忘れないをポケットに。
「ハーウス!」夕は驚いたように叱る。
四期生達はプール・サイドのテーブル席でくつろいでいた。
「このたび、かっきーは柚菜のものになりました」柚菜は嬉しそうに微笑みを浮かべて言った。
「え、そうなのー」遥香は笑みを浮かべる。
「違うよ」真佑は言う。「かっきーは私のだよ」
「違うよ」柚菜は真佑を見つめて言い返した。「私のだよ。私のものになったの」
「違うよ、だってうちら、夫婦だもん」真佑は遥香を一瞥して小首を傾げた。「ねー!」
「うん。ねー」遥香は笑う。
「違うよ、だってね、ガチで言うとね」柚菜は負けじという。「かっきー、柚菜としかご飯行った事ないから」
「あ、かも、ね」遥香は驚いたように納得する。
「夫婦だよ、夫婦なんだよ?」真佑は柚菜に言う。
「えーんまゆたーん」聖来は泣きそうな表情で真佑を見つめた。「うちら恋人やなかったーん……」
「あ、そうだね」真佑はにこやかに開き直った。「ごめんごめん」
「じゃあかっきーは柚菜のものね」
「ダメだよ」真佑は言う。
「えへーん、愛が足りひ~ん……」聖来は泣きそうな声で言った。
「愛が足りひーん……。似てる?」悠理は聖来のものまねを披露した。
「似てへぇん!」聖来は悠理を笑みながら睨む。
「じゃあ、さくらは、悠理のものね」悠理はどや顔で言い放った。さくらを見る。「いい?」
「え。いいよー」さくらは一瞬考えるような素振りを見せてから、はにかんだ。
「悠理は、レイちゃんとライバルなの。恋のライバル」悠理はドリンクを手に取りながら皆に言った。「さくらを取り合ってるの」
「じゃあ、せーら」遥香は片手を差し伸べて微笑む。「私のものになれ」
「えへー?」聖来は屈託なく微笑んだ。遥香に手を伸ばす。「なるー!」
「ダメだよ」柚菜が言った。
「独占欲強いな……」明香はにこにこしながら呟いた。
「じゃあさ、ダンスバトルで決めたらいいよ」紗耶は笑みを浮かべて提案した。「ダンスバトル……」
「そーんなの、やんちゃんが主導権握っちゃうじゃーん」悠理は笑いながら言った。
「紗耶は参加しないから」紗耶はナッツを食べる。
「ダンスか~」聖来も己が注文したナッツを頬張った。「ここのナッツもおいひいやんなあ……」
「美味しいね」紗耶は聖来に微笑んだ。
「明日、ライブだからそろそろ寝た方がいいのかなぁ?」さくらは皆の表情を窺うように言葉にした。
「え。寝る前にもの食べない方が良くない?」紗耶は皆の顔を見る。
「時間あけた方がいいって事ぉ?」悠理は紗耶にきいた。
「うん」
「大丈夫じゃない、あの、これ、ささやかな食べ物だから」遥香は言いながら己の発言が可笑しかったのか、笑った。
「ささやかな食べ物……」柚菜も笑う。
「おつまみね」真佑は微笑んで言った。
「知ってた? ナッツってカロリー、結構あるんやで」聖来は謎の笑みを浮かべる。
「結構食べちゃったね」紗耶はさっぱりとした表情で言った。
「私、一つもまだ食べてない」さくらはきょとん、と呟いた。
「あ可愛いねー、食べてないのまだー、あ可愛いねー食べたいのー」柚菜は子犬をあやすようにさくらに言う。
遠藤さくらは微笑んだ。
「さくちゃんって、小食だよね」紗耶はさくらを見つめて言った。
「小食~」真佑もさくらを見つめる。
「だから、あれだ、細いんだ、ね」遥香ははにかんでさくらに言った。
「ううん」さくらは首を振る。
「明日、新内さんの卒業セレモニー、頑張ろうね」柚菜はナッツに手を伸ばしながら皆に言った。
その場にいる四期生の誰もが、瞬間的に凛々しい表情を浮かべて頷いていた。
3
