ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目
10:実弥
声のするほうへ向かって足早に歩く実弥の後ろから、闘気に満ちた気配が近づいてくる。振り返るまでもない、前を見据えたまま歩く実弥の横に並んだのは、予想どおりの人物だ。
「素手で大丈夫か?」
「誰に言ってやがんだァ? テメェこそ、荒事に慣れてねぇならやめとけや。喧嘩は試合とは違うぞ。審判なんざいやしねぇんだからなァ」
竹刀を手に問いかけてきた男の声は、おおらかにすら聞こえる。気負いのない声だ。だが、実弥同様にまっすぐ前を見据える男の闘気は、殺気と言っていいほどに実弥の肌をチリリと刺していた。実弥がまとう殺気めいた気配を、男も感じとっていることだろう。
たしか煉獄とかいったか。金と赤の髪をなびかせて、竹刀を手に堂々と歩む姿は、なんとなく百獣の王であるライオンを思わせた。威風堂々という言葉がこれほど似合う男もいるまいと、素直に思わせる風情だ。
「ふむ、なるほど。助言感謝する! 気をつけることにしよう!」
いや、ずれてるずれてる。話の核心はそこじゃねぇ。
思わず実弥の肩から力が抜けかけた。
自分が得物を持っている有利さから、徒手空拳の実弥を小馬鹿にしてのセリフかと思ったのだが、煉獄は純粋に心配していただけのようだ。ずいぶんと人のいいやつらしい。
こんな場合でなければ面白いやつだと好感を持っただろうけれど、なんとなく面白くない。その理由を、実弥はあえて探るのをやめた。
横目で煉獄の精悍な横顔を見れば、連鎖反応で脳裏に浮かぶ清楚な風情の少女の顔。無理にも頭から追い出して、実弥は、フンと鼻を鳴らすと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「足手まといになるんじゃねぇぞォ」
「無論だ! 数をたのんでの蛮行だけでも許しがたいと言うのに、元をたどれば冨岡への謂れのない逆恨み。しかも子供たちにも累が及ぶ可能性があるのだからな、負けるわけにはいかん!」
気合十分。みなぎる覇気が目に見えるようだ。
頼もしい。そう言い切ってしまってもいいのだろうけれど、それでも実弥の胸には苛立ちが少し。反発を覚える理由なんて、ひとつきりしかないのだけれど、実弥はそれを考えないようにした。
不良連中などとはなじみがなさそうな煉獄が、ろくでもないやつらにかかわる理由は、実弥にもすんなりと呑みこめる。義侠心に富んだ男なんだろう。実弥も多勢に無勢の弱い者いじめなど大嫌いだ。しかも逆恨みからなど言語道断甚だしい。おまけに、今向かっている先にいるやつらは、金で集められたと言うではないか。
くだらねェ。馬鹿ばっかりだ。
苛立つ理由はそれだけでいい。そんな馬鹿なやつらが嫌いだから。荒事になって玄弥たちが危ない目に遭ってはいけないから。自分が加勢する理由など、それだけでいい。
あの子を守ってやりたいとか。そんなの考えちゃいねぇ。あの子だからだなんて、とんでもない。恋愛なんてガラでもないし、今はそんなものにかかずらっている場合じゃ……。
「違ぇよっ! そうじゃねぇだろォッ!!」
「し、不死川? どうした?」
突然の実弥の大声に、煉獄がビクッと肩を跳ね上げ驚きをあらわに聞いてくる。なんでもねぇよと怒鳴り返して、実弥は小さく舌打ちした。
まったくもって調子が狂う。あの子に会ってからどうにも自分はおかしい。無意識に浮かんだ一言に、その理由が込められているのはもうわかりかけているけれど、認めるわけにはいかなかった。
父に殴られ蹴られて泣いている母の姿を思い出す。ギュッと搾り上げられるように胸が痛み、実弥は我知らず眉を寄せた。
自分のなかにはあの父の血が流れている。実弥自身がどんなにか弱い者に手をあげないよう誓っても、あのくそ親父の血は、実弥に恋した女の子へ暴力を振るわせるかもしれないのだ。
女は弱いから。俺がもし手をあげたら……。
知らず実弥はブルリと身を震わせた。あの華奢な女の子――冨岡のきれいな顔に、母のような痛々しい痣が浮かぶさまなど、ゾッとする。考えただけで泣きだしたくなるなんて、認めはしないけれども。
あぁもう、考えるなと、自分に言い聞かせ、実弥は肩をいからせて歩いた。胸に満ちる苛立ちや、認めたくない切なさは、暴れることで晴らしてやろう。八つ当たりは承知の上だ。大義名分を振りかざそうと、暴力沙汰には違いないことぐらい自覚している。
実弥に対して怯えた様子を一切見せない冨岡だって、実際に拳をふるっている姿を見てしまえば、怯えた視線を向けるに違いない。あの澄んだ瑠璃色の瞳に嫌悪や怯えを宿して、実弥を見るのだ。わかりきっているから、もう考えない。守ってやるなんて、言えるわけもない。あの子を守る男はここにいるんだから。
「不死川……弟たちが心配なら、ここは俺と宇髄だけでどうにかする。冨岡たちのもとに戻ってくれ」
「あぁん? おい、俺がビビってるとでも思ってんのかァ?」
「そうじゃない。だが、君は部外者だろう? 冨岡の友人である俺たちならばともかく、君は弟たちを第一に守らねばならんだろう?」
「……馬鹿やらかしてんなぁ、うちの中学のやつらだろうがァ。関係ねぇわけじゃねぇ」
詭弁だと自分でも思うが、煉獄は素直に受け止めたようだ。そうかと明るくうなずく顔を見るに、もう止める気はないらしい。
「では、頼りにさせてもらおう! どうやら予想以上に数が多いようだからな。俺と宇髄だけでは少々手を焼きそうだ」
聞こえてくる喧騒に、実弥も顔を引きしめうなずき返した。どれだけ集まっているものか、ガラの悪いことこの上ない怒鳴り声に、知らず不敵な笑みが口元に浮かぶ。
「安心しなァ。テメェらの手助けなしでも、俺が蹴散らしてやらァ」
助っ人は実弥のほうだが、まぁいい。煉獄も気にした様子はなく、頼もしいなとカラリと笑っただけだった。
木立を抜けて開けた場所に出ると、すぐに目に入ったのは宇髄とやらの大柄な背中だった。蛍光イエローの服が目に痛い。どういうセンスだよと、場違いなあきれに実弥は我知らず肩をすくめた。
服装のセンスはともかくとして、宇髄もそれなりにヤルのは動きでわかる。手にした竹刀からも煉獄は剣道、宇髄はまた別の武術を身につけているんだろう。さりげない仕草にも隙がない。
周囲をざっと見渡せば、遊んでいた人たちはガラの悪い集団に怯えたか、退散したようだ。喧嘩が始まれば公園の管理人あたりがすっ飛んでくるかもしれないが、今のところは厄介ごとに首を突っ込もうという者はいないらしい。
「だから、この先は自主制作映画の撮影で立ち入り禁止だって。あんたらは人を探してんだろ? 俺らは関係ねぇよ」
「関係ねぇかどうかは、俺らが決めるって言ってんだろうがっ! いいからどけよ、この人数相手にやる気か?」
いかにもげんなりとした様子をみせる宇髄をせせら笑う男には、見覚えがあった。転校初日に絡んできた馬鹿の一人だ。タイマンすら張れないくせに、口先だけは大言壮語な輩は、実弥の唾棄するところである。
「見たとこ三十人ちょいってとこかァ」
「こんなくだらないことに、よくもまぁこれだけ集まったものだ」
言いながらパキリと指を鳴らして、実弥が宇髄の背後から姿をあらわせば、ズラリと並んだ有象無象に動揺の波が広がった。
「し、不死川っ!?」
作品名:ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目 作家名:オバ/OBA