想い、届く。
「無論、これ以上ないほど激怒している。」
再び酒を口に含んで飲み下す。
「今後はひとりで解決しようとするな。相談もなく取り返しのつかないことが起きるほうが余程迷惑だ。君は長い間鬼でありすぎたから感覚が麻痺しているのだろうが、命の大切さはとうに承知しているだろう」
「……はい」
「君を大事に想う者の気持ちを、少しは考慮しろ。君ならできる」
「……」
「俺は君を憎からず想っている。次からは、せめて俺には打診するように」
いつの間にか居住まいを正して正座になっていた猗窩座のお猪口にも酒を注いでやる。
満たされる透明な液体をちらりと見てから、こちらに視線を投げてきた。
「…すまなかった。善処する」
素直なその言葉を受けて、煉獄は相好を崩す。
「うむ。だが、事前に不安の芽を摘んでおいてくれたこと、感謝する。ありがとう」
方法は褒められたものではないがな、と声を上げて笑うと、猗窩座の表情も幾分か和らいでいく。
「…身を案じてもらうなど、餓鬼の時分以来かもしれん。しかし杏寿郎、お前、俺のことが好きだったんだな。嬉しいぞ」
人の顔で無邪気に笑う猗窩座に、煉獄はぎくりと身を固くした。
「……そ、んなことを、言った、だろう、か」
「?憎からず想ってくれているのだろう?加えてあの怒りよう…俺にはしっかり伝わった」
「それは…親愛の、意であって…」
どうにか取り繕おうと思考を巡らせるこちらなど気にもせず、お猪口を傾ける猗窩座はそれにしても、と目を伏せて口元に笑みをのせる。
「お前は怒らせると恐ろしいな。反論の余地もない。杏寿郎の沈黙は嵐の前の静けさだと覚えておこう」
「…その割に、嬉しそうだな」
「ああ、杏寿郎の新しい面を知ることができて、俺は喜びを感じている」
本当に、嬉しそうだ。
恐らく彼の口には合わないであろう酒も、こちらに合わせて煽ってくれる優しさ。
向けられた言葉も、一方的な想いも撥ねつけずに受け止めてくれる素直さ。
守ることに全力を傾けてきたからだろう、守られることや気遣われること、心配されることには無頓着な危うさ。
ーー好きだ。
この感情は、もはや目の背けようがないほど明確なものだ。
誤魔化し、否定し続けても、なんの益も齎さないどころか誠実な彼に対して礼儀を欠く。
意地を張っても仕方ない。
気持ちを伝える機会があれば、そのときはきちんと認めよう。
「…それで、なんだったか。……ああ、逃れ者の話だ」
猗窩座が逸れた話題を戻し、視線で先を促してくる。
もう何も隠し立てする必要はあるまい。
お互い酒を酌み交わしながら、ぽつぽつと会話を重ねていく。
「聞いたところによると、その御仁は人間に戻る薬をつくろうとしているそうだ。他にも鬼に効果のある薬に精通しているらしい」
「ほう。その辺のことは初耳だな」
「君が今、人を食わないようにしていることは知っている。飢餓状態にはならないのか?」
「獣の肉で事足りる。飢餓は単純に腹が減っている状態であって、人肉が不足しているという意味ではない。鬼が人の肉を好むのはその栄養価の高さからだ」
「なるほど。」
もともと猗窩座は好んで人は食わないと以前言っていたか。
食糧を工面するのに難儀しているのなら、と思ったのだが杞憂だったようだ。
「…では、少量の血液を飲むだけで、肉を口にせずともいい身体になる方法もあるそうだが、君には不要か」
「今のところはな。それより人に戻る薬とやらのほうに興味がある。完成の目処はたっているのか?」
片膝を立てて寛ぎつつも、その様子は真剣そのものだ。
煉獄は酒瓶から徳利に中身を移し、何合目になるかもわからない酒を互いのお猪口に流し込みながらかぶりを振った。
「いや、進捗の度合いは知らされていない。そもそも珠世殿の存在は柱にも伏せられていた。俺も会ったことはないし、所在は不明だ」
「……まあ、それもそうか。鬼を狩る者に鬼の所在を明かせば、どんな志を持って何を成そうとしていようが、斬られるだけだろうしな」
なんでもないことのように呟かれた猗窩座の台詞が、煉獄の胸に重く響いた。
鬼に理性や道徳はなく、人を襲い、捕食する。
それは鬼殺隊では共通認識であり、事実鬼とはそういうものだ。
竈門禰豆子が現れるまで例外はなく、鬼に希望的観測をもって挑んでは命取りになる。
話せばわかる、などと甘いことを言っているうちに手遅れになるだろう。
望んで鬼になったわけではない者にとっては、理不尽であることは確かだが致し方ない。
感傷に浸るのは筋違いだと判断し、ひとまず思考を追いやった。
「薬については、後日また確認しておこう」
「手間をかけさせて悪いな」
「なに、君のためと思えば手間などない」