秋田県の笑内(おかしない)に在る、とある山の麓(ふもと)に建つ二階建てコンクリート建造物の〈センター〉にて、茜富士馬子次郎(あかねふじまごじろう)こと通称夏男(なつお)と、姫野あたるは、二千二十二年二月の半ばにあたる今日この頃をゆったりと過ごしていた。
姫野あたるは、まだまだ冷え続ける寒気を取り除くかのように、キッチンの二重窓をしっかりと閉め切った。
「煙草吸い過ぎだね~、俺達」夏男は新しい煙草に火をつけた。「ダーリン、何で赤ラーク吸ってるの? 美味しいから?」
「美味しいでござる」
姫野あたるは、キッチン・テーブルの、ちょうど夏男の正面にあたる席に腰を落ち着けた。
キッチンの壁に飾り付けられている木製の古びた壁掛け時計が示している時刻は、午後の五時をちょうど過ぎたあたりであった。
「夏男殿は、恋をしているでござるか?」あたるは不意に、夏男に尋ねてみた。
「んー?」夏男はあたるの方を見る。「恋、か~……。してない、ね~。今はもう。言っちゃえば、愛ならあるけどねえ」
「愛でござるか!」あたるは興奮する。「一体誰に?」
「いやあ、それは元モー娘。のみんなにだよう」
「ははあ、そうでござったな……」
「ダーリンは?」夏男は頬杖をついて、にこやかにあたるを見つめる。「恋愛中ですか?」
「恋愛中かどうかは、わからぬところでござるが……。恋ならば、しているでござる」あたるは、恥ずかしそうに、うつむいた。「乃木坂に、恋をしているでござるよ」
「あーそうだよね、そりゃそうだ」夏男は笑った。
「身分違いの恋でござるゆえ、一生のところ片想いでござるが、小生はそれがいいでござる」あたるは顔を上げて、明るく夏男に微笑んだ。「小生と乃木坂が、学校や職場の同僚だったとしても、小生は想いを伝えずに、一生いるでござるよ。けれど、乃木坂はアイドルでござる。ゆえに、好きだと言っていい存在でござる。それが、とてつもなく尊いんでござるよ……」
「今度は、誰が卒業するの?」夏男は、思い切ってそうきいた。
「二期生の、……北野日奈子ちゃん、でござる……」
姫野あたるは、表情を暗いものに一変して、そう力無く囁いた。
「きいちゃんか」
「!」あたるは夏男を真っ直ぐに見つめる。「知っているでござるか!」
「うん、知ってる」夏男は旨そうに煙草の煙を吐き出して、微笑んだ。「可愛い子だよねえ」
「はいそうでござる!」あたるは激しく頷いた。「まま、みんな可愛いのでござるが」
「うんきいちゃんでしょ?」夏男は言う。
「はいでござる!」
「ニューカレドニア、堀未央奈ちゃんと行った子だよねえ?」
「そーうでござる!」あたるは背をのけぞって反応した。「ははあ! きいちゃんをご存知でござったかあ!」
「あのねえ、ウパのところに夕君から観ろ、てニューカレドニアのやつのラインが来た時に、俺もウパと一緒にいたの。だから観たよ」
「あの名作を観たでござるかあ!」あたるは大喜びする。「あれはドキュメンタリーでござるよ」
「そうみたいだったね」夏男は煙草をふかす。「二人旅だったみたいだし。面白かったよ」
「そうでござる、そのきいちゃんこそが、四月に乃木坂を卒業してしまうのでござるよ……」あたるはがっくりと肩を落とした。
「そっか。寂しいね」
「はい……。乃木坂から、一つの大きな笑顔が消えます……」あたるはうつむいたままで言った。「それはとても、大きな大きな、笑顔でござる……」
キッチンの、玄関の在る通路へと繋がるドアの奥から、〈センター〉の玄関を叩く大きな音が響いていた。
作品名:忘れないをポケットに。 作家名:タンポポ