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水 天の如し

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 炭治郎だって、同じことだ。義勇の不遇を喜ぶ気はみじんもないが、出逢えたのは義勇が感情を失ったからこそだ。国の星見さまやら国司さまに出逢う機会など、窯場の倅でしかない炭治郎には、きっと一度もない。よしんば出逢えても、今のように手料理を振る舞うことはもとより、言葉をかわすことすらできやしなかったはずだ。
 失った感情の破片を探し求める旅を義勇がしてきたから、炭治郎は、義勇という宿縁の相手と巡り会えた。それはどうしたって覆せぬ事実だ。
 たとえ縁の糸がつながっていようとも、かけ離れた立場では、距離を縮めることは果たせない。

「まぁ、星見ならまだマシかな。大王さまは意に染まない結果にだろうと、言をひるがえせとはおっしゃらないだろうが、国司はなぁ。民を虐げることになると知っていて、上司に従うことなんて義勇にできるわけないし」

「それは……なんとなく、想像つきます」
 苦笑したまま語り茶をすする錆兎へ、小さく笑い返し、炭治郎は自分も茶器を手に取ると、そっと言った。
 炭治郎は以前の義勇を知らない。感情豊かに笑ったり怒ったりする義勇など、鉄仮面の如き無表情を見慣れた炭治郎には、想像することすらうまくできなかった。だけど、義勇から香る心の残滓が、無感情のまま見せる仕草が、教えてくれるのだ。義勇のやさしさや生真面目さを。
 水清ければ魚棲まずというが、感情を失う前の義勇はたぶん、そんな格言がしっくりと馴染む御仁だったに違いない。同様に清廉で正義感にあふれる錆兎だからこそ、刎頸(ふんけい)の交わりをも持てたのだろうが、才ある者を妬む輩はどこにでもいるものだ。義勇が口下手だったというのなら、誤解ややっかみを一身に受けもしただろう。
 それでも頑として悪には染まらぬ、そんな義勇ならば、容易に思い描ける。

 クスッと笑った炭治郎に呼応するように、料理の手はとめぬまま、真菰も軽やかな笑い声を立てた。
「嫌味言われても、義勇は、怒るどころか悲しいってしょんぼりするだけだもんねぇ。そのくせ、誰かが被害を被るなら、上の人にも平然と反論しちゃうだろうし。出世して国司になるのはむずかしいんじゃないかなぁ。この国は大王さまの威光が行き届いてるから、三省六部も逸材揃いで役人の腐敗は目立たないけど、それでもやっぱり正一品(官僚の官位の最上位)にだって悪辣な奴はいるもの。そんなところで苦労するよりも、義勇は鱗滝さんみたいに自由に生きるのが似合うよ」
 真菰が湯気を立てる椀をトンッと錆兎の前に置いたと同時に、トトトッと軽い足音が近づいてきた。
「むぅっ!」
 くぐもった幼子の声がして、禰豆子が姿を現した。間を置かず義勇も房へと入ってくる。
 ニコニコと上機嫌な笑みを浮かべて走り寄ってきた禰豆子を、炭治郎は両手を広げ抱きとめた。
「禰豆子、義勇さんと遊んでもらえてよかったなぁ。いい子にできたか?」
「むぅむぅっ!」
 うれしげにコクンとうなずく禰豆子と同時に、コクリとうなずいてくれた義勇が、炭治郎の顔をほころばせる。見れば義勇の手には、お手製の空竹があった。
「あ、それ。禰豆子に作ってくれたコマですか?」
 禰豆子を抱き上げて立とうとした炭治郎に、すぐさま真菰のコラッというお叱りがとんできた。
 両手を腰に当て小さく眉を怒らせる仙女の顔は、怒ってみせても愛らしい。けれども、ツンと額を突かれ「おとなしくしてなさいって言ったでしょっ」と言われてしまえば、笑って返すわけにもいかなかった。
「左の太もも」
 静かな声に驚いて、パッと振り向いてみても、やっぱり義勇の顔にはなんの感情も見られない。
「あぁ、さっき茶を淹れてくれたときに少し引きずってるなと思ったが、やっぱり怪我してたか」
「えっ! わかっちゃいますか!? もうあんまり痛くないから、自分では普通に動いてたつもりなんですけど」
 もう薬も効いて、血も止まっているし痛みもほとんどない。錆兎の前では普通に動いていたので、錆兎が気づくとは思ってもみなかった。
 だが、義勇は違う。義勇と対峙したときにはまだ、炭治郎は全集中の呼吸すらできていなかったから、気づかれるのも当然かもしれない。けれども、剣を交えているとき、義勇はいっさい怪我した場所を狙ったりしなかった。
 鬼は人が弱っていればそこを付け狙う。卑怯とは言いがたい。人であってもそれは同じなのだ。戦場では双方、己の命がかかっている。人同士であっても、弱点となる場所を狙うのは当然だ。自分の命だけではなく、国を、家族や大事な人を守るため、弱点と見れば即座にそこをつく。責められることではない。
 名のある武将同士ならば、卑怯者めとの誹りも受けよう。だが、歴戦の勇士である義勇から見れば、炭治郎は尻に殻をつけたひよっこ同然だ。ましてや手負いともなれば、負傷した箇所を狙えば決着などすぐさまつく。獅子搏兎とも言うではないか。格下の相手にも全力で向かう勇猛かつ非情な決断は、戦士には必要であるともいえるのだ。太ももの傷に気づいていたのなら、そこを狙えばよかったはずだ。
 もちろん、炭治郎に義勇の真意はわからない。けれども、けっして炭治郎の弱みを狙わず、同格の戦士として正々堂々と義勇が戦ってくれたような気がして、炭治郎の胸が詰まる。

