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真白の雲と君との奇跡

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 ずいぶんと義勇を気に入っているのは感じていたが、慣れぬ相手にここまで千寿郎が懐くのもめずらしい。微笑ましさに杏寿郎の頬は緩みっぱなしだ。
「……そうか。俺も見てみたい」
「きっと見られます! あ、鳥さんを見るんじゃなくて、今日は石をひろうんでした」
 はわわとあわてる千寿郎に、杏寿郎は義勇と顔を見あわせる。笑ったのは同時。
 恥ずかしそうにうつむいた頭を杏寿郎がなでると、千寿郎の顔がそろりとあげられた。杏寿郎と義勇を交互に見上げる瞳は、まだ恥じらっている。

「石をひろって、鳥も見よう。楽しみだな」
「……はいっ!」

 ぎこちなさの取れた自然な笑みを義勇に向けられ、千寿郎の頬が羞恥ではなく高揚に染まる。
 千寿郎を真ん中に三人並んでの道行は、周囲の人たちの微笑みをも誘うようだ。向かいの座席のおばあさんが、ニコニコと話しかけてきた。
「ボク、お兄ちゃんたちとお出かけいいねぇ」
 知らない人に話しかけられてビックリしたのだろう。ちょっと身をすくませて、千寿郎は杏寿郎を見上げてくる。笑い返してやると、安心したのかはにかみ笑いながら千寿郎は、しっかりとおばあさんにうなずいた。
「はいっ。兄上の宿題で、石を拾って、あと鳥さんも見るんです」
「宿題で石拾い?」
 キョトンとされるのも無理はない。苦笑しつつ杏寿郎が自由研究ですと答えると、あぁ、とおばあさんもうなずいた。
「もしかしてこゆるぎの浜かしら?」
「おぉ、ご存じですか!」
「さざれ石で有名よねぇ」
「さざれ石……国歌の?」
 パチリと目をしばたたかせて義勇が小首をかしげた。杏寿郎も浮かぶのは『君が代』だ。
「そう。あそこはねぇ、玉砂利の産地なの。『君が代』はね、川や海で削られた小さなさざれ石が、また集まって大きな巌(いわお)になるまでって歌っているのよ。気が遠くなるぐらい長い年月のことだわね」
「小石が岩になるんですか?」
 驚いて目を見張った杏寿郎が義勇へ顔を向けると、義勇も、目をぱちくりとさせて杏寿郎と顔をあわせたきた。そんなふたりにおばあさんは、少女のようにウフフと笑っている。
「鎌倉の八幡様にもさざれ石の巌があるのよ」
「へぇ! それはすごい! 義勇、今度見に行ってみないか?」

 杏寿郎の嬉々とした声に、義勇もどこか楽しげにうなずいた。白い頬が少し紅潮して見えるのは気のせいだろうか。また一緒に遠出することを、義勇も楽しみにしてくれているのならうれしいのだけれど。

「お勉強の役に立てたかしら?」
「はい! いいことを教えていただきありがとうございます!」
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げた杏寿郎と義勇を交互に見やって、千寿郎もぴょこんと頭を下げた。
「ありがとうございますっ」
「お行儀のいいこと。お勉強頑張ってね」
 電車が止まり、おばあさんが降りていく。バイバイと手を振る千寿郎に、おばあさんもうれしそうに手を振ってくれた。旅というにはささやかな道行きだけれど、幸先のいい一期一会に杏寿郎の胸が弾む。

 心配する必要なんてなかった。あれだけ悩んだのが嘘みたいだ。勝手に不安がっていないで、義勇と一緒にいられる時間を楽しまなくては!

 興奮した様子で話しかける千寿郎に、義勇も穏やかに相槌を打っている。利発ではあっても幼子の話だ。要領を得ぬものも多いだろう。けれど義勇は眉をひそめたりはせず、真摯な瞳で千寿郎の相手をしてくれていた。生真面目で誠実な義勇の為人(ひととなり)が、こんなささいなことからも伝わってくる。
 今はまだ、クラスメイトたちは義勇のやさしさに触れる機会がないようだが、いずれはみなも知るのだろう。そうなれば、錆兎や真菰以外にも、杏寿郎が嫉妬する対象は増えていくに違いない。
 そのたび苛々したり悲しんだりしていては、いずれは杏寿郎自身が義勇を傷つけてしまうことだってあるかもしれない。そんなのはごめんだ。母の忠告はきっと正しい。狭量な嫉妬で義勇から幻滅されたり、ましてや嫌われるなんてとんでもない話だ。

 動じぬ大きな男になるのだ。義勇を守れるぐらいに。うじうじ気に病むぐらいなら、度量が広い男となるべく己を磨くことに邁進するほうが、よっぽどいい。千寿郎にとっても恥じることない兄でいるためにも。

「兄上は誰がいちばん好きですか?」
「義勇」
「……え?」

 胸中での決意にふけって、杏寿郎はふたりの会話をまったく聞いていなかった。誰が好きかと問われたから、反射的に頭に浮かんだ名前を口にしただけだ。
 おかしなことを言ったつもりはなかったが、即答した杏寿郎に、ふたりはなぜだかポカンと目を見開いている。 
「ん? あぁ、千寿郎や父上と母上もいちばん好きだぞ!」
「……登場人物の話だ」
 ふいっと視線を外し早口で言った義勇の目元が赤い。耳も淡いバラ色に染まっている。
「義勇さんのご本の話です、兄上」
「お、おぉ、そうだったか。すまん、聞いてなかったっ!」
 どうやら義勇と千寿郎の会話は、いつのまにか借りている本の話になっていたようだ。 
 照れ笑いする杏寿郎をちろりと横目で見やる義勇の瞳が、少しとがめる色をおびている。けれどもそれは、義勇も照れていることを知らせてもいた。
「そうだなぁ……千寿郎は誰がいちばん好きなんだ?」
 問いかけながらも、杏寿郎は心中でわずかな焦りを覚えていた。義勇は杏寿郎が本の感想を告げたときにも静かに聞いてくれていたけれど、話を聞くだけでも本当はつらいのかもしれない。
 だが、義勇の様子には動揺や耐える気配は感じられなかった。
「千はネメチェックが好きです! 小さくていちばん弱いのに、赤シャツ団にいじめられても負けませんでした!」
 興奮した声音が、千寿郎があの本を本当に気に入ってくれたことを伝えている。
 義勇から渡された古い文庫本――『パール街の少年たち』は、モルナールというハンガリーの作家が書いた、首都ブタペストを舞台とした小説だ。ネメチェックは病弱で痩せっぽちの主人公である。
 信望の厚いリーダーであるボカによって、軍隊のごとく統率された少年団。そのなかでネメチェックは、ただひとり階級を持たぬ一兵卒だ。
 ストーリーは、いかにも少年向けといった戦争ごっこに近い。遊び場である原っぱを巡って敵対する隣町の少年団との、戦いの物語だった。
 千寿郎は争いごとを好まぬ穏やかな性質だが、それでも、男の子らしいワクワクとした高揚感を覚えたようだ。
 戦争ごっことはいえ、人間模様や待ちかまえる悲しい現実は、子供だましなどではない。忠義や裏切り、大人の社会でもきっと起こりうる理不尽な現実。魅力的な登場人物たちだって、全員が好ましいわけではない。ボカに嫉妬し少年団を裏切ったゲレーブが、敵の赤シャツ団のアジトでネメチェックが水につけられるのを笑ったシーンなどは、本気で怒りがわきもした。
 義勇から借りるまで杏寿郎は、本のタイトルも作家名も知らなかった。現在ではあまり知られていない作品なのかもしれない。だが、名作と呼ぶにふさわしいと杏寿郎は思ったし、義勇があの本選んでくれたのを感謝してもいる。義勇が幼いころから読んできた本を、自分も好きだと思えたことが、誇らしくもうれしかった。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA