転変 3
「…俺より余程お前のほうが様子がおかしい」
「そりゃあね。猗窩座殿の安否も居場所も不明で、これでも結構堪えたんだぜ?」
「そうか。俺はお前から解放されていたおかげで随分ゆっくり休めたぞ。」
嫌味をぶつけてやるが、何故か童磨は何も言わずにじっとこちらを見つめてくる。
どことなく慈しむような熱を感じて、居心地の悪さに猗窩座は視線を逸らした。
「……用が済んだなら帰れ」
「…まあ、もしものときは俺もできる限りのことはするけどね」
「?」
「たぶん猗窩座殿は、無惨様の支配から抜けたんだよ。気をつけた方がいい。共有が切れた今、いつでも俺が助けられるわけじゃないから」
「いつ俺が貴様に助けられた」
「あはは、これは失言だったね。それでは、息災で」
童磨はそれだけ言い置いて、ふわりと冷気を残して姿を霧散させた。
実感は湧かないが、やはり支配からは外れたらしい。
特に望んでいたわけでもなかったが、おかげで己の愚かさをまざまざと突き付けられた。
「…杏寿郎」
胸中に浮かび上がった名を、そっと音にする。
あの男に、会いたい。
会って、すべてを終わりにしたい。
俺はもう、生きているわけにはいかない。
空を見上げる。まだ夜は深い。
猗窩座は大きく跳躍し、以前煉獄が巡視していると言っていた地区へと向かった。
+++
しばらく探してまわったが、煉獄の姿は見当たらなかった。
どこか遠方に任務に出ている可能性もあるか?
柱は滅多に鬼の討伐には出ないようなことを言っていた気がするが…
それとも負傷してどこかで療養中か。
あいつは弱者のためなら喜んで盾になるようなところがあるからな。
……そうか。
だから俺は、惹かれたのかもしれない。
弱い者を守り、強く在ろうとするあの男の生き様に。
気がつけば、いつか煉獄と水切りをした河原に赴いていた。
季節が移ろっても大した変化はない。
強いていうなら青々とした草が消えたくらいだ。
なんとなしに石を拾い上げ、水面に近づき投げてみる。
何度やってもあのときはできなかったというのに、どういうわけか今回は三度跳ねていった。
「よもや…練習したのか、君」
「!」
焦がれ続けた声に、がばりと勢いよく振り返った。
白い羽織を肩に纏い、意志の強い瞳と燃え上がるような派手な髪。見紛うはずもない、煉獄杏寿郎だ。
猗窩座は衝動のままに砂利を蹴り、煉獄を思いきり強く抱き竦めた。
「ッ…杏寿郎、お前どこにいた…!」
「俺の担当地区だ。君が凄まじい勢いで通り過ぎていったから、急いで追いかけてきた。」
必死になりすぎたあまり、気配を捉え損ねたらしい。
力の加減が効かず、相手の背中を潰さんばかりの勢いで抱き締め、縋り付く。
戸惑いがちではあるが、宥めるように煉獄の手が背中を軽くさすってくる。
「それより君、五ヶ月も何をしていたんだ。例の探しものか?」
耳朶を叩く、低く温かい声。
ああ、やはりお前は俺にとって特別な存在だ。
じわじわと胸に広がる高揚感に満たされていく。
しかし同時に、自分などが関わってはいけないのだと思い知る。
高潔なこの男を、穢してはならない。
身体を離し、一歩下がる。
猗窩座は煉獄の隻眼を見つめ、穏やかに口を開いた。
「…杏寿郎。最期に話をしにきた」
「最期…?」
その単語に煉獄は眉根を寄せるが、どういうことかと捲し立てるようなこともなく、こちらの続きを待っていてくれる。
その姿勢すら愛おしく思い、猗窩座は目を細める。
「これまでお前に鬼になれと言ってきたが、撤回しよう。お前は……お前だけは鬼になるな。他の柱なんぞどうだっていい。しかしお前は人で在り続けろ」
「……」
「鬼になっても、その先にあるのは終わりのない虚無だ。目的を忘却し、守るものを見失う。気づいたときにはあとの祭り。己の愚行に打ちひしがれる」
「……」
「言われなくともお前はそのくらい知っているのだろう。杏寿郎は聡い。力の使い方も違えず、弱き者を守り慈しむ器量もある。真の強者というのは、きっとお前のような者をいうのだろうな。」
真剣な面持ちでこちらの言葉に耳を傾けている煉獄に、精一杯の賛辞を贈った。
「…杏寿郎は凄いな。……二人。たった二人ですら、俺は守れなかった」
「……鬼になる前の記憶が、戻ったのか?」
「ああ。お前のおかげだ」
笑ってみせると、煉獄はまるで痛みを堪えるように唇を引き結んだ。