真白の雲と君との奇跡
校舎の裏手にある非常口で、宍色の髪の男子生徒が手を振ってにらんでいる。怒ったフリなのはすぐに笑みに細められた目で知れるが、暑いなか待たせたことに違いはない。その姿が目に入ったと同時に、義勇と杏寿郎はそろって足を速めた。弁当を揺らすわけにはいかないので、あくまでも速歩きだ。そんな杏寿郎と義勇に、男子生徒――錆兎は、どこか愉快げに見える苦笑を浮かべていた。
「しかし、暑くなったなぁ。二年の教室で食えばいいのに。それか、俺がおまえらの教室で食ってもいいぞ?」
錆兎の言葉に杏寿郎は、毎度のことながらわずかに動揺してしまう。
たしかに、錆兎の言い分はもっともだ。非常口は庇(ひさし)こそあるものの、この時間はまったく日陰になっちゃいない。狭い三和土(たたき)に三人で座るのは、たいそう窮屈だ。ぴったりくっついていないと座れないから、互いの体温も相まってじつに暑い。
義勇はなんて答えるんだろう。杏寿郎がじっと見つめていると、義勇はふるふると首を振った。相変わらず気にした様子もなく食べつづける義勇に、錆兎が肩をすくめて苦笑する。
二人のやり取りに杏寿郎もホッとして、知らずニンマリ笑うと玉子焼きをほおばった。今日の弁当もうまい。母に感謝だ。
義勇を挟んで三人で食事するのも、もう何度目だろう。錆兎のこのセリフも、今日が初めてではない。それでも杏寿郎は、毎回ほのかな不安を覚えてしまうのだ。
今回も義勇の答えが同じでなによりだ。
義勇は四月からずっと、二年生である錆兎の教室で昼を食べていた。毎日、それが当然と言わんばかりに教室を出ていくのだ。一緒に食べようと杏寿郎が誘っても、必ず首を振るのが常だった。
たった一つ年が違うだけとはいっても、先輩と接するのは緊張するという生徒が多いというのに、義勇は、平然と二年生たちのところへ向かうのだ。
原級留置した義勇は一年生をやり直しているが、本来なら二年生だ。上の学年にはそれなりに顔見知りも多いのだろう。クラスメイトよりも、二年の先輩たちのほうが、義勇の事情に通じた生徒だって多いに違いない。義勇にしてみれば、錆兎のところにいるほうが、心安く過ごせるのかもしれなかった。
そんな事情を知ったあと、杏寿郎の誘いは、俺も一緒に行ってもいいだろうかに変わった。義勇が気楽に過ごせるのなら、自分の教室でなくてもかまわない。物怖じなどしないタチだし、先輩だろうとすぐに仲良くなれる自信はあった。けれど、義勇がうなずいてくれたことは一度もなかった。
義勇がためらいながらもうなずいてくれたのは、六月末の定期テストが終わって、通常授業に戻った日のこと。ただし、明日からでよかったらとの条件付きだ。
もちろん、杏寿郎に否やなどあるわけもない。勢い込んで「本当か!? 楽しみにしている!」と笑顔で迫った杏寿郎に、義勇は、ちょっぴり引いているようにも見えた。
その日、家に帰った杏寿郎が真っ先に駆け込んだのは台所だ。ただいまの挨拶もそこそこに、明日の弁当はいつもより豪華版にしてくださいと、母に頼みこむために。
義勇と初めて一緒に弁当を食べるのです。おかずの交換だってするかもしれません。そう機関銃のような勢いで母に懇願したあの日の自分は、我ながら必死すぎた。結果、久しぶりに正座させられたのも、もはや懐かしい。そんな些末なことで見栄を張るものではないとの説教には、伏して同意するよりない。まったくもって不甲斐ないかぎりである。
「杏寿郎の唐揚げ、うまそうだな」
「うむ! 母の料理はなんでもうまいが、とくに唐揚げは絶品だ! 一番うまいのはサツマイモのみそ汁だがな!」
両側で会話する杏寿郎と錆兎に挟まれて、義勇は黙々と弁当を食べている。食事中に義勇が話しをすることは皆無だ。もともと無口なのに輪をかけて、まったくしゃべろうとしてくれない。
最初は、やっぱり錆兎と二人のほうがよかったのだろうかと、ちょっと落ち込みかけた杏寿郎だったが、あにはからんや。苦笑した錆兎が言うことには、義勇は食べながらでは話せないらしい。
「またご飯粒ついてるぞ、義勇」
モグモグと食べ続ける義勇の頬についた飯粒を、ヒョイとつまんで食べた錆兎に、杏寿郎は毎度のことながらピシリと固まった。だが、義勇はまったく動じた様子がない。義勇にしてみれば慣れっこなのだろうが、杏寿郎は何度見てもこの光景には慣れやしなかった。
「いつまで経っても食べるの下手だよなぁ、義勇は」
「……ほかの人に見られるわけじゃないから、べつにいい」
こんなとき、なんとはなし杏寿郎は少しだけいたたまれないような、苛立つような、不思議な胸の痛みを感じる。こういうことはたびたびあって、そのたび杏寿郎は義勇と錆兎の親密さに、羨望を覚えた。
従兄弟同士な二人の仲の良さは、杏寿郎だって嫌というほど知っている。にもかかわらず、なんでいつでもチクリと胸が痛むのか。杏寿郎にはよくわからない。
「杏寿郎ならいいんだ?」
からかいめいた錆兎の言葉に、杏寿郎はまた硬直した。義勇にも聞こえてしまわないだろうかと不安になるほど、ドクドクと鼓動がうるさい。
こくりと小さくうなずいた義勇に「杏寿郎はやさしいから怒らない」なんて言われてしまえば、なおさらだ。うれしさが体中を駆け巡って、じっとしていられない。
抑えきれない高揚感に逆らうことなく、杏寿郎は強くうなずき返した。
「もちろん、怒ったりしないとも! だが、不思議だな。義勇は箸づかいもきれいだと思うのだが、なんでいつもご飯粒がついてしまうのだろう?」
「それ、俺も不思議。義勇のほっぺって、ご飯粒だのパンくずだのを引き寄せる磁力でもあるんじゃないかってぐらいだもんな」
「……そんなものあるわけない」
少しばかり機嫌をそこねたんだろう。義勇はちょっぴり唇を尖らせてむくれている。入学した当初には、こんな表情を見られるとは思わなかった。
錆兎と一緒だと義勇も表情豊かになるのだなと思えば、いささか切なく悔しい心持ちもする。それでも、一緒にいられる時間が増えただけで幸せなのに、違いはない。
「はいはい、ふてくされんな。ほら、急いで食わないと休み時間終わるぞ」
楽しげに笑う錆兎は、すでに食べ終えている。杏寿郎も残るのは唐揚げが一つきりだ。義勇は杏寿郎たちよりも食べるのがちょっと遅い。いつも錆兎と二人で義勇が食べ終わるのを待つのが、当たり前の光景になっている。
「義勇、交換しよう」
残った唐揚げをつまんだ箸を、杏寿郎は迷わず義勇に差し向けれた。キョトンとまばたきしつつも、義勇は素直に口を開けてくれる。先ほどまでの胸の痛みはたちまち薄れ、今度は甘い疼きを伴って杏寿郎の鼓動が高まった。
モグモグと無言で唐揚げを噛みしめる義勇は、頬がわずかにふくらんで、なんだか愛くるしい小動物みたいだ。
微笑ましく眺めていると、義勇は無言で咀嚼しながらも、玉子焼きをつまんだ箸を杏寿郎に向けてきた。即座に杏寿郎もアーンと大きく口を開ける。こんなやり取りももう慣れっこだが、いまだに杏寿郎は、花が咲き乱れるかのような多幸感に包まれてしまう。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA