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 魚はもう一度水面へと泳いでいきました。食べる気になってくれたのだろうか。さっきは見つめすぎたのがいけなかったのかもしれない。魚は、ホラ捕まえてごらん、大きなおまえには俺ではきっと足りないだろうが腹が減っているんだろう? と、ゆっくりと泳いで獅子を誘ってみせます。けれどやっぱり獅子は魚を捕らえる気配がありません。
 ちらりと獅子の様子をうかがえば、獅子はなんだかとても愉快げに見えました。魚がクルリと輪を描くたび、長くしなやかな尻尾がパタパタと揺れています。魚が尾ビレをユラッと振れば、獅子の尻尾もパタリと地を打ちます。まるで一緒に踊ってでもいるかのようで、魚はだんだんとうれしくなってきました。
 この泉に来て以来、こんなにも心躍ることがあったでしょうか。俺は獅子にとって美味しげには見えないようだが、それでも楽しませてはやれたのだろう。思い、魚はいよいよ元気に泳いでみせました。そのとおりとでも言うように、獅子が大きく吠えました。
 高らかな遠吠えはいかにもうれしげで、魚の胸が喜びにふくらみます。獅子が楽しんでくれているのが、うれしくてたまりませんでした。
 けれどもやっぱり、獅子が飢えているのは心配です。もう草原には獣の餌になる動物などいません。ギラギラと輝く太陽も、きっと獅子を痛めつけていることでしょう。獅子は魚よりずっと暑さに強いでしょうが、木立も枯れた草原では日陰一つないのです。ふさふさと豊かなたてがみが、なんだかとても暑そうに見えて、魚は思い切って空(くう)へと跳ね上がりました。
 必死に体をくねらせて、魚は獅子へと水しぶきを振りかけます。せめて少しだけでも心地よいと思ってくれればいいのだが。思いながら、何度も魚は跳ねてみせました。魚が跳ね上がるたび、獅子の金と赤に彩られた瞳がキラキラと輝きます。長い尻尾はご機嫌に揺れていました。それを見るだけで、魚はとても満たされた心地になったのです。

 夜になっても獅子は泉にいてくれました。日差しの下で見た獅子の黄金にきらめく勇猛な体躯は、魚の目にはまぶしすぎましたが、月明かりの下ではやさしく光ります。昼よりもほんの少し過ごしやすい夜は、魚の体を焼き尽くそうとする日差しもなく、魚は昼間よりも多く、獅子のために跳ねてみせました。ひらひらとヒレを動かし泳げば、獅子も魚の動きに合わせて尻尾を揺らせてくれます。水面から顔をのぞかせるたび、獅子がわずかに身を乗り出して見つめ返してくれるのが、魚はうれしくてたまりませんでした。
 それでも心配はつきません。だって何度も獅子が水を飲むのは、きっと飢えを誤魔化すために違いないのですから。
 獅子が一心不乱に水を飲むたび、魚は、お願いだから俺を食べてくれと獅子を見つめました。獅子はちょっとばかり悲しげに首をかしげ、見つめ返してくれるだけです。
 意を決し、魚は岸へと跳ね上がりさえしましたが、ひどくあわてた獅子に泉へと押しやられてしまい、どうあっても食べてもらえそうにはありません。
 どれだけ不味くとも食わねば死ぬんだぞと、魚は獅子を睨みつけましたが、獅子はグルルとやさしくうなるばかりです。どんなに魚が食べてくれと訴えても、獅子に魚の言葉は通じません。獅子の言葉も魚にはわかりませんでした。触れあうことだってできません。
 魚は水の生き物です。陸では息すらできず、日差しはすぐさま魚の体を焼いてしまいます。獅子の体もきっと太陽のように熱いことでしょう。触れれば魚の体は煮え立つに違いないのです。獅子に触れるための四肢すら魚は持っておりません。それが魚には悲しくて悲しくてたまりませんでした。
 獅子はどれだけ魚が願っても、けっして魚を食べようとはしませんでした。昼も、夜も、獅子はいつだって魚に向かってやさしくうなり、楽しげに吠えてくれましたが、それでもどんどんと弱ってきているのは明らかです。魚と踊るように揺らしてくれていた尻尾も、だんだんと力がなくなっていきます。
 きっともうじき獅子は死ぬのでしょう。魚はまた一匹きり取り残され、腐ちていくのを待つだけになります。それでも魚は、獅子が餌を取れますようにと願うことはできませんでした。
 獅子は肉を食らう生き物です。自分が獅子に食われることは魚にとっては喜びでしかありませんでしたが、ほかの命を獅子のために与えてくれなど魚は願えなかったのです。自然の摂理のなかでの狩りならば、それもまたしかたのないことと思えます。けれど自分の願いに応じて誰かが死ぬなど、耐えられるものではありません。
 それでもなにか。なにか一つきりでいい、獅子のためになにかしたい。そのためならば魚は命など惜しくはありませんでした。魚はいつしか、獅子に恋していたのです。魚が獅子と番えるわけもありません。けれどどうしても、獅子を恋い慕う気持ちは抑えきれませんでした。

 また夜が来ました。きっと獅子にとって今生最後の夜です。
 泉に月影が落ち、星々のまたたきを写して水面はキラキラと光っておりました。月は大きくまるく、どんな願いも叶えてくれそうに見えます。
 魚の決心はすでに固まっていましたが、それでもためらいはありました。禁呪を使えば獅子に食われずとも魚の命も終わります。果たして魚の遺骸を見た獅子は、どれだけ嘆き悲しむでしょう。魚は、獅子には亡くなった自分の姿を見られたくはなかったのです。
 夜の帳を貫くような咆哮が、草原に響きわたりました。獅子の遠吠えです。それはそれは力強い声が、高く、長く、草原に響き続けます。
 あぁ、行ってしまう。獅子はきっとこのまま行ってしまう。魚が自分の死を獅子に見られたくないように、獅子もまた、魚の目が届かぬ場所で命を終えるつもりなのでしょう。魚には獅子の言葉はわかりませんでしたが、それでも獅子が魚を心配させまいとしているのは不思議とはっきりわかりました。
 その声がやんだとき、魚のためらいは消えました。水面を照らす月に向かい、呪言を唱えます。そうして魚は一心に祈りました。
 どうか、獅子の願いを叶えてくれ。それが叶うなら己の命などこのばで果ててもかまわない。獅子がなにを望んでいるのか、魚は知りません。それでもただ一度きり獅子のためになにかできるなら、獅子が幸せだと笑ってくれるなら、命を失うことなど恐くはありませんでした。
 不意に、月がまぶしいほどに輝いた気がして、魚は思わずギュッと目をつぶりました。魚には瞼がありません。どんなにまぶしくても目を閉じることなどできないはずなのに、なんでだろう。思いながらも魚が目を開けると、金と赤の髪をしたたくましい男の後ろ姿がそこにはありました。その姿は明らかに人です。
 獅子はどこに行ったのかと悩むことはありませんでした。魚にはすぐにわかったのです。ふらつく足取りで泉から遠ざかろうとしているあの男こそが、獅子なのだと。獅子がなにを望んでいたのか魚は知りませんが、それでもあの姿は獅子の望みを叶えるためなのだと思いました。
作品名:twine 作家名:オバ/OBA