天空天河 四
今後、先々の琅琊閣への指示を、あれこれ考えながら、文面を考えているが、うたた寝の長蘇の事が気になって、全く集中出来ない。
ちらりと長蘇を見ると、肘掛に体を預け、左手に顎を乗せ、心地良さげだ。
透ける様な頬に添えた、華奢な手と、その腕を包む衣の波が美しいと思った。
長蘇は外廊下からは離れた、部屋の奥に居るが、障子から差し込む、柔らかな光に包まれている。
右手は力が抜け、持った書が落ちそうだ。
程よく身体の力が抜け、安心しきった長蘇の様に、見ている藺晨の顔が綻んだ。
琅琊閣への指示書を考えるよりも、この目の前の麗姿を、留めたいと思った。
書きかけの手紙を、床へ置いて、代わりに大き目の紙を、机に広げた。
藺晨は細筆に墨を含ませ、紙の上で少し考えた後、さらさらと筆を走らせた。
筆致には迷いがない。
ただ紙に、目の前の麗しいものを、紙に移しているだけ。
忽ち、紙上には、輝く肌の天界の仙女の如き、麗しい姿が現れた。
走り書きの様な絵だが、藺晨がこれ迄描いた姿絵の中でも、一二を争う出来栄えだった。
『素直に描いたのが良かったか』
長蘇の、内なるものが現れた様な、姿絵になった。
出来の良さと、絵の中の長蘇に、藺晨に幸福感が湧く。
そのまま暫く、見入っていた。
どこからか、ひらひらと、紋白蝶が部屋の中へ入ってきた。
白い蝶は、長蘇の周りを漂い、書を持つ右手にとまる。
幾度か、羽を閉じたり開いたりしていた。
「ふふ、、、誉王に薬を盛られて、だいぶ経つが、まだ薬が残っているのか?。
蝶は長蘇を、花と誤ったか?、、はは。」
何だか長蘇も、蝶も、微笑ましく思えた。
蝶はようやく、匂いに騙された事に気が付いたのか、またひらひらと、宙に舞い上がった。
、、、舞って幾らもしないうちに、蝶は長蘇では無い、別の掌に捕らえられた。
「潰すな!!。」
「殺すな!!。」
長蘇と藺晨、二人同時に声を上げた。
蝶を捕まえたまま、ビクリと棒立ちになる飛流。
部屋には、長蘇と藺晨だけだったのだが、いつの間にか、長蘇の側に飛流が居て、両手で蝶を捕らえていたのだ。
藺晨は、蝶に気を取られ、飛流には気が付かなかった。
「何だ、、、、起きてたのか、、長蘇。」
唖然とする藺晨。
「飛流?、、蝶は、潰してしまったか?。」
「、、、、。」
長蘇の問いに、飛流は無言で、首を大きく横に振っていた。
それを聞いて、長蘇は安堵の息を漏らした。
「飛流、そのまま外に行って、蝶を放してやれ。」
「、、云、、。」
折角、捕まえたのに、放すとは、と、飛流は不満気だが、主に言われたからには、従うしかない。
飛流はとぼとぼと、縁側から外へ出て、中庭の真ん中に立つ。
両手をゆっくりと開くと、蝶は宙を舞う。
暫く蝶は、飛流を揶揄う様に、頭上を飛んでいたが、そのまま、そよ風に乗って、塀の外へと出ていった。
飛流が、部屋の中の長蘇を見る。
「それで良いんだ。良い子だな、飛流。」
長蘇は目を細めて微笑み、飛流もまた長蘇の笑顔が嬉しくなる。
「ほー、、お利口になったな、飛流。
以前なら、虫なぞ、ぷちぷち殺ってただろう。」
「してない!、プンッ。」
過去を暴かれ、頬を膨らませて怒り出した。
「あははは、可愛い可愛い。」
「藺晨、あまり揶揄うな。飛流が可哀想だ。」
「本当の事だから、仕方ないだろう、な、飛流。
全く、飛流の前で、長蘇一人だけ良い子になって、、。長蘇だって子供の頃は、可愛い弟分を、こうして揶揄っただろ?。可愛いと思えばこそだ。
