ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目
大丈夫だと、声に出して言ってやることはできなかった。そんな余裕はもう義勇にはない。今の一言でさえ、かなり必死に絞りだしたのだ。けれど、それでも義勇は、蒼白な顔で振り返り見ている錆兎たちに、強くうなずいた。
二人が心配するのはよくわかる。本当に、あそこへ向かっても大丈夫なのか。あの場所に行っても、自分は平常心でいられるのか。義勇だって、自信なんてまったくない。不安ばかりが胸をよぎる。
でも、それしか炭治郎たちを守る手立てがないのなら、義勇に迷う余地などなかった。
義勇たちのやり取りで、宇髄と煉獄もなにがしか悟ったのだろう。義勇が示したほうへ進めば、昨日もさりげなく避けてくれた道だ。
姉と、義兄が、命を落とした場所。そして、その先に続くのは……義勇の、生家だ。
あの日以来、どうしても近づくことができなかった。苦しくて、つらくて、自分自身を切り刻んでしまいたいとすら思わせるその場所を、ただ目指す。
振り返った煉獄の目が案じている。走りながら宇髄と義勇を交互に見やるまなざしは、憂慮をにじませながらも強い。義勇はどうにかうなずいてみせた。宇髄はなにも言わない。煉獄も無言のまま、いいんだなと確認するように一度義勇を強く見つめると、うなずき返し右へと足を進めた。宇髄はやっぱり振り返らない。ただ、グンッとスピードをあげ、煉獄につづき右へと進んだ。
「おいっ、天元! 止まれ!」
「こっちは駄目っ!! 止まって!!」
「うるせぇぞっ! 冨岡が決めたんだろうがっ! 甘やかしてんじゃねぇ!!」
宇髄の怒鳴り声に錆兎と真菰が息を飲んだのが、手に取るようにわかる。苦しくてたまらないのに、やけに意識が研ぎ澄まされていくのを義勇は感じていた。
景色がゆっくりと流れて見える。腕のなかの炭治郎の温もりだけが明確だ。
繁華街に差し掛かった。周囲の店は飲み屋ばかりで、まだ明るい今は、人気《ひとけ》はほぼない。ツンと鼻を刺すアルコール臭を含んだ生ゴミの嫌な臭いが、通りには漂っている。鼻が利く炭治郎にはつらいだろう。ゴミを漁っていた野良猫が慌てて逃げていく。心のなかで小さくごめんと、義勇は詫びた。
背後で怒鳴り声と大人数の足音がする。だれかが道端のビールケースでも蹴飛ばしたのか、ガシャンとなにかが壊れる音もした。追手はどれぐらい近くまで迫ってきているのか。振り返る余裕はなくて、義勇は必死に駆ける。
このまま進めば、繁華街を抜けて……急カーブのある、あの道に出る。
ドクドクと、心臓が激しいビートを刻んでいる。必死に息を整えようとするけれど、うまくいかなかった。こめかみで脈打つ血流が、激しすぎる鼓動が、体中に響きわたって、うるさい。すくみそうになる足を、懸命に動かした。止まれない。止まるわけにはいかない。
止まらない。絶対に。なにがあっても。
炭治郎が。かけがえのない大切なこの子が、腕のなかにいるかぎり。
止まって、たまるか。
義勇の決意が伝わったんだろう。錆兎と真菰の視線は後ろを走る義勇に釘付けのまま、泣きだしそうに揺れていた。けれど、泣かない。きっとあの子たちは、泣かない。義勇を心配させる涙は、決して見せずにいてくれる。
苦しい息のなか、駆ける足を止めぬまま義勇は、小さな親友たちに向い震える唇で小さく笑ってみせた。
振り返った煉獄と目が合う。金と赤の目がかすかに細められ、パッと明るく笑んだと思ったら、煉獄は突然禰豆子を肩に担ぎあげた。
「うわぁっ! 肩車、高いっ!! 煉獄さん、すごいねっ!」
禰豆子の歓声に、煉獄の高らかな笑い声がつづく。
「しっかりつかまてろよっ、禰豆子!」
「うんっ!」
キャァッと楽しげに禰豆子が笑うと、一瞬泣き笑いの顔を義勇にむけた錆兎と真菰が、じっと宇髄を見上げた。
「おい、勘弁しろよ! 煉獄は禰豆子一人だけど、俺は二人も抱えてんだぞっ!」
「まだなんにも言ってないぞ。いくらデカくても独活の大木じゃしょうがないなんて思ってないから、気にするなよ、天元」
「そうそう。宇髄さんが私たちを担げなくても、幻滅したりしないから安心していいよぉ」
いかにもしょうがないと言わんばかりの錆兎たちに、宇髄が吼えた。
「……ダァ――ッ! くっそ! てめぇらっ、派手に飛ばすからな! 振り落とされんじゃねぇぞっ!!」
腕の力だけでくるりと錆兎を回転させて肩に担ぎあげたのにつづき、宇髄は真菰も肩に担ぎあげる。そのときばかりはスピードをゆるめたものの、宇髄の足も止まらない。とんでもない腕力だが、それに感心する様子は二人にはなかった。
「うぉっ、天元! 担ぎかたが雑すぎだろ! これじゃ前が見えないだろうが!」
「宇髄さんっ、私たちは米俵じゃないんだけどっ!?」
「うっせぇ! 文句言ってる暇があんなら、派手に冨岡にエールでも送っとけや!」
しっかりと顔を向きあわせる形になった義勇に向かい、錆兎と真菰はパチリとまばたきすると、そろって笑いながら手を振ってきた。
「義勇っ、頑張れ!」
「もうちょっとだよ!」
それぞれ手にした二人分の竹刀を振りまわすものだから、宇髄があぶねぇとわめいている。
あぁ、そうか。義勇はわずかに瞳を揺らせた。
気遣われている。事情を知らない禰豆子はともかく、煉獄も宇髄も、錆兎たちも、義勇が立ち止まらないよう笑ってくれているのだ。怖くないよと。一緒にいるから、と。
どうしてそんなにもやさしくしてくれるのか。わからない。自分の存在価値を自分自身認められない義勇には、わからなかった。けれど、うれしいと思う。エールに応えたいと、強く思う。そして。
義勇はちらりと炭治郎に視線を向けた。あんなふうに担いだほうがいいか? と言葉に出して聞かずとも、炭治郎は義勇の意思をくみ取ってくれたようだ。
「このままがいいです! このほうが義勇さんの顔が近くてうれしいから!」
腕のなかの炭治郎は、そう言って朗らかに笑う。心からうれしそうに、ちょっぴりはにかみながら。
この子が――炭治郎がいるから、大丈夫。あの場所もきっと怖くない。もしも心が迷子になって立ちすくんでも、炭治郎が心のなかの黒い靄に、明かりをともしてくれる。
だから、走れる。炭治郎がいるかぎり、義勇は、止まらずにいられる。
道の先に急カーブが見えた。道幅は狭い。車が通っていなくて幸いだ。
そこだけ新しいガードレールの内側に、しなびた花束が供えられているのが見えた。
グッと喉を万力で締めつけられたかのような感覚がして、義勇の呼吸が一瞬止まる。なにか黒くて大きな塊を喉の奥に詰めこまれているみたいで、息ができない。苦しい。痛い。嫌だ。嫌だ。嫌だっ! 足が、すくみそうになる。止まるわけにはいかないのに。
汗が染みて見づらい視界に映るのは、やけにはっきり見えるしなびて色あせた花束。それから、宇髄の大きな背と、両肩に担がれた錆兎と真菰。錆兎と真菰の顔も、苦しげだ。けれど、笑っている。義勇をじっとみつめたまま。
煉獄の肩に乗る禰豆子がときおり振り返るのが見えた。離れすぎていないか確認してくれとでも言われているんだろう。引き離されてもおかしくないのに、煉獄との距離は先ほどから変わらずにいる。
作品名:ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目 作家名:オバ/OBA