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真白の雲と君との奇跡

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 いずれにせよ、杏寿郎がドキドキしたり見惚れたりするのは、義勇のほかには誰もいない。

 よく、わからない。俺は義勇のことを、どう思っているんだろう。義勇のことが大好きでたまらないこの気持ちは、やっぱり友達に対するものとは違うんだろうか。

 胸の奥がザワザワとする。
 竹刀を握ればいつだって、杏寿郎は余計な考えごとなど吹き飛んでしまう。なのに、なぜだか困惑は杏寿郎の胸にどしりと腰を据え、立ち去ってくれず……結果、朝の稽古は少しだけ上の空になってしまった。
 気を逸らすなと父に叱られ、不甲斐なしと杏寿郎が反省したのは言うまでもない。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 杏寿郎がどんなにとまどっても、時間は止まってなどくれない。じっと考え込む暇もなかった。
 思いがけぬ動揺と、歓喜にふくらむ期待とが、交互に満ちて落ち着かず、杏寿郎は掃除や買い物にと動きまわった。

 三度も部屋に掃除機をかけた杏寿郎に、最初のうち母はあきれ顔だった。無菌室にでもするつもりですかと苦笑されたけれども、どうにもじっとしてなどいられなかったのだ。
 学校じゃなくても義勇に逢えるうれしさは、混乱しながらも消えやしない。幸せで、うれしくて、とうてい落ち着けるものではなかった。
 杏寿郎の自室で笑う義勇を想像するだけで、もう駄目だ。ジタバタと床を転げまわりたくなるほど興奮するし、ぼぅっと呆けてしまいそうにもなる。
 義勇のことになると、信じられないほど感情が揺れ動く。それは杏寿郎にとって、あまりにもなじみすぎた日常で、特別なことだなんて考えてもみなかった。

 とにもかくにも、自分の想いの所以がなんであれ、義勇を不快にさせるなど論外である。消えない困惑をかかえつつも、準備だって滞りなく済ませた。
 ウキウキとして、義勇を迎えに待ち合わせ場所へ向かった杏寿郎だったが、遠目に見えた義勇の出で立ちにちょっぴり肩を落とすこととなった。

 初めて逢った商店街の入り口で、義勇は、いつもと変わらぬ姿ですでに杏寿郎を待っていた。
 そう、いつもとなんにも変わらない。見慣れた制服姿だ。真っ白な半袖シャツに、グレーのスラックス。濃紺と臙脂のストライプのネクタイだって、ちゃんと締めている。
 私服姿を見られると思ったのにと、少し残念な気がしたが、落胆してばかりもいられない。
 気を取り直して急いで駆け寄れば、義勇も杏寿郎に気づいたようだ。まっすぐに杏寿郎に向けられた瞳が、わずかに微笑んだ気がする。

「義勇! すまない、待たせてしまったか?」

 ふるりと小さく首を振った義勇のひたいには、小さな汗の粒が光っている。今日も暑い。商店街のアーケードは直射日光を防いでくれているとはいえ、早朝とは違って風も熱をおびている。

 待ちあわせは屋内にすべきだった。考えが足りずに、暑いなか義勇を待たせてしまうとは、未熟すぎる。

 しょんぼりとしかけた杏寿郎だったが、フッと笑いの気配をにじませた義勇に、落胆はたちまちかき消えた。
「……杏寿郎は、オレンジ色が好きなのか?」
「ん? そうだな。オレンジや赤は好きだ」
 突然なんだろうと杏寿郎が首をかしげれば、義勇の顔に、傍目にはわからぬぐらいの微笑みが浮かんだ。
「初めて逢ったときも、オレンジ色の上着だった」
 ささやかな義勇の笑みとやわらかな声に、杏寿郎の胸がドキリと音を立てる。杏寿郎は、出逢った日に自分が着ていた服なんて覚えていない。義勇が紺のダッフルコートを着ていたのは、覚えているけれど。
 ほんの短い時間の、たった一度きりの邂逅を、義勇もちゃんと覚えていてくれたのだと実感する。杏寿郎の服装までも、義勇は忘れずにいてくれたのだ。杏寿郎が、あの日の義勇の服や初めてつないだ手の冷たさも、はにかむ笑顔や恥ずかしそうにうつむいた顔も、すべてはっきりと覚えているように。
 ふくれ上がる歓喜は面映ゆく、杏寿郎は、自分が着ているTシャツを意味なくちょっと引っ張ってみた。
 淡いグレーの地に赤とオレンジの鮮やかなラインが入ったTシャツに、とくに思い入れはなかった。お気に入りというほどでもなく、千寿郎や母が似合うと言ってくれたから選んだけで、杏寿郎にとっては意味なんてないセレクトだ。
 でも、もしかして義勇も気に入ってくれたのだとしたら。似合うと思ってくれたのなら。もしそうなら、これを着てよかった。この服を選んだ朝の自分を褒めたくなる。

「義勇は、その、制服なんだな」
「校則だから」

 気恥ずかしさを誤魔化し言った杏寿郎に返された義勇の言葉には、ちょっとだけ、言いよどむ気配がした。
「錆兎やおばさんにも、気にすることないって言われた。でも、生徒手帳には制服で行動するようにって書いてあるから。校則違反で杏寿郎まで叱られたら困る」
 常にはない早口で、義勇は少しうつむいたまま言う。そろりと上げられた上目遣いの瞳は、ちょっぴり不安そうに見えた。
「……やっぱり、制服じゃおかしかったか?」
「そんなことはないぞ、校則を守るのは当然だ! 本音を言えば、義勇の普段の服も見てみたかった。だが、真面目な義勇らしいし、義勇は制服が似合うからな。俺はまったく気にしない!」
 実際、白い清潔なシャツやきちんと締められたネクタイは、義勇によく似合うのだ。
 今度は俺もちゃんと制服を着ることにすると笑えば、義勇もホッとしたように頬をゆるめた。
「……中学に入ってから、友達の家に行くの、初めてだ」
「俺が初めてなのかっ。それはうれしい! 俺も友人を家に招くのは、中学に入ってからは義勇が初めてだ!」
 お互いの初めてを共有できた喜びに、ますます杏寿郎の胸は高揚する。興奮を抑えて、杏寿郎は義勇に手を差し伸べた。
「行こう! 母や千寿郎も義勇がきてくれるのを待ちわびている!」
 とまどう青い瞳が、杏寿郎の手を映している。
 小学生ではないのだから、手を繋いでいくのはおかしいだろうか。
 ハタと気づいて、伸ばした手をぎこちなく杏寿郎が引っこめようとしたそのとき。そっと義勇の手が杏寿郎の手に触れた。
「はぐれないように?」
「……うむっ! 義勇は初めて我が家にくるのだからな! はぐれないように手を繋いでいこう!」
 こくんとうなずいてくれた義勇の手を、ギュッと握る。義勇の手は少しだけ汗ばんで、梅雨のあの日の冷たさは、どこにも感じられなかった。
作品名:真白の雲と君との奇跡 作家名:オバ/OBA