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忘れないをポケットに。

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 姫野あたるは不意にドアを見つめる。「はて……」
 夏男は、重い腰を椅子から持ち上げて、キッチンから玄関へと移動した。
 姫野あたるも夏男の後ろをついて行くと、玄関のガラス製の扉の部分から、玄関前に立っているトレンチコートの姿が見て取れた。
「駅前殿!」あたるは思わず、叫んだ。
「え?」夏男は、もう一度、玄関の向こう側を見つめる。「ああ、本当だ。駅前さんじゃない……」
 鍵をあけて、玄関の扉を開いた。
「お久しぶりです、ご無沙汰しております、駅前です。憶えていらっしゃいますか?」
「いやあ、あっは。おーぼえてる憶えてる。まーた綺麗になったねえ」夏男は駅前を室内へと誘(いざな)う。「あー入って入って」
「お邪魔します……。ああ、ダーリン」駅前は清楚な笑みを浮かべる。「来ちゃいました」
「どーして、駅前殿……」あたるは驚愕(きょうがく)している。
 ロング・ブーツを綺麗に揃えて脱いで、駅前木葉は夏男がせっせと用意したスリッパに脚を通した。
「とりあえず、話はキッチンに移動してからだ」夏男はキッチンへと入っていく。
 夏男の後を追って、姫野あたると駅前木葉は、暖かい空気が充満しているキッチンへと入室した。
 夏男は、早速コーヒーを淹れようと、やかんに火をかける。姫野あたるは先程のキッチンの出入り口から奥にあたるテーブル席へと腰を下ろした。
 駅前木葉は、キッチンの出入り口を背にして、キッチン・テーブルの席に腰を落ち着けた。
「一日だけ、休みを取れたんです」駅前は微笑んであたるを見つめた。「ダーリン達がどうしてこの山に来るのかが、ずっと気になっていて、つい、来ちゃいました」
「駅前殿……。小生、別にここでは何もしていないでござるよ?」あたるは険しい表情で駅前を見つめ返した。「ただただ、きいちゃんの卒業を受け入れる為に、怖気づいた心を開放しに来ているだけでござる」
「充分です」駅前は頷いた。「卒業を受け入れる心造りならば、私もご一緒したいです」
「そう、でござるか。そうならば、大変心強いでござるよ」あたるは微笑んだ。「じゃあいきなりだけど、僕は、きいちゃんの卒業に反対なんだ」
「それは、確かにいきなりですね」駅前は、息を呑んだ。「実は……、私も、そう言っていいのなら、そういう気持ちでいっぱいです」
「どうにか止められないかなあ?」あたるは顔をしかめる。
「そっち方面で会議開いちゃうのう?」
 湯を沸かしていた夏男は、二人を振り返って苦笑した。
「待って待って……。だって、卒業を決意するって事は、並大抵の決心じゃないんだよう? そんな強い思いを、寂しさを埋める為だけに、否定しちゃっていいのう?」
 夏男はそう言うと、二人を観察しながら、煙草を指先に抜き取った。
 駅前木葉はうつむく。姫野あたるは、視線を宙に留めてフリーズしていた。
「北野さんは、何度も言葉を呑み込んできたはずだよ。卒業しますの、その一言を。何年もの間、乃木坂として活動して、色んなことを体験して、ここで、この瞬間に、納得できたんだと思うのね。君達は、ファンだろう? その気持ちを誰よりも嘆き悲しむと同時に、同じぐらい、理解して受け入れてあげないといけないよ」
「でも……」あたるは言葉を濁す。「だけど……」
「わかっています……」駅前は、辛そうに、その表情を険しくさせた。「きいちゃんさんの、明るい光のような温かさに、もうずいぶんと助けられてきました……。私も、ファンの皆さんもだと思うのですが、ずいぶんと、笑顔をもらいました……。卒業するというのなら、受け取った温かい気持ちで包み込んであげたいと、思っています……」
「お別れなんて嫌だよぉ……」あたるは、その眼から涙をこぼした。「正直に言ってもいいんなら、僕は卒業なんてしてほしくないっ……、まだまだきいちゃんには乃木坂でいてほしいし、まだまだ時間が残ってるよ……。どうしてっ、行ってしまうのですかっ……」
「何度でも言うよ」夏男は火を止めて、またあたるに振り返った。「乃木坂を卒業するということは、一種の修士課程の完了で、心の安らぎを得る広い時間を手にするきっかけでもある。辛い別れと、癒しの両方を手にする決断だ。そして、新しい何かへの挑戦のきっかけでもある。卒業とは、再出発の為の、途中下車なんだよ」
「終着駅は、どこに?」駅前は夏男を見つめる。
「旅の最果てなんて、実際にその人が時間を費やして、経験していかないとわからないもんだよ。ただね、ファンだって同じなんだ。好きな人の卒業を、終わりだと思ってしまったら、もうそこが終着駅になる。俺なら嫌だね。そこで想いを尽き果てさせてしまうのなんて。想いは決して消さない。あの時を、決して忘れない。つんく♂さんは今だって俺の神様だし、元モー娘。のみんなは、今だって俺の天使や女神だよ。変わらず、幸せを祈ってる」
「終わりではないのですね……」駅前は、涙ぐんで呟いた。
「一種の終わりではあるんだ」夏男は懐かしそうな、険しい顔で煙草を吸った。「でも、その人の物語はまだ続いていく。例え芸能界を引退したとしても、その人の人生の物語は続いていくんだ……。じゃあ、幸せを祈ったり、信じたりする事はできるでしょう?」
「秋元先生や、今野さんや、乃木坂やそのOGのみんなは、小生の宇宙でござる……。小生の世界、その全てでござるよ」
「だったら」
「もう嫌なんですっ、…辛いんです、大好きな人が、乃木坂からいなくなっていく事がっ、……僕には、もう耐えられない……」
「そんな時は思い出して、ね。ダーリン」夏男は微笑む。「卒業するその人からもらった、多くの心を」
 姫野あたるは、うつむいて泣き始める。
 夏男は、視線を反らさずに、じっと姫野あたるを見つめている。駅前木葉も、姫野あたるを見つめていた。
「君達ファンが受け止められないんなら、一体誰がそれを受け止めてあげるの? 何の為に心はあるの、何の為に言葉はあるの、何の為にその手はあるの、何の為に、その涙と笑顔はあるの?」
「……」
「……」
「きっと、今の為じゃない?」夏男は柔らかい笑顔で言った。「常にその時その時、今に必要な分だけ、心ってあって……、その糧となる笑顔を、いっぱいにもらってきたんじゃない。いつだって忘れちゃいけないよ……。愛を貫き通す事を。愛を、信じる事を」
「僕は……、きいちゃんに、さよならと、言えるだろうか……」
「サヨナラの無い出会いなんて、ないんだから」夏男は煙草の煙を遠くの空間に吐き出した。「サヨナラには、笑顔と、花束だ」
「鼻水が、たれてても、いいでござるかなあ?」あたるは泣きっつらで夏男を見つめた。
「ふふ……」駅前は、涙を指先でぬぐって、微笑んだ。
「いいんじゃない? そういう見送り方も」夏男は微笑んだ。「涙は心の汗だ。鼻水は、ちょっとわっかんないけど。んふ、それもきっと気持ちの形だよね」
 夏男はインスタントのコーヒーを淹れる。
 姫野あたるは、煙草に火をつけた。窓の外を眺める。
 駅前木葉も、何やらを思い耽っていた。
「はーい、コーヒー」
「かたじけない」
「ありがとうございます」
「あったかいうちに飲んで」