 いや、もしかしたらそれだけではないかもしれない。

 自分よりはるかに弱く傷まで負った相手と対峙したときに、自分ならばどうするだろう。考えるまでもないと、炭治郎はかすかな自嘲と深い悲しさに切なく微笑んだ。
 そんなとき自分ならきっと、せめて弱みは狙うまいとするだろう。炭治郎に対して義勇がそうしてくれたように。
 勝敗が見えた相手であろうと、正々堂々と全力で戦う。どんなに弱い相手だろうと、敬意を払うべきだ。手加減などしない。けれど弱みをことさら狙うことだってできやしないだろう。お互い背負っているものが同じくらい重いのならば、きっと、しない。自分が持てる全力でもって、正々堂々と立ち向かうに違いなかった。

 けれどもしも……もしもあの日、鬼が現れずそれまでどおりの暮らしが続いていたら。

 そのときには、戦場で剣を取らねばならない日を、炭治郎も迎えていたかもしれない。もしもそのときに戦火が上がれば、炭治郎も敵と剣を交えざるを得なくなっていたのは、想像に難くなかった。
 たぶん、そうなれば自分は、ろくな戦果も立てられずに戦場の土に還っていたことだろうと、炭治郎は小さく唇を噛む。
 よしんば生き残り、兵役を終えて家族と笑って今までと同じように暮らしても、自分はきっと一生、人の命を奪った悔恨を抱えて、眠れぬ夜を過ごすことになる。剣を手にし、戦うとは、そういうことだ。
 戦果を上げ、何人敵を殺したと自慢気に語り周りに褒め称えられる。そんな自分を想像することすら、炭治郎にはできなかった。
 だからきっと、あの日の出逢いなく戦場に赴いたのなら、自分はあえなく命を散らしていたはずだ。炭治郎はそれを疑わない。
 生き残れずとも、人を殺さなかったのならそれでいい。良心を誇って死ねるのなら、それはそれで、自分は満足して死んでいけると思う。けれども残された者はどうすればいい。
作品名:水 天の如し 作家名:オバ/OBA