天空天河 四
幕間1 胡蝶
書を読みながら、眠気に襲われ、微睡む長蘇。
「寝台でちゃんと、眠れば良いのに、、。」
そんな長蘇を見ていて、毎度、そう藺晨は思った。
黒い龍に乗り、長蘇と藺晨は石柱に行った。
3日程、石窟に籠り、そして戻った。
以来、長蘇は身体が辛い様子だ。元々、眠りは浅いのだが、殊更、あれから夜、良く眠れぬらしい。
だからと言って、午睡を取るでもなく。
やるべき事が多くて『頑張っている』、と言うよりも、ただ『眠れない』と言った方が正しい。
その為か、時折、うつらうつらと眠気に襲われている。
見かねて藺晨が、『寝台でゆっくり眠れ』と、揺り起こして促すと、藺晨に手助けされ、素直に寝台で寝るが、起こされ動かされる為か、それきり眠れない。
長蘇は、『、、(目が)覚めた』と恨みがましく訴える。
『余計なお節介で悪かったな!』と、藺晨は言うしかなく。
藺晨は、長蘇を歩かせるから、目覚めてしまうのかと、『ならば』と、眠気に微睡む長蘇を抱き上げて、寝台に連れて行ったが、、、。
寝台に長蘇を降ろし、夜具を掛けて、『ゆっくり眠れ』と声をかける。
藺晨は、安心して、穏やかに目を瞑る、長蘇の顔を眺めていると、突然、長蘇はぱっちりと目を開け、『、、もう眠れない』と言う。
『せっかく良かれと思って運んでやったのに、何故目が覚める??。』今度は藺晨が恨み言を吐く。
少しの振動でも目が覚め、覚めれば寝付くことが出来なくなるのだ。
主治医 藺晨としては、寝台で長蘇を、のびのびと熟睡させたい所なのだが、肘掛に凭(もた)れて、窮屈にうとうとしているのが気になっても、『放っておくしかない』のである。
長蘇の様子を見ていると、苛々するので、無視していた。
そしてまた、今日も、肘掛に体を預け、右手に書を持ち、一見起きている様に見えるが、実はうつらうつらと寝ているのだ。
石柱から帰ってから、本当に酷い。
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あの日、黒い龍の背に乗った二人は、忽ち石柱に着いた。
まだ暗い時刻に、石柱に着いた二人は、休む間もなく、竹簡探しを始めた。
石柱には常に、不滅の灯火が灯されて、差程暗くは無い。
長蘇は古代語は読めぬ。
藺晨は、『魔族』や『魔道』の古代文字を長蘇に教え、その札の付いた竹簡の袋を、探すように指示をした。
藺晨には及ばぬが、長蘇とて、十数冊を探し出し、藺晨の元に持ってきた。
藺晨が読む側で、長蘇は藺晨の独り言や、記述の説明を聞いた。
疲れれば藺晨は仮眠を取ったが、長蘇は眠れぬからと、探し続けた。さすがに長蘇も、疲れれば横になったが、うとうとと微睡んだかと思えば、直ぐに目を覚ます。
藺晨は自分の出す物音に、目が覚めるのかと思ったが、そうでも無い様子で、眠りが浅過ぎるために、深い眠りに入る事が出来ず、浅い眠りも長く続かず、目を覚まして、もう眠れなくなる。
『いくら眠りの浅い長蘇でも、疲れるだけ疲れたなら、眠るに違いない』と、藺晨は踏んでいたが、浅い眠りは短くなる一方で、ただ回数が増えただけだった。
浅い眠りを何度繰り返しても、疲労など取れる訳はなく。
本人は何も言わないが、長蘇の身体は衰弱し、悲鳴を上げていた。
「もう帰ろう。」
と、藺晨は提案をしたが、
「まだ、、まだ何も掴んではいないのに、、帰れぬ。」
と、拒んだ。
「お前の身体が限界だ。長蘇は分かっているのだろう?。
