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甘く煌めく

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 空は青く澄み、まだ日が落ちるまでには間があった。日差しはわずかに汗ばむほどには暖かく、庭先の向こうの竹林からは川のせせらぎに似た葉擦れがひびいている。
 盆に乗せられた二人分のヂェリーとエードの器はうっすらと汗をかき、いかにも冷たげに赤い煌めきを放っていた。
 穏やかな午後を、二人縁側に腰かけて過ごす。なんと幸せなことだろう。これだけで十分ではないか。高望みなぞしてはならないと、炭治郎は胸のうち言い聞かせる。
「氷があればもっとよかったんですけど」
「十分だ」
 笑いながらコップを手に取れば、やはりコップを持ち上げた義勇が、その手を炭治郎に向けてくる。
 無表情のまま、ん、と促す仕草に一つまばたきして、炭治郎は明るく微笑んだ。
「お疲れ様でした!」
「……お疲れ」
 カツリとコップを触れ合わせる。手のなかで赤いエードとともに淡雪が揺れる。
 稽古後の乾いた喉をすべり落ちたエードは、冷たく甘く、炭治郎の顔も知らず輝いた。
「おいしい! 上出来ですねっ、義勇さん!」
 笑って義勇を見れば、義勇もうなずき満足げだ。だが。
 顔を見合わせた途端に二人揃って目をしばたかせ、くっと喉を震わせる。思わず肩を揺らした炭治郎は、それでも笑いをこらえんとしたが、我慢しきれなくなったのは炭治郎のほうが早かった。
「ぎ、義勇さん、ひげ生えてますよ。白い立派なのが」
「……お前もな」
 ぺろりと舌で口についた泡を舐めとる姿にドキリとする間もなく、伸びてきた指先が炭治郎の上唇を拭って去っていく。エードで冷えたはずの喉の奥が、カッと熱をおびるのを炭治郎は感じた。
 義勇は事も無げに、指についた淡雪のようなメレンゲを舐めている。その様に炭治郎の体がまた熱を上げた。
「ぎ、義勇さんも、まだついてます、よ……」
 ようよう口に出たのはそんな言葉で、返された「とってくれ」との言にうろたえる。けれども兄弟子が言うのなら、炭治郎が否やを唱えられるわけもない。
 恐る恐る手を伸ばし、失礼しますと触れた唇に、指先から痺れが走った。
 火に触れたかのように慌てて引いたにもかかわらず、指先から広がった痺れと熱はまたたく間に炭治郎の全身に広がった。
義勇のように舐めとるわけにもいかず、震える指を行儀悪く膝で拭えば、義勇から少しばかり不満げな匂いがする。
 いや、まさか。そんなことはあるまい気のせいだと、炭治郎はぎこちなく笑った。
「おいしいけど、口につくのが困っちゃいますね。今度はメレンゲなしで作りましょうか。あっ、ヂェリー! ヂェリーも冷たいうちに食べないと!」
 自炊をせぬ義勇の屋敷には、冷蔵箱なぞない。冷水にて冷やし固めただけのヂェリーだ。カフェーで供されるものとはきっと比べ物にならぬほど、ゆるゆると頼りなく器のなかで揺れている。
 甘露寺の手伝いで作ったヂェリーですら、もう少し固かったような気もするが、赤いそれはそれでも甘い香りを立ち昇らせ、早く食べてと炭治郎を誘う。
 炭治郎の恋心と同じ香りの甘い菓子。それを義勇が食すのか。はたと気づいたその事実に、ぐい吞みに入ったヂェリーを手にしたまま炭治郎は動けなくなった。
 ちらりとうかがい見る義勇の横顔は、常の無表情だというのに、どことはなし楽しげにも見える。白く長い義勇の指が赤く透けるヂェリーを持つ様は、まるで一服の絵画のようであった。
 息を詰めて盗み見る炭治郎の視線の先で、銀の匙の上の赤いヂェリーが揺れ、義勇の唇に運ばれていく。

 恋の香をまとった甘い煌めきを、義勇は食べた。

 まるで、自分の恋心がそっくり義勇の唇に食まれ、飲み込んでもらえたような錯覚すらして、くらりと目が眩む。
「……甘いな」
 少しばかりの苦笑を含んだ呟きをもらすが、気に障る甘さではなかったのだろう。義勇は続けざまに苺のヂェリーを匙ですくっている。
「食べないのか?」
「へ? あ、食べます食べます! いただきます!」
「声が大きい」
 我に返り慌てて答えれば、今度こそ義勇ははっきりと苦笑した。
 そんな笑みにも見惚れそうになり、照れ笑いを返しつつ炭治郎も、すくい取ったヂェリーを口へと招き入れる。
 つるりとすべらせたヂェリーは舌に乗った途端に甘さを伝え、口内に満ちた苺の香りが鼻から抜ける。軽く食めばたやすく崩れ喉を落ちていく、わずかにぬるくなりつつある甘い菓子。
「ほんとだ、甘い!」
 出来栄えだけで言うならば、甘露寺の手製のヂェリーのほうが上等であろう。だがしかし、これほどまでに心浮き立たせる味は、きっとほかにない。
 義勇とともに作った菓子だ。義勇と一緒に水屋に立ち、義勇と一緒にヘタを取った苺で作った、甘い菓子。炭治郎にしてみれば、どれほど高級なカフェーのヂェリーより、このゆるくぬるんだヂェリーのほうが、おおいに美味であるのは疑いようがない。
 喜色を表す炭治郎に義勇も小さくうなずいた。
「久し振りに食べたが、うまいな。お前は料理が上手だ」
 姉と作ったのを思い出すと小さく呟いた義勇の目が、柔く揺れる瑞々しい菓子へと愛おしげに注がれている。その横顔のやさしさに、炭治郎の胸中にもときめきと同量の郷愁が湧き上がった。
「……俺も、禰豆子たちと苺を食べたのを思い出しました。あ、俺が食べてたのは西洋苺じゃなくて野苺なんですけど。草苺がうちの近くにいっぱい生えてて、みんなで摘んでおやつに食べてたんです。おいしかったなぁ」
 甘いおいしいと喜ぶ茂の顔。棘が刺さったと泣く花子。竹雄と禰豆子が母さんへのお土産にと苺を摘む横で、腕に抱いた六太の口に苺を運んでやったあの日々は、斯様に今でも鮮明に思い出せるというのに、もう遠い。
 けれども悲しいと思うより深く、懐かしいとやさしく思い出せるのは、傍らにいる義勇のおかげであろう。
 凍てつく冬に出逢った彼の人は、雪解け水のかすかな匂いをまとい、恋という春を炭治郎の元へと連れてきた。
 この恋が報われるなど思ってはいない。こうざまに麗しく強く、高根の花との言がひたすらに似合う御仁と、兄弟弟子の枠を越え情を交わすことなど、あり得ぬ話だろう。
 けれども、思う端からもしかしてと、わずかばかりの期待もそわりと胸をくすぐるのだ。
 たとえばこんなふうに縁側に二人腰かけて、一緒に作った菓子を食しているという、甘く煌めくようなひと時に。
「俺も小さいころにはよく食べた」
「義勇さんもですか? おいしいですよね、草苺!」
 玲瓏な青い瞳が優しく炭治郎を見据え、かすかに柔らかい笑みを浮かべた。
 雪解け水の清涼な匂いに、ほのかに混じる甘い香は、苺の香りかそれとも。
「食べに行くか? 一緒に」
「え……? えっと、草苺をですか?」
「あぁ。今度一緒に」
 静かな声とともに差し出されたのは、右の小指。まじまじと見つめ、炭治郎はおそるおそる己が右の小指でそれに触れた。
 絡めとられた小指にとまどいつつも、炭治郎は無意識に口遊(くちずさ)む。幼い弟妹にしていたように。
「ゆ~びきぃりげ~んまん、嘘ついたら針千本のぉます」
 フッとこぼれ聞えた笑い声に、キョトリと義勇を見返せば、義勇は小さく肩を揺らし笑っていた。
「調子っぱずれだ」
「えーっ! そうかなぁ?」
作品名:甘く煌めく 作家名:オバ/OBA