幾星霜の夜明けをゆく(1)
私はリュウ・カン。継ぐ名は持たないが、ただひとつの名を贈られた者。クン・ラオにもう一度、名前の意味を尋ねるその日を胸に、私を生き抜くつもりでいる。
二〇二一年十月十七日
(六)
炎なら貴方には敵わない
瞳の奥にほら今渦巻いている
二〇二一年十一月五日
(七)
喪失から目を背けた私を赦せ。
一度も頷かなかった私を。
「最後まで共に」
曇りなき言葉が向けられるたび、深く心を打たれていたのに。
二〇二一年十一月七日
(八)
左の二の腕内側に、小さな赤い印が残る。昨夜、私の名とともに刻まれたものだ。
「お前にこうして書きつけられるのは私だけだ。そうだろう?」
私の腕を持ち上げ、真っ直ぐ目を合わせてくる彼に私は震える息をのんで頷いた。
「私のリュウ」
彼がもたらす微かな痛みがやがて甘い痺れを連れてくる。
お題『自分のモノには名前を書きましょう。』 二〇二一年十一月十一日
(九)
こたつ布団の端から、白い足がふたつ横向きに、とても静かにはみ出している.。布団をめくる前にこたつの温度は一番低いものになっているかを確かめた。
以前うっかり、リュウに最高の温度で使わせたところ、危うく髪を焦がしそうになったので、中に入るなら必ず低温で使うように言い含めてある。きちんと守られているのに安堵し、私はそっと布団の端を持ち上げて中の様子を窺った。
「……足だけ出して寒くないのか」
四角いこたつに丸まっている本人は、狭さなどどこ吹く風で気持ちよさそうに寝息を立てている。ついでに飛び出した足に触れてみる……全く心配ない温かさ。
寝台で横になる時も、リュウは目の上まで毛布を引っ張り上げて、光と音を遮るようにして眠る。あたたかくて薄暗く、静かな布の中でないと落ち着かないそうだ。
そういえば毛布の端からもやはり彼の足首から先だけが外に出ていた。私はふと可笑しな気持ちになり「どんな時でもリュウはリュウだな」と呟かずにはいられなかった。
謎の現パロ風味 二〇二一年十一月十五日
(十)
長い不在から寺院に戻ったラオを出迎え、彼の部屋で全身の防具を解く手伝いをすると、内着だけになってようやくラオの顔つきが少しだけ柔らかくなった。
「怪我はない?」
「ああ、ない。だが今回は本当に疲れた」
きつい戒めがなくなる瞬間は、心の弱りも顔を覗かせやすい。無理もないことだし、溜め込まずに吐き出せるのは健全な証でもある。深いため息をつきながら、ラオは近くの椅子にどっかりと腰を下ろした。
それからラオは椅子の上で背を丸めて頬杖をつき、心底疲れた様子でしばらく顔を手のひらで覆っていたが、ふと顔を上げてわたしの名を呼んだ。
「……リュウ」
彼の目が【来て欲しい】と告げていた。わたしはラオの前まで歩いてゆき、彼に促され向かい合わせに彼の膝上に座った。無言のまま、ラオがわたしの身体に強く腕を巻きつけるのを、そして彼がわたしの胸に顔を押し付けて深く呼吸するのを見守った。
ちょうど顔を下に向けたところに人の頭があれば、無防備な丸みのひとつも撫でてやりたくなるのが人情というものだろう。大昔にラオがわたしにしてくれたように。
わたしはラオの髪から丁寧に髪紐を外してやり、結われていた髪のふさをほぐして彼の頭をそっと撫でた。
「何か言って欲しい?」
わたしが手を動かす間もラオは一言も喋らなかったので、このまま沈黙を欲するのかわたしは確かめようと思った。するとラオは、わたしの胸に顔を埋めたまま頭を左右に振って返事をした。
「くすぐった……分かったから」
ラオの動きを封じるように、わたしは彼の頭を腕に抱いてすぐに放す。それでもラオは顔を上げずわたしの胸もとですんと鼻を鳴らしただけで、今はこうしていたいのだという強い意志が感じられた。
そのうちに背中に回ったラオの腕からゆっくり力が抜けて、彼は手のひらでわたしの背中をさすり始めた。
存在を確かめるようなやさしい手つきは、段々と何かを引き出そうとする動きに変わる。背中だけではなく腰から尻にかけてを何度も揶揄うようになぞられると、ぞわりと背筋が震えてわたしは思わず小さな声を漏らした。
こんな至近距離で、しかも耳の良いラオが聞き逃すはずがない、そう思うと頬がかっと熱くなった。もうここからは甘やかすより甘やかされる時間だと、言われたも同然だから。
二〇二一年十一月十三日
(十一)
どうせ無意識だろう、
私たちは兄弟同然に育ってきたのだから。
どうせ無意識だろう、彼が私を独占したがるのは。
どうせ無意識だろう、そう思わなければ。
何故そんなに切ない顔を?
気遣わしげな声で、指で、触れてこないで欲しいのに、身動きもできない強さの腕の中に繋がれたくて。
お題『どうせ無意識だろう。』 二〇二一年十一月二十九日
(十二)
ライデンより、俗世に紛れて動くなら人に怪しまれないよう酒に慣れておけと助言があり、ある日食料係の僧からラオとリュウに酒瓶が渡された。表向きは僧侶だが、ライデンに仕える人間界の戦士でもある彼らには、光の寺院における戒律の遵守よりも、目的のための備えの方が数倍大事である。ふたりは至極真面目な顔でそれを受け取り、その晩から、ライデンの助言に従い兄弟弟子だけの一席を定期的に設けることにした。
さて今宵重ねた盃はいくつだか二人とも記憶が怪しくなり始めた頃だった。体の隅々まで回った酒気はまるで良い湯に思いきり手足をのばしたようで、緩んで増えた口数は二人の内から様々な言葉を引き出し笑い声を弾ませた。
そのうち高揚がむず痒くなってきたラオは、話の途中で急にリュウに顔を近づけて、彼に一瞬黙るように言った。
「喋りすぎだぞリュウ」
「それは、ラオも同じだ」
「…じゃあ俺を黙らせてみろ。どうだ?」
「ふん、口にものでも詰めるか…誰かに、春巻きでも運ばせて?」
「それは無し。ものを使うのは無しだ。頭を、頭を使え」
一体何が面白いのか、くつくつと喉の奥で笑いを転がしながら、ラオはリュウの頭を自分の方に引き寄せて、額と額をごつんと合わせた。
「ふさぐもの…」
リュウはうわごとのように呟き、言い終わってもわずかに口を開いたまま考えていた。それからおもむろにリュウはラオの頬に手を添えて、彼の唇を自分の唇をぴったり合わせて封じる行動に出たのだった。
リュウが唇を離してもラオは何も言わなかったので、リュウは正解を見つけたのだと嬉しくなり、二度三度とラオの唇をついばみ、やがてみずみずしい果実の滴る甘さを思いながら彼を味わった。
本来唇には味など無いはずだがこれは酔っているからか——とリュウは自問したが答えを出すには分からないものが多すぎると気づき、早々に考えを放棄した。
ラオもリュウに応え、柔らかくも熱い触れあいの間に、リュウの頭の後ろに添えた手を滑らせて彼の首の後ろをそろそろと指先で擽ってやると、思わぬ刺激だったかリュウは切なげに身を震わせる。そんなリュウの様子にラオは不思議な満足を覚えて戸惑い、後ろめたさに心の昂りを感じていた。
作品名:幾星霜の夜明けをゆく(1) 作家名:かすみ