これでどれだけ私が、飛流に愛情深いか分かるだろう?!。」
「ふふふ、、百年前の話か?。あはは、、。」
「煩いな!、余計な一言、言うな!。
飛流は賢いから、藺哥哥の心が分かるだろう?。、、、ん?。
、、また蝶か?、先程の蝶?。」
長蘇と藺晨は、他愛ない話をしていたが、ふと飛流を見れば、その指先に、一匹の紋白蝶が止まっていた。
飛流は真剣な眼で、指先の蝶を凝視していた。
「違う蝶?、、、何だか変だな。」
目を凝らして、藺晨が言う。
「『魔』の蝶か?。
飛流が作ったのか?。
凄いな、そんな事まで出来るように、、、。」
藺晨が驚嘆している。
蝶はゆっくりと翔(はばた)き、飛流の指先を離れた。
ひらひらと、長蘇のいる部屋に飛んできて、先程の蝶の様に、差し出した長蘇の指に止まった。
「ほう!!。
凄いぞ飛流!!。」
藺晨が手を叩いて、驚いていた。
飛流は得意になる。
飛流が右手を睨んでいると、掌の上に、小さな黒い靄(もや)が現れ、その中から三匹の紋白蝶が現れた。
蝶はまたひらひらと、長蘇に向かって飛んでいく。
肩に止まったり、ひらひらと、長蘇の回りを飛んだりしていた。
一匹の時は、趣があるが、四匹もいると、やや鬱陶しいと、藺晨は感じた。
「蝶は、一つに限るな。」
そう言うと、姿絵の、長蘇の視線の先、書の上に止まる蝶を描き足した。
艶やかさは無いが、蝶を描き足した事で、凜とした涼やかさと、長蘇の優しさが滲み出た。
飛流は蝶を出すのに夢中だ。
長蘇の回りには、十匹程の蝶がいた。飛ぶものや床に止まるもの、長蘇の肩や胸には、五匹が止まっている。
まだまだ出そうとしていた。
「オイッ、飛流、何で長蘇ばかりなのだ?。私の所にもよこせ。」
飛流は両の掌の上に、また十匹程の蝶を出していたが、藺晨の一言を聞いて、掌の蝶を消した。蝶は黒い靄となって、消えてしまった。
「、、、むぅぅ、、、。」
飛流は天に向かって、両手を広げると、空を凝視して、暫く動かなかった。
、、、、、、、、パサパサパサ、、、、
「ん?。何の音だ?。」
外から微かに音が聞こえる。
「、、、うん?。」
飛流が藺晨を見ると同時に、空から蘇宅の縁側へと、何かが向かってきた。
「あ?、、何だ???。」
音は大きくなる。
、、、バサバサバサ、、、ゴオ────、、、
「うわぁぁぁぁぁぁ────!。」
「多い多い多い多い!!。」
何百という紋白蝶の群れが、開け放たれた障子戸から、藺晨に向かって飛んでくる。
「コラ────ッッ、飛流─────ッッ!!。」
蝶の群れは、忽ち藺晨を取り囲んだ。
「wwwwwwwww。」
藺晨は、脇に差した扇子を広げ、大きく振る。
藺晨の魔道の力で、扇子で煽がれた蝶、数十匹が、一気に黒い靄と消える。
だが、相手は数百。
藺晨は必死に扇子で応戦する。
何度も扇子を大きく振って、蝶を消し、遂に全てを消し去った。
藺晨は汗だらだら、息は切れ切れ。
「ハァッハァッハァッハァッ、、、、、どぅだ!!、飛流!!。
ハァッハァッハァッ、、、、私は、、ハァッ、、勝ったぞ。」
『藺晨の勝ち』と聞いて、本気で面白くない飛流。
「むぅぅぅ─────ッ!。ブチノメス」
「なんだと!、飛流!!。カカッテコイヤァ」
「二人とも、いい加減にしろ。
藺晨も飛流も、頭を冷やせ!。
二人の間で、勝つだの負けるだの、なんの意味がある?!。」