花発多風雨、人生別離足
「それなりにうまくやっている……と、言いたいところですが、さて。なにぶん寛三郎は高齢ですので。なかなか意思伝達はうまくいかぬようです。寛三郎をあてがわれたのは自分が隊士として不出来なせいだと、義勇も思い込んでいるふしが見受けられます」
「なるほど。一度義勇と話をしたほうがいいかもしれないね」
「それがよろしいかと存じます」
うやうやしく述べる鴉に一つうなずき、義勇を呼び出すことを決めた耀哉が、実際に義勇と対面したのはそれから一月ほど経ってからのことだった。
隊服をまとい座敷に座る義勇の姿は、凛としていた。体格は子供のそれであり、きびしい鍛錬を乗り越えたとはいえ、のぞく手首やうなじはまだまだ細い。けれども、すっと伸びた姿勢の正しさは気持ちいいぐらいで、義勇の素直で生真面目な気質のありようを示していた。
白くまろい頬にはすり傷があり、左手には包帯がまかれている。任務明けにそのまま隠につれてこられたのだろう。迎えにやった隠にも呼び出した理由は告げていないのだから、不安や緊張はあるだろうに、顔には出さない。
静かに座す義勇の瞳には、子供らしさなど露ほども見られず、暗く沈んでいた。美しい瑠璃の瞳をしているというのに、諦観と呵責の念が、義勇の瞳から輝きをうばっているようだった。
「よく来てくれたね」
「……お館様のお呼びとあらば」
恭順を示す言葉や深々と頭をさげる姿に、耀哉に対しての敬愛や親しみはまだない。礼を尽くす相手であるとの認識からくる、儀礼の所作である。
それも致しかたなかろう。はたから見れば、耀哉とてまだ頼りない子供でしかないのだ。さして年も変わらぬ少年を父と恃(たの)めと言われても、当惑するのは当然のことだ。
ともすれば慇懃無礼ともとれる義勇の態度に気分を害することもなく、耀哉は微笑みながらたずねた。
「寛三郎とはうまくやれそうかな?」
「……はい」
一瞬返答につまった義勇に、耀哉は声をあげて笑った。
「義勇は嘘が下手だね」
いよいよ返答に窮したか、義勇からわずかばかり困惑の気配が漂ってくる。たいそう美しい子だが、整った顔は人形のように表情が動かず、感情の機微は読みとりにくい。左近次は笑顔の愛らしい子だと述べていたが、さて、いつか自分にもそんな愛らしい笑みを向けてくれるであろうか。
「寛三郎は年寄りだから、伝令がうまく通じないこともあるだろう?」
「……私の未熟さゆえ、任務到着が遅れがちなこと、申し開きの余地もございません」
年に似合わぬ流暢な言は、借り物ゆえだろう。義勇自身の胸のうちからほとばしる言葉は、きっと、ずっと幼くつたないに違いない。ずいぶんと達者な言葉遣いだと感心はすれど、年相応にはしゃぐ姿を望めぬ現状は、痛ましさのほうが勝る。
しかし、礼節重視の文言の裏側には、義勇の本質がひそんでいる。すべては自分の力量不足がゆえとは、義勇にとっては真実なのだろう。けっして年老いた鴉のせいではない。そんなやさしさがもたらした言葉に、耀哉の口元には常よりもやわらかな笑みが浮かんだ。
「叱っているわけではないよ。義勇のせいでもない。そして、寛三郎のせいでもない。老いはどんな生き物にもおとずれるものだ。不老不死を望み、実際にそれを手にしたものは、もう生き物とは言えない。儚いほどにいつかは死ぬからこそ、人は人たりえるのだからね」
耀哉の言葉がさし示すものを、あやまたず察したのだろう。義勇がわずかに息を飲んだのがわかった。
いっそ生気のないと称してもよかった瞳が、爛と燃えたつ。無惨への怒りの焔が、細い体躯を包んでいるのが目に見えるようだ。
けれど、それだけでは足りない。義勇がこの先隊士として戦いぬき、生き延び、そして人として生きていくためには、怒りだけでは足りぬのだ。
喪失感や絶望から立ちあがろうとする者には、ことさら笑みが増える者もいる。空元気もつづけていれば真実になると、あえて戯言(ざれごと)や冗句(じょうく)を口にしては快活に笑い、悲嘆を吹き飛ばすのだ。
しかし義勇は、その真逆を選んだようだった。
罪悪感や自責の念で己を戒め、自身の幸福を許さない。そんな負の誓約を、その身に科しているように見える。
清廉であっても悲愴な覚悟は、修道者というよりも、いっそ囚人めいて見えた。
鬼殺隊隊士として突き進むならば、先の命の確証はない。だが義勇はまだ若い。幼いと言ってもいい年齢である。ゆめゆめ生き急ぐようなことがあってはならないのだ。
死を覚悟することと、生き急ぐことは違う。懇々と教えさとせば、この利発な少年は一応の理解を示してみせるだろう。だが、それだけだ。理解し納得したところで、義勇がそのように生きることを自身に許すかは、また別問題である。
「寛三郎はね、義勇の前にも何人もの隊士の鎹鴉を務めていたんだ」
その意味がわかるかいと問うた耀哉に、義勇の目から、すっと光が消えた。鎹鴉が言ったとおり、そしてまた先の言葉が示すように、義勇は自分自身の力量を認めていないのだろう。
寛三郎は、よく言えば熟練、けれども実際は記憶力や判断力も低下しつつある老齢の鴉だ。血気にはやる若く優秀な鴉たちにくらべれば、数段劣る。なぜこんな老いぼれた鴉が相棒なのかと、腹を立てたとしてもしかたあるまい。実際、義勇以前に寛三郎が組んだ隊士のなかには、不満を隠さぬ者もいた。
だというのに義勇は、寛三郎ではなく自分が劣っているからだと考えている。
「……寛三郎では、隊士についていくのは困難です」
それゆえ自分のような力およばぬ者と組まされることとなったのだろうと、義勇は言いたいようだ。そこには寛三郎への不満ではなく、申し訳なさばかりがにじみ出ていた。
「一度組んだ鎹鴉と隊士は、生半(なまなか)なことでは離れることはないよ」
ではなぜとの疑問が、かすかに寄せられた義勇の眉にあらわれている。そんな義勇に、耀哉は泰然自若とした微笑みをたたえたまま言った。
「みんな死んだからだよ。寛三郎が組んだ隊士は、みな寛三郎を残し鬼に殺された」
ヒュッと息を吸い込む音がわずかに聞こえた。初めて義勇の顔に動揺が浮かぶ。
義勇の瞳が、刹那おびえるようにゆれた。一度ぎゅっと唇を噛みしめた顔は幼いながらも深い決意があらわだった。まなじりを決し義勇が口を開いた。
「寛三郎を、俺の担当から外してください」
「おやおや、生半なことでは離れないと、たった今教えたのにかい?」
「俺では……俺みたいな弱虫と組んでいては、寛三郎まで死んでしまう。俺は試験で一体も鬼を斃していません。俺じゃ駄目です」
型にはまった文言を忘れ、自身の言葉で懇願する義勇は真剣そのものだ。自分も死ぬのではと不安になるよりも先に、まず年老いた寛三郎を案じる。そのやさしさこそが、義勇を苦しめるものであり、同時に、義勇を強くするものなのだろう。だから耀哉は、微笑みを消すことなく静かに義勇をさとした。
作品名:花発多風雨、人生別離足 作家名:オバ/OBA