、スタッフへの深い深い感謝の言葉。
それは、メンバーの皆への深い深い愛情の言葉。
「みんなに出会えて、本当に幸せでした。来世もみんなで乃木坂46をやろうね――。大好きな先輩、大切な後輩のみんな、これからもずーーっとよろしくお願いします」
それは、家族たちへの深い深い感謝の言葉。
一番近くで、応援してくれて、本当にありがとうございました――。
それは、北野日奈子を心から愛するファンの皆への言葉。
きいちゃんなら大丈夫、大好きだよ。という言葉が、本当に励みになりました――。
作品名:忘れないをポケットに。 作家名:タンポポ