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真白の雲と君との奇跡

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 夏休みに入って最初の土曜日も、朝からよく晴れていた。
 まだ午前中だというのに日射しはすでに強く、うだるような暑さだ。気温だけで言えば、絶好の海水浴日和といったところだろう。だが、雲の流れはかなり早かった。風が強いぶん、多少なりと過ごしやすいかもしれない。
 出がけに見た天気予報では、早くも台風発生を告げていた。とはいえ、杏寿郎たちの今日の目的は、海は海でも海岸での石拾いだ。台風も今のところ天気が崩れるほどの距離にはないから、さほど問題はないだろう。

「強風波浪注意報は出ていなかったが……この風だ、万が一があるからな。海辺に行くならしっかり気をつけるんだぞ、杏寿郎、千寿郎」

 駅まで送ってくれた父の言葉に、千寿郎が、はい! と手を挙げいい子のお返事をする。微笑ましく思いながら、杏寿郎も元気に了承の意を示した。
「はい! 危険のないよう気をつけます!」
 しかつめらしい顔をして、重々しく父がうなずき返す。厳格な父親らしく振る舞おうとしているが、その実、父が並外れて子煩悩なことぐらい、誰の目にも明らかだ。杏寿郎たちの返事にきっとまた内心で、本当にいい子すぎるっ、俺の息子たちかわいすぎだろ! などと考えているに違いない。口の端が隠しきれずぬ笑みに震えていた。
 だが上機嫌な様子は、長くはつづかなかった。待ち合わせ場所にまだ義勇が到着していないのを知ると、途端に父は、見るからにしょんぼりと眉を下げた。

「なんだ、やっと義勇くんに逢えると思ったのに」
「父上、約束の時間までまだニ十分もあるのです。俺たちが早すぎたのだから、義勇は悪くありません!」
 わずかにでも義勇を責められるのは勘弁願いたい。杏寿郎が声を張り上げると、父は顔をしかめて耳をふさいだ。
「べつに責めてないだろうが……そんなににらむな」
 どうも声が大きすぎたらしい。千寿郎もちょっぴり目を白黒とさせている。通りを行く歩行者まで、なにごとかと視線を向けてきていた。だが杏寿郎の大声に慣れっこなふたりは、他人の目など気にならないようだ。
「時間まで間があるなら、そこのコンビニでおやつでも買っておくか?」
「ちゃんと持ってきました。母上がお弁当も持たせてくれました」
 ニコニコとリュックを見せる千寿郎に、おそらく他意はない。大義名分を封じられた格好の父は、ますます眉を下げ、いかにもガッカリとした風情だ。
「父上、俺たちは大丈夫ですから。送っていただき、ありがとうございました! 母上が待っています、うちにお帰りください!」
「ありがとうございました!」
 杏寿郎に倣って千寿郎にまで言われてしまえば、居残ると言い張るわけにもいかなかったのだろう。後ろ髪を引かれる様子で帰っていった父に、杏寿郎はわずかに苦笑した。
 父にも早く義勇を紹介したい気持ちは、杏寿郎とてある。義勇に逢った父が、どんな感想を持つのか楽しみでもあった。けれども出がけに母から
「父上はなんだかんだと言い訳して一緒に行きたがりそうですから、早く帰らせるように」
 と言い含められているのだ。申し訳ないがしかたがない。

 車が走り去ってから五分もしないうちに、道の向こうに義勇の姿が見えた。今日も制服姿だ。白い半袖シャツがなんだか眩しい。
 杏寿郎も今日は、義勇に倣って制服着用である。制服とはいえ、おそろいで出かけるのには違いない。むしろ、行き交う誰も彼もが私服ななかでふたりだけ制服なのは、仲良しである証拠に見えるのではないだろうか。浮かれる心のままに、杏寿郎は声を弾ませた。
「おはよう、義勇!」
「おはようございます!」
 千寿郎と一緒に手を振ると、遠目にもちょっと驚いた顔をした義勇が、小走りにやってくる。
「おはよう。すまない、遅くなった」
 まだ午前中だが気温はすでに高い。休日の駅は、夏休みということもありそれなりに人出が多いように見える。だが、待ち合わせた場所は人の流れを妨げてはいないし、日陰だから待つのも苦ではなかった。
 それでも、杏寿郎たちより遅い到着となった義勇にしてみれば、失敗に感じるのだろう。無表情に見えても眉根がかすかによせられて、罪悪感が透けて見える。
「時間までまだ十五分もあるぞ! 俺たちが早すぎたのだ!」
「楽しみで早くきちゃいました」
「でも、暑かっただろう。ごめん」
「お帽子もかぶってるから大丈夫です」
 麦わら帽子のつばを握ってはにかみ笑う千寿郎に、相槌のように義勇がかすかにうなずいた。そのひたいには、うっすらと汗が浮かび上がっている。千寿郎を見つめる瞳は気遣わしげだ。
 無表情と無口のせいで、義勇を冷たいと敬遠する級友は、決して少なくはない。しかしそれは、誤解にすぎないことを杏寿郎は知っている。千寿郎を案じる様子一つとってみても、義勇のやさしさは伝わるのだ。見誤ることなくそれを感じ取れる自分が、杏寿郎には、なんとはなし誇らしく感じられた。

「早くに行けば、それだけたくさん石が集められるかもしれないからな! それに、俺たちが早すぎたと言っただろう? 義勇が謝ることはない!」
「……そうか」

 闊達な笑みを浮かべて言った杏寿郎に、ようやく義勇も笑った――ような気配がした。
 少しずつ感情表現は豊かになっているものの、基本的に義勇は無表情がデフォルトだ。このあいだの訪問で、また少し心の距離は近づいたと思うけれど、すっかり打ち解けたとはいい難い。おまけに今日は、まだ一度しか逢ったことのない幼児の千寿郎と、長い時間をともに過ごすのだ。緊張もしているに違いない。
 それでも、幼い千寿郎にそっけない態度をとるのはためらわれるのだろう。ぎこちなさはぬぐえないが、義勇は千寿郎を気遣いながら接してくれている。義勇の慈しみ深さに、杏寿郎の秘めた憂いが晴れていく。

 電話の一件から、杏寿郎の心のなかにはずっと不可解な疑問と鬱屈が居座っていて、寝不足がつづいていた。夏休み前も、そうだった。義勇が家にやってくると思うと、杏寿郎は興奮が抑えられず、眠れなくなったものだ。
 しかし、この二晩ばかりの寝不足の理由はといえば、真逆の感情ゆえだ。鬱々とした悩みが原因である。そのせいか杏寿郎は、いつもよりも少々元気がなかった。家族を心配させるわけにもいかず、空元気を奮い立たせていたものの、熾火(おきび)のような不安が胸にあったのは事実だ。
 義勇と出かけられるのはどうしようもなくうれしい。楽しみにもしていた。嘘じゃない。けれども義勇に逢えば、真菰という従姉とはどれぐらい仲がいいのかと、根掘り葉掘り詮索してしまいそうな狭量な自分をも、杏寿郎は自覚しているのだ。不安にならないわけがなかった。
 家族といるときはまだよかった。義勇のことだけを考えずにすむ。けれども布団に入ってしまうともう駄目だった。問い質してしまわぬよう、何度も自分に考えるなと言い聞かせても、気づくとまた考えてしまう。
 責めるように問い詰めてはいけない。義勇だって困るに決まっている。下世話な詮索好きだなどと思われるのも不本意だ。でも、知りたい。いや、知りたくない。怖い、だなんて。自分はこんなに臆病だっただろうか。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA