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真白の雲と君との奇跡

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 初めて錆兎と話した日のことが、杏寿郎の脳裏に思い出された。同じ悲しみに溺れると、錆兎は言っていた。それでもきっと溺れる者の必死さですがれば、錆兎たちも義勇の話を聞きつづけてくれただろう。けれど義勇はそうしなかったのに違いない。悲しみの大岩をかかえて、一人で沈むことを選んだのだ。ともに溺れてしまわぬように。

 なんて。なんて、やさしい人だろう。義勇はこんなにもやさしくて、やさしすぎて、杏寿郎には悲しい。

 もっと自分のことだけ考えたっていいのに。静かに涙を流しながら、ごめんなさいと呟きつづけていたという当時の義勇を、抱きしめに行きたい。俺がいる。温めてやるからと、悲しみが削り取られていくまで一緒にその岩をかかえるからと、抱きしめたい。どんなに願っても時は戻らず、そんなことは不可能だけれど。

 でも、今、こうして抱きしめることを許された。だから杏寿郎は、義勇をかかえる腕に力をこめた。震える手をギュッと強く握る。温もりよ移れ、義勇を温めろと念じながら。

「思い出すと、苦しくて……でも、思い出さなきゃ、父さんや母さんが、姉さんが、俺のなかから消えていくような気がして……誰かに、話したかった」
「話してくれ。いくらでも」
 義勇の声は途切れ途切れだ。ささやきよりもさらに小さいその声は、けれども、大きな潮騒にかき消されることなく杏寿郎の耳に届く。

 聞いて? 聞くとも。知って? 教えてくれ。

 声にならないやり取りを、震える手と、包みこむ手で交わしあう。分ちあえることは、苦しくとも幸せだ。
 喜びだけでなく、悲しみも、苦しみも、全部、義勇となら分ちあいたいのだ。ほんのささいな思い出も、全部、一緒に抱きしめたい。義勇をもっと知りたい。自分のことも、もっと義勇に知ってほしい。
 汗と潮風にべたつく肌。不快感はなかった。義勇が流すものなら、汗も、涙も、杏寿郎が厭うことはない。自分がぬぐってやれるならなおのこと。

「俺も、なんども姉さんに、読んでってねだった」
「『パール街の少年たち』か。義勇が貸してくれてうれしかったぞ。義勇と同じ本の話ができる」
「玉子焼き……母さんのも、しょっぱいんだ」
「なら今度から弁当の玉子焼きは、いつも半分こしよう」
「帰ってきて、靴を脱ぎ散らかすと、母さんや姉さんに叱られて……父さんが、こっそり『ついやっちゃうよなぁ』って、笑って、なでてくれて」
「俺も小さいころにはよく叱られた。うちは父上もいまだに叱られることがあるぞ」
 ヒクッと、小さくしゃくり上げる声がした。義勇の手はまだ冷たい。
「きょう、じゅ、ろ」
「うん」
「きょうじゅ、ろう」
「うん、義勇」
 ヒクリ、ヒクリと、義勇は小さくしゃくり上げる。杏寿郎の名を呼びながら、義勇が思い浮かべる面影はきっと、やさしい人たちなのだろう。義勇をやさしく誠実な人に育てた、今はもういない人たち。杏寿郎にはもはや逢うことが叶わない、彼岸にいるその人たちを、杏寿郎も思う。そして誓う。顔も知らぬやさしい人たちへ、大好きな義勇へ。

「義勇が許してくれるなら、俺はずっと義勇といる。ずっと、こうやって抱きしめて、温めるから。いくらでも話を聞くから」

 コクン、コクンと、義勇はうなずく。小刻みに震える体を杏寿郎にすっかりあずけて、義勇は、ポロポロと涙をこぼしていた。頬を寄せれば、杏寿郎の頬を義勇の涙が濡らす。
 杏寿郎の手は、義勇の手を温めるのでふさがっている。涙をぬぐってやりたくても離すわけにはいかない。だからそっと唇を押し当てた。舌先で舐めとった涙は少し塩辛い。涙だけでなく潮風のせいでもあるかもしれない。

