真白の雲と君との奇跡
心配しすぎもよくないな。義勇のこととなるとどうにも考えすぎてしまう。
胸中だけで苦笑した杏寿郎に、ん、と義勇が手にしたサンドイッチを差し出してきた。キョトンと目をしばたたかせたら、「アボカドとエビ」と淡々と言い、義勇はコテンと小首をかしげて見つめてくる。
違うもののほうがいいかとの確認のつもりなのだろう。ときおり見せるこの仕草は、義勇のほうが年上なのだということを忘れさせるほど稚(いとけな)く見えて、いつだってなんとも言えない陶酔感に杏寿郎は満たされる。
「いただこう!」
アーンと大きく開いた杏寿郎の口に、義勇はやはり逡巡することなく、サンドイッチを手ずから差し入れてくれた。箸で食べさせてもらうことはもはや日常茶飯事だが、義勇の手から直にというのは初めての体験だ。なんだかすごく胸が高鳴って、とろけるような幸せを感じる。
さすがに一口で食べることはできず、ぱくりと半分ほどをかじり取った杏寿郎に、義勇はサンドイッチをつかんだ手もそのままに杏寿郎の言葉を待っている。
「うまい! 我が家ではサンドイッチといえばハムやチーズなんかのシンプルなものだが、錆兎の母上は、なんというかずいぶんとオシャレなものを作るのだな。初めて食べたがじつにうまい!」
緑のアボカドディップはとろりとして、マヨネーズの酸味がちょうどいい。朱色のエビとの色合いも美しく、プリプリとした触感のエビの甘みとよく合っていた。
「そうか。なら、よかった」
先ほどの杏寿郎と同じく言うと、義勇はうっすらと微笑んだ。義勇も杏寿郎が気にいるか少し不安だったのかもしれない。もっと食べろとでも言うように、ん、とサンドイッチの残りをなおも差し出してくるから、杏寿郎も遠慮なくかぶりつく。
唇に、指先が触れた。
ピクリとかすかに震えた指先と、小さく見開かれた瞳に、杏寿郎の頬に熱が集まる。つられるように義勇の頬にも淡い朱が散った。
赤面したまま見つめあい、杏寿郎は無心で口のなかのサンドイッチを咀嚼しつづける。美味だと思ったディップもエビも、もう味なんてわからない。ほんのりとバラ色に染まった義勇の頬と、遠い異国の海のように青く澄んだ瞳から、目が離せなかった。
「せ、千寿郎も」
見つめあう視線を先にそらせたのは義勇だった。声は常になく上ずり、杏寿郎の食べかけのサンドイッチだということすら忘れているのか、千寿郎に手を差し向ける様は動揺が露わだ。
気にした様子もなくうれしげに千寿郎がアーンと口を開け、杏寿郎にしたように手ずから食べさせる義勇を、杏寿郎はぼんやりと見ていた。破裂しそうなほどに速まる鼓動は、いっこうに静まる気配がない。
「とってもおいしいです!」
「従姉の真菰のお気に入りなんだ。千寿郎も気に入ったのならよかった」
サンドイッチの残りをすべてたいらげてあどけなく笑う千寿郎に、義勇もようやく落ち着いたか、小さく微笑んでいる。一瞬チクリと胸を刺した痛みが消え去るより早く、目にしたその光景に、杏寿郎は大きな声で叫んでいた。
「あぁっ!」
唐突な叫び声にビクンと義勇の肩が跳ねる。千寿郎もびっくり眼で杏寿郎を振り仰いでいるが、杏寿郎の目はふたり以上に大きく見開かれ義勇を凝視したままだ。
「杏寿郎?」
「あ、その、すまん……」
訝しげに呼びかけられてどうにか謝りはしたものの、叫んだ理由なんて口にはしづらい。
千寿郎の唇についたディップを拭った指先をぺろりと舐めとる義勇の仕草に、なんでこんなにもショックを受けたのか、杏寿郎にだってよくわからないのだ。
「は、早く食べてしまおう! そろそろ石を拾わないと遅くなってしまうからな!」
先ほどまでとは異なる鼓動の速さは、焦燥とも苛立ちともつかぬままに、杏寿郎の胸でひたすらに気づけ、気づけと、訴えかけている気がする。けれどもいったいなににと自問自答しても、答えは見えてこない。
べつになにもおかしくない仕草だった。杏寿郎だってよくやる行為だ。なのになんでこれほどまでに胸がざわついて、真菰への嫉妬を掻き消すほどの衝撃を覚えたのか。
理由は至極単純明快であるような気もするけれど、そこに思い至ることはなかなかできない。
母の心尽くしを味わうことすらできぬままに、ガツガツとせわしなく食べだした杏寿郎に、義勇と千寿郎は不思議そうに顔を見あわせたけれど、問い質してはこなかった。聞かれなくて幸いだ。杏寿郎にだって、叫んでしまった理由も、それに触れられたくない理由も、説明などできないのだから。
ともあれ、たくさんあった弁当も、杏寿郎が一心不乱に食べ続けたおかげで、ほどなく空っぽになった。
チラチラと義勇と千寿郎は気遣わしげな視線を投げてはきたが、それでも杏寿郎が「さぁ、石を探そうか!」と笑うと、安堵したように笑い返してくれた。
シートはそのままにして荷物置き場にすると、三人また手をつないで砂礫が広がる場所へと移動する。
一面に転がる小石は、一見するとどれも同じように見え、地味で灰色のおもしろみのない石ばかりだ。だが、しゃがみこみ一つひとつコロコロと転がし見れば、様々な模様の石が見つかる。色だってじつは千差万別だ。
きれいな縞模様、淡く青みがかったチャート(岩石)、オレンジ色の小さな瑪瑙(めのう)。見つけるたびに、歓声をあげて見せあった石は、杏寿郎が持つビニール袋に少しづつ溜まって、ジャラジャラと音を立てた。
ジリジリと首筋を焼く夏の日光は、焦げつきそうに熱い。そんな陽射しに照らされ続けている石も、かなり熱をおびていて、火傷しないよう紙コップで海水を振りかけるとジュッと音を立てたりもする。そのたび、乾いたときとは違う顔をのぞかせる石に、またはしゃいで時間が過ぎていく。
強い海風は街なかよりもどことなし涼しいが、それでも照りつける陽射しの暑さに変わりはない。ポタリと石に落ちる汗が増えてきた。水分補給はマメにしているが、このぶんでは日焼けが心配だ。出がけに千寿郎には日焼け止めを塗ったけれど、もう一度塗ってやったほうがいいかもしれない。杏寿郎がちらりと千寿郎をながめやったとき、義勇が「あっ」と小さな声をあげた。
「杏寿郎、これ石英かも」
少し興奮した声で言う義勇に、どれどれと顔を寄せて見ると、手の平に乗せられたコロリとした丸っこく白い石は、たしかに図鑑にある石英の写真と同じくポコポコと小さな穴がある。
「うぅむ、よくわからないな」
「待って。これで見たら結晶が見えるかも」
ゴソゴソとポケットを探った義勇が取り出したのはルーペだ。
「準備がいいな!」
「石を採取するなら持ってくといいって錆兎が」
なにげない、いつもと変わらぬ淡々とした声なのに、どこか誇らしげに聞こえるのは自分の狭量さゆえだろうか。杏寿郎は口惜しさに少し唇を噛む。
けれどもすぐに、さすがだなとカラリと笑ってみせた。
嫉妬してしまうのはしかたないかもしれないが、態度に出すのは駄目だ。そんな男らしくないことをしていては、いつまで経っても義勇に頼られるようにはなれない。
思ったそのとき、ハタと杏寿郎は先ほどの衝撃の理由に思い至り、息を飲んだ。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA