彼方から 第四部 第六話
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「さて、これで……全員揃いましたね」
静かな声音が、皆の耳に届く。
椅子に腰かけ足を組むラチェフに、集まった全員の視線が注がれる。
ケイモスやタザシーナよりも先に、この部屋に来ていたのであろう。
他、数名の傭兵たちの姿も共にある。
「ラ……ラチェフ様」
腰を上げ、歩み寄ってくる屋敷の主。
その名を呼ぶドロスの声音に、動揺が滲み出ている。
端正な顔立ちに宿る、冷たい微笑み。
いつもと変わらぬ、柔らかな口調……
そう――『いつもと変わらない』からこそ、妙な胸騒ぎがしてならない。
そうだ……
ずっと胸騒ぎがしていた。
ケイモスやタザシーナよりも先に、傭兵たちを連れ飼育部屋に来たラチェフの姿を見た時から――
ざわざわと波立つ『精神(こころ)』が恐らく、チモたちにまで伝わってしまっているのだろう。
だから、いくら宥めようとも落ち着かず、鳴き止まないのだ……
部屋に集った皆を、見回す。
「これは、な……何事だ?」
言い知れぬ不安に、声が震える。
「普段、めっ、滅多に人も来ねぇ、ここに……なして、こんなに人が急に……おらのチ……チモの飼育部屋に――」
そう……
ここはラチェフの屋敷の一画に設けられた、『チモの飼育部屋』――
チモに用がある時以外は、ほとんど人など寄り付かない部屋。
そんな部屋に、これだけの人が急に集まる理由を、ドロスは聞かされていない。
自分に向けられた皆の視線に、不安以上の『恐れ』を感じる。
チモの鳴き声が、収まらない。
『何か異常』を感じ取っているかのようなその鳴き声が、更に不安を掻き立てる。
「なして、こんなに人が集まったんだ!!?」
皆が集まった理由を、今感じている焦燥や不安の理由の説明を求めて、ドロスは声を張り上げていた。
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――嫌な予感がする
一度……――
心臓が大きく強く、脈を打った…………
宛がわれていた客室で旅の支度を整え、靴の紐を結んでいたイザークは、これまで感じたことのない己の鼓動に、その動きを止めていた。
――なんだ、これは……
『感覚』が教えてくれる。
――何かが
――おれ達に向かって迫ってきている
――巨大な……
――得体の知れない黒い影が……
身の危険が間近いことを。
それが、『何』であるのかを。
――この
――締め付けられるような不安感は
――何だ?
身に備わった『能力』が、『警告』を発しているのが分かる……
パタパタパタパタ……
廊下を走る、足音。
誰のものだか、すぐに分かる。
「イザーク!」
名を呼ぶ声と同時に開かれるドア。
「あのね、今あたし――書誌を売ってるお店を尋ねに下に行ったらね、丁度帰って来た町長さん達に会ったの」
部屋に入りながら、そう言ってくるノリコの表情に、不安の色が滲んでいる……
「夕べ町舎で、徹夜の会議してたんだって。町の占者が異様な占いをしてね、それを、みんなに知らせるべきかどうかとか……」
二、三歩……
こちらに歩み寄りながら、聞いた話をなるべく正確に伝えようとしてくれるノリコ。
――……異様な、占い……
先ほど感じた『嫌な予感』が、己の『能力』が発した『警告』が――
否が応でも、現実味を帯びてくる……
「……何という占いだ?」
ノリコに訊ねる。
確かめねばならない。
鼓動を激しく脈打たせた、『嫌な予感』の『正体』を。
あの強い予感が、『杞憂』などではないと分かる以上……
占者の占いを、確かめねば、ならない――
「よく、分からないんだけど――『【元凶】が動き出した』とか……」
臓腑が締め付けられる。
「それで、何が起こるか分からないから、あなた達も旅の出発を遅らせたらって言われて…………」
押し寄せる『不安感』が、重さを増してゆく……
―― まさか ――
「ここを出るぞノリコ! 一刻も早く……!!」
大きく椅子を鳴らし、立ち上がる。
剣を手に、険しい表情を浮かべるイザーク……
「う……うん――」
セレナグゼナを出てから、約三ヶ月の間。
こんなに強張った顔を、彼は見せたことがない。
追われているかもしれないことは、分かっている。
運命を変える為に、二人で始めた逃避行だということも……
けれども、一緒に居られることが嬉しくて――
それがとても、とても幸せで――
頭の片隅の何処かに『現実』を半分、追いやっていたような気がする…………
―― まさか ――
一瞬で、血の気が引いてゆく。
自分たちが置かれた現状を、これまでの幸福の対価を今、突きつけられているのだと、そう感じた。
『運命』を変える方法など――――
その手掛かりすら掴めぬ逃避行の中。
祭の奇跡に浮かれていた『心』が、引き摺り下ろされていく。
…………二人の、『現実』へと――――
**********
「や……やめてくれっ!!」
悲痛に満ちた、ドロスの声音……
彼の声音に呼応するように、激しいチモの鳴き声が、飼育部屋を満たしている。
「お……おらのチモを、どっどっ――どうする気だ!?」
ドロスの瞳に映ったものは、これまで可愛がり大切に育て、増やしてきたチモたちの哀れな姿……
何十匹ものチモが乱雑に、二つの網に押し込まれるように捕らえられ、牙を剥き出し鳴く、姿――――
胸が痛む。
目頭が熱くなる。
苦しみ、嫌がっているチモの心が伝わってくるようで……
まるでそれが、『自分のこと』のように思えて――
「お……おらのとこに飛んで来い! チモ達っ!!」
思わず叫んでいた。
「出来るはずだ! いっ、いつものテレッ、テレポートだど!」
必死に呼び掛けていた。
「なしてそっ、そんなに簡単に、捕まっちまうんだ――――!!」
ラチェフと共に来た傭兵二人に体を抑えられ、行く手を阻まれながら、ドロスは困惑と共にチモに問い叫んでいた。
「チモの空間因子は人の思念に反応する」
冷たく、静かな声音……
「おまえより、わたしの思念の方が数倍勝っているということだ」
然も、当たり前のように……
『そんなことも分からないのか』と……
チモがテレポートを出来ない理由が、蔑みの込められた言葉が、背後から聞こえる。
「ラ、ラチェフ様」
自由を奪われたまま、肩越しに見やる。
「勘違いが甚だしいぞ、ドロス」
そう、冷たく言い放つラチェフの瞳に宿る、冷徹な光に…………
「ぅ…………」
ドロスは思わず、言葉に詰まらせていた。
「すでに絶滅したチモの種を蘇らせ、今のように改良したのは、わたしだ。おまえには、その飼育と繁殖の仕事を与えてやった」
動きの止まったドロスを見据え、ただ『それだけのことだ』とでも言うように、言葉を吐くラチェフ。
誰が主人であるのか、誰がチモの持ち主であるのか――
その『事実』のみを端的に、ラチェフはただ、口にする。
「そうとも」
「 あ 」
いきなり――
作品名:彼方から 第四部 第六話 作家名:自分らしく