Hush a Bye Baby
誕生日おめでとうと笑顔でプレゼントを渡されたのが、登校してすぐでよかった。満面の笑みで受け取る余裕がほんの少しとはいえあった。伊之助のピカピカと光るほど磨かれたどんぐりはともかく、これで禰豆子ちゃんにおいしいパンを作ってあげてくれと善逸がくれたオーブン用の手袋は、どちらへのプレゼントなのか悩むところではある。とはいえ、長いこと使っているものが擦り切れていたのに気づかず火傷しかけたと話したことを、ちゃんと覚えていてくれたのだから、うれしいことに違いはない。
母や禰豆子たちだって「誕生日おめでとう。こんな日に寝込んでてごめんね」と言ってくれた。六太や茂も兄ちゃんの誕生日なのにとベソをかいていた。苦しいなか炭治郎の誕生日を忘れずにいてくれたのだ。思ったよりもキツイなんて弱音は絶対に言えない。
ゴホゴホと咳きこみながらも何度もごめんねと謝っていた、母と禰豆子の赤い顔を思い出し、炭治郎は勢いよく自分の両頬を手でたたいた。
「しっかりしろ、俺っ。苦しいのは母さんや禰豆子たちのほうなんだぞ!」
突然自分をひっぱたいたうえに大声を出した炭治郎を、見とがめるものはいなかった。いつのまにか保健室近くまできていたものらしい。生徒の姿がまるでない。
校庭に出ようと思ったのに、まさかベッドに呼ばれた? よっぽど眠いんだな、俺、と思いがけず自覚を深めたところで、炭治郎はあわてて足を早めた。
保健室は中等部からも見える。うっかり入ってしまう前に気づいてよかった。竹雄に保健室にいるところを見られたら、心配させてしまう。
駄目だなぁ。もっとしっかりしないと。ちゃんとしなきゃ。心配かけたら、やっぱり兄ちゃんじゃ駄目だって呆れられるかもしれない。母さんだって安心させてやれなくなっちゃうぞ。頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、炭治郎はうわ言のようにブツブツと繰り返す。
頑張ってるよ。でも足りないんだ。きっとまだまだ足りないんだ。でも、そしたらどれだけ頑張ればいいんだろう。どこまで頑張れるだろう。
勝手に目が潤む。泣き出しそうだなんて言いたくはない。
今日を乗り切ればたぶん大丈夫。六太の喉の腫れもだいぶおさまってきたし、母も関節痛が楽になってきたと言っていた。熱はまだみんな下がりきってはいないけれど、三郎爺さんが今日また病院にみんなを連れていってくれる。今日は金曜だから、明日は休みだ。登校しないぶん楽になる。
とにかくもうひと踏ん張りと、フラフラ歩いていたら。
「竈門」
背後からかけられた馴染みのある声に、炭治郎は反射的に「外せません!」と一声叫んで走りだした。気持ちだけは。
足がもつれて転びそうになったとたん、腕をつかまれた。ため息が頭上から降ってくる。
「保健室行くぞ」
有無を言わさぬ声に、炭治郎の体は固まった。知らず眉だって情けなく下がる。心配をかけてしまったと罪悪感を覚えるより早く、ぶわりと身の内でふくれあがったのは不安だ。
頑張ってる。まだ頑張れる。でも、そう思ってるのは俺だけですか? これぐらいじゃ頑張っているようには見えませんか? 竹雄たちにも呆れられますか?
そんな身勝手な疑心暗鬼は、睡眠不足のせいだろう。追い詰められているなんて自覚もないまま黙り込んだ炭治郎の上で、またため息がした。ぼんやり見上げれば、鬼教師はいつもの仏頂面だ。
なんの感情も読めない顔を、怖いと思ったことは一度もない。怒っているときはそりゃ怖いけれど、炭治郎は、善逸みたいに冨岡先生の無表情を闇雲に怖がることはなかった。
なのに、今日はなぜだか無性に怖い。呆れられているかも、嫌われたのかもと、怖かった。
「じゃあ指導室」
炭治郎がなにも言わぬうちに、先生はそれだけ言うと炭治郎の手を引き歩き出した。
自慢の鼻は寝不足のせいか役に立ってくれない。先生が考えていることを、匂いが教えてくれることはなかった。
それでも、炭治郎は小さく笑った。ぼんやりと定まらぬ思考でも、竹雄たちに見られたくない炭治郎の葛藤を、ちゃんと悟ってくれたのだとわかるから。泣き出す寸前みたいな顔で、炭治郎は先生の背中を見つめ、笑った。
保健室のある廊下を戻った行き止まりに、指導室をかねた体育教官室はある。以前まで生活指導は職員室の隅でおこなっていたそうだけれど、炭治郎はそのころを知らない。炭治郎が高等部に上がったときにはすでに、体育教官室が生徒指導室になっていた。
部屋の主は言うまでもなく冨岡先生だ。だからこの部屋は、生徒にとってはデンジャーゾーン。誰も近づきたがらない。
保護者を呼び出す場合もあるからだろう、体育教官室には応接セットが鎮座している。リサイクル品なのか、かなり年季の言った代物だ。部屋にそぐわぬ大きさなのは、サイズ感よりお得感で選んだせいかもしれない。知っているのは生徒指導室の常連ばかりだ。戸口からは衝立で隠されて見えないから、長時間指導されないかぎり、応接セットの存在を知ることはない。
部屋に入るなり、先生はすぐに応接セットのソファに座った。一人がけ用ではなく、三人は座れるほうにだ。
「あの、冨岡先生……?」
いつもとは逆に、自分が向かいの一人がけに座ればいいんだろうか。とまどいを呼びかけに乗せた炭治郎は、グイッと手を引かれるままによろけて、先生の隣に腰を下ろした。アレよという間に無理やり横にさせられる。枕はこともあろうか先生の膝だ。
思考が追いつかないのは、寝不足のせいばかりではないだろう。あり得ない事態だ。もしかしたら俺、とっくに眠っちゃってる? これって夢? と混乱するぐらいには。
「授業の前に起こしてやる。寝ろ」
ぶっきらぼうな声に、じわりと目頭が熱くなった。夢だとは、もう思わなかった。
先生はこれだから、困ってしまう。
無愛想無口な仏頂面。竹刀を持って般若を背負い追いかけてくる姿は、下手なホラー映画より怖い。なのに、やさしい。炭治郎の胸をキュゥッと締めつけるやさしさを、こうしてこともなげに与えてくるから、炭治郎はどうしようもなく困ってしまう。
どうして、わかっちゃうんだろう。先生には――義勇さんには、いつもバレちゃう。
強がっていても本当はつらいときや苦しいとき、竈門ベーカリーの常連でしかなかったころから、義勇はいつでも不思議とそれを悟って、炭治郎にさりげないやさしさを投げかけてくる。
憐憫めいた慰めやおためごなしではない労りは、いともたやすくおこなわれ、傍目には気づかれにくい。それが示されるのは炭治郎だけにではないことを、炭治郎は知っている。義勇は本当は誰にでもやさしいのだ。いつでも仏頂面だし、言葉選びが下手だから、気づかれないだけだ。
だけど、炭治郎はちゃんと気づいている。気づいているから好きになったのか、好きになったから気づいたのか。それは炭治郎にもわからないけれど。
「倒れてからじゃ遅い。竹雄たちに心配をかけたくないなら大人を頼れ」
「……俺、もう大人です」
だって、今日は誕生日だ。炭治郎は十八になった。法令が変わった今、炭治郎は今日から成人だ。
「……先生とは、先に生きると書く」
作品名:Hush a Bye Baby 作家名:オバ/OBA