いのちみじかし 前編
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
操り人形たちが俳優もかくやと言わんばかりに演じる滑稽な芝居にも、煉獄はキラキラと目を輝かせた。ほぼ初見と変わらぬ義勇も、人形たちのイキイキとした動きには目を見張ったが、煉獄の興奮は義勇の比ではない。
「西洋の糸操りは、人形浄瑠璃とはだいぶ違うな」
「そうなのか?」
先の会話からも垣間見えたが、煉獄は歌舞伎などへの造形が深いようだ。義勇の口下手や無愛想さも相まって、個人的な会話などろくに交わしたことがなかったから、こんなことすら初めて知る。なんだか胸がまたソワソワと甘くざわついて、義勇は、煉獄ほどには芝居に集中できずにいた。
もしかしたら幼いころにも煉獄は、今日と同じように目を輝かせて、浄瑠璃人形に釘付けになったりしたのだろうか。夢中で人形を見つめる小さな煉獄を思い浮かべ、義勇はほんの少し頬をゆるめた。
「浄瑠璃は語り物だから聞く芸だろう? 主役たる義太夫が、人形繰りや三味線と演じる、三位一体の芸だ。人形自体も一体を三人の黒子が操る。あんなふうに人形の全身が自由に動くわけでもない。もちろん、浄瑠璃も優れた芸だと思うがな」
観劇中だからか、煉獄の声はささやくような小声だ。手を握り大声をたしなめる機会はない。ちょっぴり残念だと落胆する自分に気づき、義勇は胸のうちで少々慌てた。
そんな義勇の狼狽には気づかぬまま、煉獄は視線を舞台に据えたまま、なおも言う。
「五代目菊五郎も、糸あやつりを絶賛していたらしいぞ。歌舞伎の題目として、自分が見た人形芝居を演じたという話だ。『操り三番叟(さんばそう)』という、人形と人形繰りを演じる舞踊の幕でも、菊五郎は操り人形に着想を得て、ゴム糸を実際につけ空に浮いてみせたらしい。名人にそれほど影響を与えるものなら、ぜひ一度西洋の操り人形を観てみたいと思っていたんだ。花屋敷で興行していてよかった」
もともと話好きな質ではあると思うが、いつも以上に煉獄は饒舌だ。声音は抑えているが、それでも弾んだ調子は隠しきれていない。
ろくに会話を盛り上げられぬ聞き手では、語り甲斐がないだろうに、煉獄はまったく気にならないのだろうか。煉獄のことを知れるのはうれしくもあるが、そこはかとなく申し訳なくもなる。
明るく気安い煉獄は、ほかの柱たちとの交流だって深いだろう。それでも、趣味の話で盛り上がるのがむずかしいことぐらいは、義勇にも想像がついた。観劇を好む者がいたとしても、柱がそうそう時間を取れるわけもない。余暇を過ごせる日が重なるなど奇跡的だ。めったにない機会とばかりに、煉獄の弁舌には熱がこもっている。
多感な時期からずっと、鬼狩りのみに時を費やした義勇と違い、煉獄は柱としてのみならず、私人としても充実した日々を送っているのだろう。煉獄は行楽には不慣れだと言うが、それでも余暇を無為に過ごすことはないに違いない。時間の使い道一つとっても、自分とは雲泥の差だ。義勇は知らずため息をつきそうになった。
自分とは違う。思い浮かぶたび、胸の奥がチリリと痛む文言だ。だが、端からわかりきったことではないか。今さら落ち込むほうがおかしい。それでも、自分は煉獄の傍らに立つには不釣り合いだとの見解は、凪いで揺れ惑わぬのが常となった義勇の心に、どこか悲しいさざ波を立てた。
鬱々と沈みかけた義勇の心のうちなどまるでおかまいなく、人形芝居は佳境に入っていた。観客がドッと沸いて、館内が笑い声に包まれた。拍手が鳴り響く。どうやら終幕のようだ。
「おもしろかった! じつに見事な動きだったな!」
照明が煌々と灯り、楽しげに笑いながら観客が続々と客席を後にする。人々の流れを見るともなしに見つめていた義勇に、煉獄はたいそう満足げに笑いかけてきた。
「冨岡は浄瑠璃を観たことがないようだが、よければ浄瑠璃も一度見てみないか? 君が好みそうな演目をやっているか調べておくから、一緒に行こう。あぁ、もちろん浄瑠璃に興味がないなら、能や歌舞伎でもいいぞ。能なら俺もいくらか舞えるし、わからないことがあればいくらでも聞いてくれ!」
「なんで?」
俺と行ってもなんの得にもならないだろうに。煉獄は観劇には慣れているようだし、声を注意する必要もない。舞台について熱く論を交わしたいのなら、義勇では役に立たないのだ。誘われる理由がわからない。
社交辞令にしては熱のこもった煉獄の誘いに、義勇は小首をかしげた。
義勇からすれば当然の反応であり、いつもと変わらぬ仕草と言葉だったが、ずいぶんとそっけなく感じられたのかもしれない。途端に煉獄の笑みがくもった。ありありと伝わってくる落胆が、義勇の疑問と困惑をますます深める。
きっとまた、自分はなにか間違ったことを言ってしまったに違いない。義勇は焦燥を押し隠すようにうつむいた。
いつでもこうだ。不死川や伊黒などは、義勇が口を開くたび苛立った顔をする。胡蝶や宇髄には呆れ顔をされることも多い。
煉獄にもいよいよ失望されただろう。だがそれも、しかたのないことだ。自分はほかの柱たちとは違い、本来ならば隊士にすらなれる器ではない。事実を知れば柱たちのみならず、今は敬意を払ってくれている隊士たちにだって、厭われるに違いない。
それぐらい、わかっているけれど。義勇は軽く唇を噛んだ。
浅ましいと己を戒めても、煉獄にだけは、軽蔑されたくないと願ってしまう。嫌われたくない。煉獄に見損なったと切り捨てられるのを想像するだけで、刺し貫かれる如くに胸が痛む。
「やはり、俺では駄目だろうか」
悲しげな声に、義勇は慌てて顔を上げた。煉獄の顔には笑みがある。寂しげで自嘲の色濃い苦笑だ。煉獄には似合わない。
「俺は君と違って普通の暮らしがよくわからん。年下だし、君の目には経験の浅い子供に見えてもしかたがない。頼りなく思われているんだろうが」
「違うっ!」
自己卑下する文言など、煉獄の口から聞きたくない。どうしてそうなるのだと、義勇は勢い込んで煉獄の声をさえぎった。
頼りないだなんて、なぜそんな真逆なことを思うのだろう。煉獄は常に堂々としていて、交流下手な自分なぞより、はるかに頼りがいもあり世慣れた男ではないか。
「俺が一緒では、おもしろくないと思う。煉獄が楽しめないのは嫌だ」
ただそれだけなのだ。煉獄を否定したわけじゃない。伝えたくて必死に紡いだ義勇の言葉は、どこか子供めいている。
なんだそうかと笑ってくれると思ったのに、義勇の言葉を聞くなり煉獄は、カッと目を見開いて声を張り上げた。
「楽しいに決まっているだろう!? 冨岡、君と一緒にいられるなら、それがどこだろうと俺にとっては桃源郷だ!」
大音声に思わず肩を跳ね上げらせながらも、義勇は、反射的にキュッと煉獄の手を握った。サッと煉獄の頬に朱が走る。
戸惑いをあらわに閉ざされた唇、わずかにそらされた視線。手はつないだままだ。すぐに力を抜いた義勇の手を、どこかすがるような強さで煉獄は握ったままでいる。
花屋敷に姉ときたときに、自分もこんな顔をした気がする。覚えずよぎったささやかな記憶に面映ゆさを感じ、義勇も視線を泳がせた。
作品名:いのちみじかし 前編 作家名:オバ/OBA