天空天河 五
十 寧国公府 その二
『護国柱忠』
──謝玉が、国の守る忠臣だと?。──
長蘇は、寧国公府に贈られた、『護国柱忠』の扁額を見上げて、不快感に襲われた。
火でも点けて、燃してやりたい衝動に駆られた。
寧国公府の門前に掲げられた扁額は、特別に大きい。
──皇帝の妹、蒞陽長公主を娶ったからか、それとも、皇帝の弱味につけ込み、贈らせたか。
この扁額の大きさは、謝玉の虚栄心の表れ。
これ程、大きいと、かえって滑稽に見えるものだ。
普通、朝議で異論が上がりそうなものだが、謝玉には、それを黙らせる力があったのだ。──
長蘇は、予想通りに、謝玉に呼び出された。
──たかが江湖の勢力、と、侮っているのが、有り有りと分かる。
刺客を送り付けて、私を脅した。
私は謝玉も刺客も、怖くなどない。
差し向けた刺客が、役目を果たさぬと、私を呼び出し、望みを聞かぬなら、私を亡き者にするつもりなのだろう。
実につまらぬ男だ。
力こそが全てだと、物事を履き違えているのだ。
己にそんな力があると?。
愚かな男め、、、、。
こんな小者に、赤焔軍が殲滅されたとは、、、。──
思い出し、長蘇の握り締める拳に、力が入る。
長蘇は、寧国公府の門衛に名乗ると、家職が飛んで来て、すんなりと屋敷に通された。
長蘇は馬車と御者を待たせて、一人、門の中へ足を入れる。
誉王府も贅沢な屋敷だったが、この寧国公府は、あの誉王府が、小さく見える程の規模と、贅を尽くしたものだった。
広大な敷地には、大きな池もある。
皇室の別邸と言っても、遜色は無い。
謝玉が、これ程の屋敷を持つ事を、皇帝は許したのだ。
敷地内の、奥まった場所にある建物に、長蘇は案内される。
建物には、『霜林閣』の扁額が。
非常に大きな建物だ。
「こちらでお待ちください。」
そう言って、家職は去っていった。。
広い建物に一人残され、痺れを切らす程、長蘇は待たされた。
──ま、予想はしていたがな。──
一体、何刻過ぎたか、、、。
ここ数日、寒かったのに、今日は天気が回復した。
暖かな陽射しに、長蘇が眠くなりかけた時分に、漸く謝玉が現れた。
中庭から現れた謝玉は、五人の、鎧を着た兵士を連れていた。
巡防衛の鎧だった。
謝玉は霜林閣に入り、兵士達は、中庭で直立のまま、待機をしている。
謝玉は、酷く無礼な物腰で、表情筋も変えずに、長蘇の頭から爪先までを見た。
形ばかりの挨拶だったが、長蘇は待たされた疲れを見せぬように、拱手した。
「お前が梅長蘇か。
本当に一人で来るとは、武術に自信が有るのかと思いきや、、、ただの書生では無いか。
江湖も、この様な者に牛耳られるとは、大した者が居らぬ証拠。」
「、、、、。」
長蘇はただ黙って聞き流した。
「お前、愚かなのか?。捕まりに来たとは。」
鼻で笑いながら言う謝玉。
そして言葉を続ける。
「お前が囲っている、我が裏切り者を返してもらおう。
お前と引き換えだ。
さて、江左盟の配下に、奴を連れてくるよう、手紙を書いてもらおうか!。
誰か、筆を!。」
熱(いき)り立つ、謝玉。
それに対し、物腰穏やかに語り始める、長蘇。
だが穏やかな口調ながら、その声には、凛とした強さがある。
「謝候、私は取引に来た訳ではありませんよ。
私は、貴方に、赤焔事案に関わる悪事を、告白させる為に、ここに来たのだ。
天下を覆した、あの、、忌まわしい赤焔事案。
一代の賢王と、七万もの赤焔軍を殲滅させた、卑怯な謀の、、。
お前の利己の為、尊い命が極寒の梅峰で、雪の如くに消えたのだ。」
自分の威嚇に、全く動じない長蘇に、謝玉は更に、怒りを顕(あらわ)にする。
「我が屋敷に、のこのこと来たのは、この私を脅す為か?。
告白しろだと?!、ハッ!、江湖の者とは、どれ程馬鹿で、おめでたいのだ。
何が江左の梅郎だ!、お前が江左盟の統領だと??、江湖なぞ、侮られて当然。お前に何の力があると?。ははははは!!!。」
敵意剥き出しで、嘲り笑う謝玉。
「謝候、私の存在が、それ程軽いものだと?。」
長蘇もまた、にやりと笑って、言葉を返した。
「ははははは!!!、この弱々しい男が、私に何が出来るというのだ。
私が作り上げた軍が、黙ってはおらぬ。
大梁の軍は、皆、私の息の掛かった者ばかりだ。
私の号令一つで、江湖の者なぞ、一網打尽にしてくれるぞ。はははははははは!!!。」
声高らかに謝玉は笑うが、その目は決して笑わず、長蘇を睨みつけている。
「ふふふ、、、、私が、謝候の配下の件だけで、ここに来たと?。
謝候は、祁王の件にも関わっておいでだ。
林燮と結託したと、長皇子までも陥れ、希代の賢王を死なせておいて、謝候は無事でいられると?。
謝候は、権力を手にし、その証拠を揉み消したが、詰めが甘かったようだ。
私に掛かれば、あちこちに落ちた証拠が、いとも容易く、、、。
、、、、例えば、、、、書家の李重心。
赤焔軍の造反をでっち上げ、祁王の死を確定させた。
李重心は、偽の手紙の元々の文面を、焼かずに持っていたのだ。代筆なぞ、ありがちな仕事だろうが、『聶将軍の筆跡を真似て書け』という、妙な依頼に、何か危険を察したのだろう。嫁に子細を記した手紙と、証拠の謝候の指示書を預けた。
李重心は、謝候の刺客の刃にかけられたが、それが巡り巡って、我が手中に。
謝候、悪事というものは、露呈するものですね。
人を舐めていると、痛い目に遭う。
相手が市井の者でも、陛下でも同じですよ。
いちいち、きりが無いので言わぬが、他にも、、。」
聞いた謝玉は、笑っていたが、明らかに眼に怒りが現れた。
謝玉の怒りを見て、長蘇は綻んだ。
長蘇の思惑通りに進んでいるのだ。
──謝玉を怒らせねば。
我を忘れるほど怒れば、しめたものだ。──
長蘇は畳み掛けるように、言葉を続けた。
「ふふふ、、、江左盟は一枚岩だが、、謝候の軍は果たして、如何なものか。
謝候は、見事な軍の統治をしている、という話だが、、重い恐怖で軍を統制しても、何処かに亀裂は入るもの。
我が江左盟の志士が、謝候の軍に入り込んでいることを、ご存知で?。
報告によると、相当荒っぽい管理をしておられる。見せしめに、厳刑を課したり、死なせたり。
影で兵士達は、不満たらたらだそうですよ。
、、、、、その辺は、知っておられる??。」
皮肉めかし、にやりとして長蘇が言った。
「私の軍だ、どうしようと、私の自由。
江湖の烏合の衆では、これ程の統率は取れまい?。
ハッ!、密偵だと??、鼠め、燻り出してくれる。」
「江湖の者とはいえ、祖国を憂いて、自ら謝候の軍に、潜入すると決意した者達だ。
私の配下は、拷問なぞでは、口を割りませんよ。
その姿は忠臣そのもの。
謝候の兵には、忠義な兵をいたぶる謝候の姿に、嫌気がさすやも。
それに、、痛め付ける者が、我が江左盟の配下ならばいざ知らず、謝候の忠義な兵かも知れぬし。
どうぞ、間違わぬよう、お気を付けを。
ふふふ、、あはははは、、、。」