真白の雲と君との奇跡
錆兎の母が作る玉子焼きは、煉獄家とは違って甘い。玉子焼きはしょっぱいものだと杏寿郎は思っていたけれど、慣れぬ味も、義勇に食べさせてもらうと至極美味に感じた。
「うまい! 錆兎の母上も料理上手だな!」
「……唐揚げ、うまかった」
「仲良しだな」
蝉の大合唱のなか、クスクスと笑う錆兎の声は、杏寿郎の耳を心地好くくすぐった。
義勇と錆兎の仲の良さは疑う余地もないが、錆兎から見ても、自分と義勇は仲良しに見えるのだ。それがうれしい。こくんとうなずく義勇もまた、仲がいいと認めてくれているのがわかって、杏寿郎の胸に歓喜が満ちる。たかがそれしきのことが、ただただうれしかった。
エアコンの利いた教室や食堂では、こんなふうに肩を触れあわせて座ることもできない。
狭い三和土はやはり暑くて、絶えず流れる汗がシャツを濡らす。陽射しは眩しすぎ、蝉の声もやかましいぐらいだ。それでもここは、杏寿郎にとって楽園だった。
ここでなら義勇と肩や膝を触れあわせて座り、お互いの弁当を分けあえもする。汗の匂いに混じって、爽やかなペパーミントの匂いがときどき香ることだってある。義勇が使っているシャンプーかもしれない。
なんて幸せなんだろう。同じ匂いが錆兎からもするけれども、それでも杏寿郎にとっては至福の時間だ。こんな時間が過ごせるなら、ずっとここで食べられたらいいなと杏寿郎は思う。
中学に入って初めての夏は、ちょっとの胸の痛みとはしゃぎまわりたくなるよな幸せとともに、始まったばかりだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、そんな幸せな毎日も、夏休みに入れば一時中断となる。教室は夏休みの話題で持ちきりだ。クラスメイトたちはいかにも楽しげに、旅行の予定だのを話している。だけれども、杏寿郎だけはちょっぴり憂鬱だった。
だって、夏休みには登校日しか学校にこない。義勇に逢えないということだ。
遊びに行こうと杏寿郎が誘えば、今の義勇ならばきっとうなずいてくれるだろう。まったく逢えないなんてことはないはずだ。
だけれども、なにをしたら義勇が楽しんでくれるのかが、杏寿郎にはさっぱりわからないのだ。
登校すれば逢える今までと違って、夏休みに逢うなら約束が必要だ。何度逢えるかはわからないけれども、できれば毎回笑ってほしい。杏寿郎と一緒にいるのは楽しいと言ってくれたら、どんなに幸せだろう。
小学校のころなら、友達と遊ぶといえばたいがいは、公園ではしゃぎまわるのが常だった。だが杏寿郎ももう中学生だ。義勇も公園で走り回るタイプではないと思う。遊ぼうと誘ったはいいものの、なにをしたらいいかわからないというのでは、なんとなく不甲斐ないような気がする。
もしも父がこんな悩みを聞いたのなら、デートか! とうとう杏寿郎もデートに悩む年になったのか! と興奮して、母に赤飯を炊けと言い出すだろう。だが、今のところは杏寿郎の胸のうちだけでの話なので、母に正座させられた父が説教を受ける日は、きっとまだまだ先だ。
当然のことながら、デートなんていう言葉も、杏寿郎の頭のなかにはない。義勇は誰よりも一等大好きな友達だ。たぶん。それ以外ないはずだけれども、しっくりとこないのはなぜだろう。
それでも、友達以外に義勇と自分を言い表す言葉など、杏寿郎には思い浮かばなかった。
友達だけでは足りないと、焦燥に駆られることはたびたびある。けれどその理由となると、まるで思いつかない。
わからないことばかりが積もって、なんだか胸の奥がザワザワとする。義勇のことでなければこんなふうに悩むこともないし、はっきりしないままなんて性に合わないのは確かだ。
ほかの誰かなら、杏寿郎は悩んだりせず、当の相手に面と向かって「俺たちは本当に友達なんだろうか」と聞いただろう。当たり前だと答えられたのなら、それならいいんだと笑っただろうし、違うよと言われれば、それならちゃんと友達になろうと張り切ったに違いない。
義勇からは、どちらの答えも聞きたくない気がする。答えがどちらでも悲しくなる予感がするのだ。友達じゃないと言われれば悲しい。友達だと言われても足りない。きっとどちらでも自分はガッカリする気がした。
義勇とどんな関係になれたら、自分は満足できるんだろう。自分のことなのに、杏寿郎には、自分がなにを望んでいるのかがよくわからなかった。
大好きな気持ちはなに一つ変わらないのに、ちょっとずつなにかが変わっていく日々。ゆるやかな変化は、今のところいい方向に向かっているんだろう。それがぐるりと真逆に進んでしまうかもしれないと思うと、不安が胸いっぱいに広がって、杏寿郎はガラにもないため息をついてしまいそうになる。
夏休みも義勇は、どこに行くのもなにをするのも、錆兎とずっと一緒なんだろうか。同じ家に住んでるだけじゃなく、いつも、いつでも、一緒にいるんだろうか。
義勇との距離は、杏寿郎だって近くなっている。それでも、錆兎には敵わない。そんな気がする。
しかたのないことではあるが、義勇が一番苦しくつらいときに一緒にいてやれたのは、杏寿郎ではなく錆兎だ。杏寿郎はまだ、義勇がなにをしたら喜ぶのか、どんな遊びが好きなのかさえ、知らない。
錆兎なら、こんなことで悩んだりしないのだろうな。思えばまた胸の奥がチクリと痛んで、ジリッと焦げつくような心持がした。
それでも鬱々としてばかりもいられない。悩みあぐねているのはどうにも性分に合わず、落ち着かないことこの上なかった。
とにかく、夏休みだって義勇に逢いたいことだけでも、伝えておかないと。グズグズとしていたら夏休みに入ってしまう。
杏寿郎が在籍する剣道部はさほど熱心に活動していないが、夏休み中も多少なりと部活はあるのだ。お盆ともなれば、来客が多くて大忙しな母の手伝いだってしなければならない。中学に上がってかまってやれる時間が減ってしまったぶん、千寿郎とだって遊んでやりたいところだ。
そもそも義勇にも都合があるだろう。義勇は部活に入っていないが、夏休みも盆休みの三日間以外は練習がある水泳部の錆兎と一緒に、登校するかもしれないのだ。合宿にだってついていくかもしれない。
出遅れた感はあるけれども、とにもかくにも、夏休み中も逢いたいと義勇に告げておかなければ。このままでは夏休み中一度も逢えないおそれすらある。
でもなんと言って誘おう。はっきりとした目的がなければ、義勇は、なんで? と首をかしげて断ってきそうな気がする。
焦る杏寿郎に天啓をもたらしたのは、ふと聞えてきたクラスメイトの一言だった。
「なぁ、自由研究どうする? グループ発表でもいいって先生言ってたし、一緒にやんない?」
「それだっ!」
突然大きな声で叫んで立ちあがった杏寿郎に、クラス中がビクンと肩を跳ねさせたが知ったこっちゃない。隣の席の義勇が一番驚いているようではあったけれども、そんなことにすら杏寿郎は気づかなかった。とにかくもう、興奮しきっていたので。
「義勇っ、一緒に自由研究をやろう!」
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA