花発多風雨、人生別離足
「義勇、寛三郎と組んだ隊士が亡くなったのは、隊士たちの力量が劣っていたからとばかりは言えない。老いた寛三郎を信用せずに、功にはやって自ら窮地に追い込まれた者もいるんだ。残念なことだけれどね。それに、相棒というべき隊士に先立たれた鴉は、寛三郎ばかりじゃないよ。逆もまたしかり。自分の鴉が殺された隊士だって少なくはない」
「だけどっ」
つめ寄らんばかりの義勇に、耀哉は小さく首を振った。心には喜びがある。この子はやはり左近次が見込んだだけはある。他者を思いやれぬ者は、隊士にはなれても柱にはなれない。
義勇は恵まれた体格をしているわけではない。目を見張るような才能を感じさせるわけでもなかった。育ちの良さがわかる言動からも、以前は荒事などとんと縁がない生活を送っていたはずだ。錆兎のように卓抜した才能を持つ少年と並べば、かすんで見える子かもしれない。
それでも左近次は、義勇ならば生き残り合格すると、立派な隊士になる器だと信じたからこそ、選別試験へと送りだした。
水の呼吸には、ほかの呼吸にはない慈悲の型がある。鬼に対してだろうと場合によっては慈悲を垂れるのが、水の呼吸のありかただ。
それは義勇の本質に通ずると、左近次は見抜いていたのだろう。
おそらくは、この子は守るべき者がいてこそ真の力を発揮できる。自身に向けられる悪意より、他者に向けられる悪意にこそ、怒りを覚えるのだ。
義勇が立ちあがり刀をにぎった理由は怒りだとしても、強くなるために必要なものは庇護の念に違いない。守る対象がそばにいてこそ、義勇はきっと強くなる。
「義勇は寛三郎では不満かい?」
ぶんぶんと幼い仕草で首を振る義勇に、ゆるやかにうなずいて、それなら、と耀哉はやさしく言った。
「どうかあの子を守ってあげておくれ。寛三郎は、鎹鴉としての自信もなくしかけているんだ。老齢とはいえ、鴉の寿命は長い。三十年は生きるものもいる。寛三郎の年ならばまだまだ働けるはずだ。けれどかわいそうなことに、すっかり自分が疫病神なのではないかと落ち込んでしまっていてね。疫病神な自分が若い義勇と組むのはあまりにも義勇があわれだと泣くのを、どうにかお願いして任についてもらったんだ。あの子はとてもやさしい子だよ。君と同じだね、義勇」
鴉は群れで暮らす鳥類のなかでも、とくに仲間想いだ。その絆は強い。そんな鴉たちにとっては、自分の仲間や家族を殺された恨みや怒りは隊士たちにも劣ることはない。高い知能と仲間への絆。だからこそ、鴉は隊士たちの鎹となりうる。鬼殺隊と隊士をつなぐだけではない、隊士を生につなぎとめる鎹。それは寛三郎だってなにも変わりはない。
「寛三郎には、家族も仲間ももういない。鬼殺隊の仲間はいるけれど、なにせ高齢だからね。邪険にされることはないが、少しばかり嫌厭する鴉もいるようだ。伝令も間違いがちだし、飛ぶ力も若い鴉にはおよばない。それでもね、志もやさしさも、ほかの鴉に劣るものではないよ。むしろほかのどの鴉よりもきっと強い。君を守るために、寛三郎は力のかぎり働いてくれるだろう。義勇、君たちはいい相棒になれると、私は思っているよ」
耀哉の言葉を聞くうちに、しだいに力なく肩を落としていった義勇は、すっかりうつむき膝のうえで拳をにぎりしめていた。
「……大丈夫かって」
ぽつりとこぼれた声は、小さいけれどもはっきりと耀哉に届いた。
「任務が終わると、寛三郎はいつも、大丈夫か義勇って、俺にすり寄るんです」
「うん、とても思いやり深い子だ」
「怪我をするとすごく心配して、無事だといい子じゃって……義勇はいい子じゃって、とてもうれしそうにします」
「支えあって戦える相棒に出逢えて、寛三郎も喜んでいるんだろう。義勇、寛三郎のためにも強くなって、生き延びてあげてくれるね?」
あげられた義勇の顔は、やはり感情が読めない無表情だ。けれど、耀哉をまっすぐに見つめる瞳には、先ほどよりも強い光があった。
「……若輩者がお館様に対し礼を失し、不躾な真似をいたしました。お詫びのしようもございません。浅才なる身ながら、心して拝命仕(つかまつ)ります」
ふたたび深々と頭をさげて述べる口上によどみはない。けれど心のこもらぬ先の言とは、声の張りが違う。
きっとこの子は大丈夫だ。少なくとも死に急ぐことはないと確信しつつ、耀哉は悠然とうなずいた。
おそらくは、義勇がこの一事で自信を持つことはないだろうし、己に科した罰のような誓約をくつがえすこともないに違いない。それでも、これは鬼殺隊隊士として、いや、人としてこの子が生きていくための、大事な一歩だ。
いつかやさしさや慈しみを惜しみなく与えあえる存在に出逢い、笑ってくれるのならば、それでいい。いきなり多くを望むのは酷だろう。心の傷はたやすく癒えるものではないのだから、今はその才を伸ばし、守る強さを身につけていくことが肝要だ。
さて、この命がつづくうちに、義勇の笑みを見られるといいのだが。先見の明にすぐれた耀哉とはいえ、こればかりは神ならざる身ではわかりようもない。
辞去した義勇を見送り、一人座敷に残った耀哉のもとへ、羽音が近づいてくる。
「耀哉様、義勇と寛三郎が生き延びる可能性が高まりましたこと、さすがでございます」
「おや、お世辞はいらないよ?」
「さて、私はお世辞など生まれてこのかた口にしたことはございませんが」
澄ました声で告げ、そっと膝に寄り添ってくる鴉に、耀哉が浮かべた笑みは少し苦笑めいていた。
「おまえが甘えるとはめずらしいね」
「寛三郎に倣うわけではございませんが、耀哉様には御身をお労りいただき、幾久しくご壮健であらせられることを願っておりますので」
少し気取った声ながら、鴉の言葉に心からの懇願があることを感じとり、耀哉はやさしく鴉の頭に触れた。
「そうだね。まだ逝くには早い。おまえのためにも精一杯生きることとしよう」
目を細める鴉をやんわりとなでながら、耀哉は、また風が変わるのを感じた。
この風は、はたしてどちらに向かって吹く風だろう。この世の一切合切は、ほんの些細な選択の積み重ねによって成り立つ。耀哉の、そして義勇の選択によって進むこの道の先が、吉と出るか凶と出るか。吹く風ははたして追い風か、はたまた逆風となるか。それはまだ、耀哉にもわからなかった。
作品名:花発多風雨、人生別離足 作家名:オバ/OBA