 この行為もキスだろうか。

 気づいて一瞬あわてたけれども、義勇の体からは力が抜けたままだ。逃げ出すこともなく、杏寿郎に身をゆだねたままでいる。
「いっぱい、杏寿郎の、話、した。やさしかったんだって。また逢えたらいいなって。姉さんも、逢えたらいいねって、笑ってくれた」
「俺と同じだな。俺もいっぱい義勇の話をしたぞ。今もそうだ。だから母上も父上も、千寿郎だって、義勇を大好きになってくれた」
 ポツリ、ポツリと、義勇の言葉はつづく。杏寿郎を拒む気配はない。許されたのならと、話す合間に杏寿郎は、義勇の涙を舌先でぬぐいつづけた。そっと、やさしく。
 くすぐったいと笑いだしてくれたらいいのに。涙が止まったら、笑ってくれたらいい。キスはしないと言ったのにと、ふてくされた顔をされたってかまわない。きっとそんな顔も義勇はかわいい。
「もう……姉さんたちのこと、話したらいけないって、思ってた……みんなを、悲しませるから、駄目だって。心配、させたら、駄目だって……」
「俺なら大丈夫だ。聞かせてくれ。話すのがつらいなら抱きしめるし、ちゃんと温めてやる。だから、いっぱい話していいんだ。俺は溺れない。水難救助は後ろから抱きかかえてやるといいんだろう? 父上に聞いてみたのだ。こうしていれば大丈夫だ。だから、聞かせてほしい。義勇の話が、俺は聞きたい」

 うん、とうなずいて、泣きじゃくる声は稚い。冷えた手は、少しずつ温もりを取り戻してきていた。

 どれぐらいそうしていただろう。また頬に触れさせた舌先に、義勇が小さく肩をすくめた。
「杏寿郎、くすぐったい」
 まだ涙の余韻に言葉を詰まらせながらも、義勇の声はわずかに明るい。ほんの少し笑みをにじませた声だ。
 振り返った義勇と、目があった。
 涙に濡れた青い瞳がゆらゆら揺れている。吸いこまれていきそうな海の色をした瞳はかぎりなく澄んで、杏寿郎を映していた。

 気にしていなかった顔の近さに、今さらのように杏寿郎は息を飲む。義勇も同様なのだろう。パチリとまばたいたら、最後の涙の粒がポロリと頬を伝った。目尻の赤さは泣いていたからばかりではないようだ。コクンと、小さな音は義勇の喉から。杏寿郎も思わず喉を鳴らす。

 この距離は、友達のものだろうか。大好きの距離は、どこまでが友達と言えるだろう。
 寄り添う番の鳥と同じ距離まで、近づいてもかまわないのなら、もっと、ずっと、近くまで。こんな至近距離でさえ、まだ遠い。もっともっと近くへと望んでしまう心は、どこからくるのか。杏寿郎には、まだわからない。
 つかまえられそうでつかまえられない自分の心は、もどかしくてモヤモヤとするのに、もう不快ではなかった。
 だって義勇は許してくれている。この距離を。抱きしめることを。悲しみをともにかかえることを。杏寿郎にだけ、義勇は許してくれた。ゆだねてくれた。
 見つめあったふたりに言葉はない。黙ったまま、互いの瞳だけをじっと見つめていた。
 いつまでもこのままでと、願った刹那。

「おいっ! 子供が流されてるぞ!!」

 悲鳴に似た怒鳴り声に、弾かれたように杏寿郎は海へと視線を投げた。
 波間に浮かんで、沈んで、垣間見える金色と赤の髪。

「千寿郎――ッ!!」

 ほとばしり出た叫び声は、なぜだか遠く、遠く、こだまのようにひびいて、杏寿郎には聞こえた。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA