彼方から 第四部 第四話
「キャーッ やぶれたっ!」
「落ちたわーーーーっ!!」
周りで見守っていた大勢の女性たちの声音に……
「――――っ!!」
イザークはハッとすると同時に、地面を鋭く蹴り、身を宙に踊らせていた。
***
女性たちの、騒ぎ立てる声音が辺りに響く中……
皮を張っている木枠の支柱の一つへと、イザークは軽やかに降り立つ。
心配そうな……いや、少し『不安げ』な瞳を、敷き詰められた花々へと向ける彼を見止め、
「あれ?」
「この人誰?」
「飛んでこなかった?」
数人の女性がそう呟きながら、頬を染めている。
少し、間を置き……
「うぷっ……」
花の海の中から顔を出すノリコ――
直ぐに、支柱に立つイザークと目が合い、
「あ、イザーク」
あまり、見せたくない姿に頬を染め、
「やだー、あたしが落ちたから破れたなんて……そんなに体重、重かったかしら」
情けなくも恥ずかしい結果に思わず、そんな言葉を口にしていた。
『どっ』――――と、周囲から笑いが起こる。
「ノリコ、無事そうでよかった」
傍で見守っていたニーニャも、
「古い物だから、繋ぎ目が切れちゃったんだね。体重のせいじゃないよ」
その隣では町長も、安心したように大きな声で笑いながら、そう声を掛けてくれる。
――なんかウケた
――みんな笑ってる
意図した言葉ではなかったが、『騒ぎ』になることなく『笑って』済んだことに、ホッとする。
少し恥ずかしいが、皆が笑顔になってくれていることの方が、ノリコは嬉しく思えた。
花を踏みしめる音に、眼を向ける。
「どこも、ケガはないのか?」
「あ……うん」
手を取りながら、彼が掛けてくれた言葉に応え、気づく…………
――イザーク……
――真顔だ……
その瞳、その表情に現れた、彼の『心の内』に……
「…………ご免ね、心配かけて」
祭の成功と、イザークの起こした奇跡。
広場を包む華やいだ興奮……
あの『虹』に抱いた『想い』のまま……はしゃいでいた自分を、ノリコは少し戒めていた。
***
「…………ご免ね、心配かけて」
ノリコがいなくなったら
「…………いや――」
おれは
どうなるんだろう
思えば思うほど……
考えれば考えるほどに、言い知れぬ不安が募る。
今、こうして、眼の前に居るのに――
こうして手を取り、触れることが出来ているのに――
彼女がいなくなってしまうことを、彼女を失ってしまうことを、心の何処かで案じ、恐れている……
先のことなど、何一つ分かりはしないのに――いや、分からないからこそ、決まってしまったことなど何もないからこそ…………
ノリコの手が添えられた腕に、立ち上がろうとする彼女の重みが掛かる。
その重みに意識を寄せながら彼女と二人……
破れてしまった皮の継ぎ目へと、身を潜らせていた。
**********
年に一度の祭。
その祭で催される、女性専用の飛び込み台。
高い台から飛び降りた先に待っているのは、木枠に張られた皮の上に敷き詰められた、色取り取りの花々――
程よく張られた皮は、飛び降りた女性たちを優しく受け留めながらバウンドさせ、少しのスリルを愉しませてくれる。
だが今年……
幾人もの女性を受け留めて来てくれたその『皮』は、古くなっていた為だろうか――破れてしまう。
偶然参加した『ノリコ』を、受け留めた後に…………
***
飛び込み台の周りが、騒がしい。
いや、『騒がしい』のは毎年のことだが、今年は、その様相が少し違った。
ノリコが飛び降りた際、皮の継ぎ目が破れてしまったこともそうだが、それよりも……
そのノリコを心配して『飛んで来た』男性の出現に、見物の女性客たちが嬉々としてざわついていた。
「皆さーん、そういうことでここは中止になります、ご免ね――」
催し物を取り仕切っているのであろう女性が、集まった見物客に向けて声を掛けている。
だが、客たちに立ち去る様子はない。
皆、待っているのだ、『二人』が出てくるのを……
勿論、町長とその娘、ニーニャも。
「あっ、町長!」
幕のように支柱から降ろされた皮を捲り上げ、二人が姿を現すのと同時に、聴こえてきた男の人の声。
女性客たちの、イザークに対する少し控えめな黄色い声の中、息を切らしながら……
「こんなところに居たんですか!」
町中を走り抜けてきた男性は、『やっと』という安堵の思いと共に、町長に声を掛けていた。
呼ばれ、肩越しに振り向く町長に、
「ずっと捜していたんですよ」
焦り気味に言葉を続ける。
「あら、ご免なさい。何か、あったの?」
呑気に笑顔でそう訊ねてくる町長に、
「町舎に戻ってください」
間髪を入れず、男はそう返す。
一旦、気を落ち着かせるかのように唾を飲み込み……
「町専占者がやって来て、変なこと言ってるんです」
町舎のある方を指さし、言葉を続けた男の、その、困惑気味の表情に――
「え?」
町長の顔から、笑顔が消えていた。
***
「痛っ……!」
一瞬、表情が歪む。
不意に背中に奔った『痛み』に、イザークは眉根を寄せながら手を当てていた。
「どうしたの? 木枠で背中、打ったの?」
動きの止まったイザークに、何の屈託もなく訊ねるノリコ。
「あ……ああ」
「へー、イザークでもそんなドジするんだ。あは、ごめん、喜んでる場合じゃないね」
とりあえず返した返事に明るく笑いながら、ノリコはそんな言葉を返してくる……
戸惑いの混じった笑みを返しながら、
――ノリコがそう思ってくれるほど
――おれは『大層』な人間ではないんだがな
ノリコの眼に、己がどのように映っているのか……どれだけ『信頼』を寄せてくれているのか――
それに自分がどれだけ応えられているのか……そんな考えが頭を過る。
いや、今は……
「…………」
先刻感じた背中の『痛み』が、気になる。
何ということは、ないのかもしれない。
だが、ぶつけたという事実がない以上――
不気味な懸念を、イザークは感じずにはいられなかった。
***
「すっげえ跳躍力だったなー、おまえから聞いてはいたが、負けるぜ、おれ」
「カイザック」
ひょこひょこと松葉杖を突きながら……
騒めく女性たちの中に立つ妻、二人を待つニーニャの元に歩み寄り、驚きの表情と共に呟くカイザック。
『中止』になってしまった催し物。
『男は近づいちゃいけない』とは言われているものの、もう、飛び降り台から飛ぶ女性もいないのだから、気を遣う必要もないと言うことなのだろう。
カイザックは遠慮なく、妻の傍らに立っている。
「あれ?」
「お母さん?」
ふと……
男の人と共に、慌てながら走り去ろうとする町長の姿に気づく。
「あ……」
呼ばれ、立ち止まるも――
「し、仕事が出来ちゃったらしくてね……あたし、ここで失礼するわ。みんなで遊んでて」
作品名:彼方から 第四部 第四話 作家名:自分らしく