やきもちとヒーローがいっぱい
なのに炭治郎はキラキラとした大きな目で、義勇さんは凄い、義勇さんはやさしいと、まっすぐな好意を伝えてくるのだ。
こんなふうになって以来、人を苛つかせたり馬鹿にされたりしてきた義勇にとって、そんな炭治郎の称賛と憧憬の眼差しは、まぶしすぎていたたまれない。それに、なんだかちょっと照れくさくもある。
返す言葉を見つけられずに、視線をついと逸らせた矢先。
キャインッ!
突然聞こえた犬の悲痛な鳴き声に、思わず全員が声のしたほうへと視線を向けた。
広場を取り囲むように植えられた木立のなかから、その声は聞こえた。大型犬のハチを連れているからか、義勇たちがいる場所の近くに人の姿はない。その鳴き声に気づいたのは義勇たちだけなようだ。
「……おばさんが言ってたよね、ハチを置いてトイレとか行くときは、人から離れた木に繋いでねって」
「犬を連れた人はみんな、林のなかに繋ぐようにしてるからって言ってたな」
真菰と錆兎のつぶやきが終わる前に、義勇は、ハチのリードを持ったまま走り出していた。
考えるより早く体は動く。突然走り出した義勇に、ハチも義勇を引っ張る勢いで義勇が望む方向へと駆けだした。
キャンキャンと悲しげな声は、断続的に聞こえてくる。後を必死に追いかけてきている子供たちの気配が遠くなるのを感じ取りながら、義勇は木立の間に飛び込んだ。
そこに見えた光景に、義勇の眉根がグッと寄せられた。
パーカーのフードを被った人影は三人。木に繋がれた中型犬はうずくまって震えている。辺りに散らばった石ころは一つや二つどころじゃない。犬を取り囲む三人の手には、それなりに大きい石があった。
足元でグルルルルとハチが唸り声をあげた。姿勢を低くして威嚇の体勢だ。
ハチの唸り声に気づいたのか、三人が振り返った。顔は一様に深く被ったフードの影になってよく見えない。だが、おそらくは義勇と同じ中学生くらいの少年たちだ。
万が一に備え竹刀を取り出そうとしたが、義勇はすぐに傍らのハチの存在を思い出し逡巡した。この状況でリードを放すわけにはいかない。ハチはかなり興奮しているように見える。炭治郎たちに襲いかかろうとしたときの姿を思い出せば、楽観はできなかった。大型犬のハチが人を噛めばどうなるのかなど、考えずとも答えは明らかだ。
「……なんだ、冨岡じゃん」
嘲笑うような声があがった。
義勇が訝しむ間もなく、お手玉のように石を弄んでいた少年が、ハチを見て舌打ちをひびかせた。
「なぁ、あれ、鎖千切って俺に飛びかかろうとした馬鹿犬じゃねぇか?」
「え、マジで? 犬の区別なんてつかねぇよ。でもあれ、本当にムカついたよなぁ」
「もっと痛めつけてやれば良かったよなぁ。くそ犬が人間様に歯向かいやがって。マジムカつく」
ハチはまだ低く唸っている。だが少年たちは馬鹿にした態度を崩す様子もない。
「そんな馬鹿犬が一緒だからって強気になってんじゃねぇぞ。人噛んだらそんな犬、すぐに殺処分だからな。そんぐらい狂った頭でもわかんだろ? 頭のおかしい冨岡くぅん?」
そう言って三人はゲラゲラと笑った。
俺の名前も現状も知っているということは、こいつらは知り合いなんだろうか。訝しみつつ義勇がパーカーの影になった顔を見定めようとしたと同時に、真ん中の少年がハチに向かって石を投げつけてきた。
キャウン! と声をあげてハチが後ずさる。
ギッと少年を睨みつけ、義勇がハチを庇うために進み出ると、少年はまた舌打ちした。
「なに偉そうににらんでやがんだよ。頭のおかしいやつが、まともな人間にそんな態度とっていいと思ってんのかぁ?」