ここで頑張って身体を壊してどうするのだ。やらねばならぬ事が、この先にあるのだろう?。」
藺晨は珍しく、穏やかな口調で、優しく諭した。
「、、、、。」
長蘇の大きな黒い瞳は、藺晨を一度睨みつけるが、その目は涙ぐみ、顔を伏せた瞬間に、開いていた竹簡の文字を濡らした。
「、、、、分かった、、。」
絞り出す様な声で、長蘇が応じた。
身体を壊しかけてまで、飛流を助ける方法を探し続けた。
それ程、長蘇は飛流を大切に思っているのだ。
止める事は、諦める事。
長蘇にとってはそういう事なのだ。
藺晨は、『また来れば良い』とは、とても言えなかった。
うっかりと『方法が有るかも知れない』と、軽口を叩いたのを、藺晨は後悔していた。
長蘇にとっては、冗談には出来ない部分だったのだ。
藺晨は、『飛流を助ける方法は、無い』、という事を、何となく感じていた。
長蘇もまた、藺晨のそんな考えを察している。
長蘇と藺晨は三日掛けて、石柱に入り浸り、探し続けたが、何も収穫はなかったのだ。
金陵の蘇宅に戻ろうと、石窟の口で、飛流を呼んだ。
長蘇はぐるりと石窟の中を見回した。
長蘇の視線が、壁の一点で止まる。
「どうした?。何か見つけたか?。」
それに気が付いた藺晨が、凝視する長蘇に声をかけた。
「『君と共に』」
ぽつりと長蘇が言った。
壁に彫られた古代文字は、確かに『君と共に』と書いてある。
自然にできたものでは無い、この刳(く)り抜かれた岩窟の壁に、掌に隠れる大きさで、くっきりと文字が彫られている。
何気無い彫刻で、長く住まった藺晨ですら、この文字に気が付いたのは、五十年程も過ぎてから。
それを長蘇は、見つけてしまったのだ。
決して柔らかな石質では無いのだ。この文字を刻んだ者は、コレを彫るのに、どれだけ時間を要したか。彫った跡は滑らかで、相当時間をかけて細工したのだろうと、藺晨は思っていた。
「??!!!、、、、何故読めるのだ?。お前?、古代の言葉は、読めぬ筈では?。」
「ぁ?、、ぁぁ、、、。
、、何故だろう、、これだけは読める。」
長蘇は文字の側に行き、指で文字を擦(なぞ)る。
何故か悲しみと同時に、力が湧く。
何かが、長蘇の心に蘇りかけたが、はっきりとは分からない。
暫く触れながら、長蘇の心に浮かんだ物を探っていたが、間もなく黒い龍が、二人を迎えに来た。
長蘇の気持ちは、釈然とはしなかったが、これ以上、この石窟に居る意味も、もう無い。
黒い龍の背に乗り、二人は帰路についた。
蘇宅に戻る。
慣れた寝台と夜具ならば、ゆっくりと眠れるのだろうと思っていたが、そうでも無く。
ただ、夜、就寝の時刻になれば、寝台に横になり、目を瞑る。
石窟では、四六時中、探したり、考えたりしていた。
蘇宅では、眠れなくとも、横になり休む時間があるだけでも、石窟での状態よりは、遥かに良い。
僅かずつだったが、長蘇の体調は回復の兆しをみせている。
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午後の温かい陽気が、長蘇を眠りに誘う。
藺晨は気にはなるが。
『頼まれたって長蘇なんぞ構うか!、絶対に、お前なんか動かすもんか。』、と、頑なに思う。
長蘇を見るから、気になるのだ、と。
徹底して、見ない様にしていた。
藺晨が開いた、琅琊閣に、手紙を書いていた最中だった。
『手紙に集中しろ。長蘇なんざ気になるものか。』
そう言い聞かせて、手元の内容に集中する。