「だよなぁ? 教科書に落書きしたり上履き捨てたぐらいでコソコソ転校した弱虫のくせに、にらんでんじゃねぇよ」
「大体、こんな犬っころ苛めたぐらいで怒るほうが馬鹿だよな。あぁ、そっか。姉ちゃんが死んだぐらいで頭おかしくなった馬鹿だったな、おまえ」
嘲笑いながら一人の少年が、まだうずくまって震えている中型犬に近づき、蹴飛ばそうと足を振り上げる。
「やめろっ!!」
怒鳴り駆け寄ろうとした義勇の足が、少年たちの言葉を思い出し止まった。
殺処分。ハチが殺されるかもしれない。
義勇が動けば、ハチもきっと少年たちに襲いかかってしまうだろう。あの日、炭治郎と禰豆子に対してさえ飛びかかろうとしたように。
それは駄目だ。しかし、義勇が動くなと命じたところで、飼い主でもない義勇の命令を聞いてくれるだろうか。
こんなやつらにかまう気など毛頭ないのだから、このまま立ち去ってしまうのが最善なのかもしれない。交番なり公園の管理人なりに伝えればいいのだ。だが、それでは遅い。大人がくるまでに、木に繋がれたままのあの犬がどんな目に遭うかわからない。
ハチの動きを抑えつつ、あの犬を逃がす。そんな手立てがあるだろうか。
義勇の沈黙を怯えと取ったのか、少年たちはますます嘲笑をひびかせた。それを止めたのは、幼い子供の呼び声だ。
「義勇さんっ!!」
「義勇っ!!」
到着するなり子供たちは事態を理解したらしい。タッと走り寄った炭治郎たちは義勇の前に回り込んでくる。義勇とハチを守るように大きく両手を広げ立ちはだかった様は、まるで壁になろうとしているかのようだ。
「おまえらがハチに石投げた犯人だな! 義勇に近づくな!」
「義勇になにする気だったの! ひどいことしたら許さないんだから!」
錆兎と真菰が口々に怒鳴るのに、少年たちは一瞬呆気にとられたように見えた。だが、すぐに前にもまして大きな声で笑いだした。
「やっべ、おかしすぎんだろ。笑えるぅ」
「こんなガキどもにお守されてんのかよ、冨岡のやつ」
「俺らに苛めはやめろとか偉そうに言ってたくせに、そこまで頭おかしくなってんのか。いい気味!」
少年の言葉に義勇はようやく、目の前にいるのが以前のクラスメイトだと思い出した。
教師の前ではおとなしく、素行も悪いわけではない。傍目には普通の生徒たちだ。だが影では気弱な同級生を脅して、金を巻き上げたりしている奴らだ。義勇がそれを知ったのは偶然だが、見過ごすことはできず、絡まれていた子を庇いやめろと注意したことがある。
成績も優秀で真面目だった以前の義勇は、ほかの生徒たちや教師からの信頼が厚かった。そんな義勇に、少年たちは分が悪いと思ったのだろう。悪態をついたものの、それ以降は嫌な目つきでときどき義勇を睨みつけるだけで、手を出してくることはなかった。
このままとくに問題もなく終わるだろうと義勇は楽観していたし、実際そうなると思われた。
義勇の姉が亡くなったのは、その矢先のことだった。
「おい、ガキ。そんな頭おかしくなってるやつといたら危ねぇぞ。近くにいたらなにされっかわかんねぇよなぁ?」
「そうそう、油断してると殺されるかもよぉ?」
「いきなり暴れだしたりしそうだよな。なんせ狂っちゃってっから」
ゲラゲラと馬鹿にして笑う言葉ぐらいでは、義勇の感情は動かない。姉のことを言われれば怒りは湧くが、自身についての侮蔑には、義勇はなにも感じない。深すぎる悲しみは、義勇から感情を奪ってしまっていたから、苛められることに苦しむような余地すらなかった。
作品名:やきもちとヒーローがいっぱい 作家名:オバ/OBA