天空天河 六
「だからお前は、寧国公府に単身で入り、謝玉を挑発したのか。謝玉を油断させるとは、こういう事だったのか。、、、、だが、ひとつ間違えば、、。」
「、、、そうですね。
靖王殿下に助けていただきました。
感謝を、、。」
そう言って、長蘇は靖王に拱手をした。
「、、、オイッ!、、、。」
「は?。」
靖王は苛つきながら長蘇の側へ行き、長蘇が拱手した腕を掴んだ。そして拱手を無理に解き、苦々しげに睨みつけた。
靖王は暫く長蘇を睨み。
だが『靖王が何に怒っているのか分からぬ』という表情の長蘇に、諦めたように、掴んだ長蘇の手を離した。
「、、、何故、、。」
「、、殿下?。」
「、、、何故、私を頼らぬ!。
何故、一人でやろうとするのだ!。」
「え?、、殿下には寧国公府に来ていただくように、確か、私はお願いをして、、、、。」
「そうでは無くて!。
何故、お前は一人で、、、、。」
靖王は、言いかけた言葉を飲んだ。
靖王は長蘇の瞳の中に、並々ならぬ覚悟と決意を見たのだ。
それは冷たく碧く、深い焔。
何にも変えられず、消すことの出来ない、碧い光を。
恨みや怒りでは無い、侵しがたい崇高な焔。
━━小殊ではなく、目の前の者は、別の者なのだ。
、、、そう思えば、、、良いのだ。
私は、小殊への心を殺し、、、。
、、、この者が、命を懸けて成そうとする事に、私の存在は要らぬのだな。━━
「、、、お前は、蘇哲、、、蘇哲なのだな。」
「は?。」
靖王が何かを悟った。それが何なのか、長蘇には分からなかった。
──景琰、、、一体、、何を、、?。──
何かを諦めたような、悲しげな靖王の表情に、長蘇の胸は締め付けられる。
「、、蘇哲、、、良く、、、分かった。
ただ、無理はしないで欲しい。」
「、、、、。」
「、、、、邪魔をした。
今日は、疲れただろう?。
ゆっくりと休むがいい。」
靖王はそう言うと立ち上がり、長蘇に背を向け、地下通路の入口へと、向かっていった。
「靖王殿下!。」
靖王の不可解な言い様に、長蘇は不安になり、つい靖王の名を叫んでしまった。
長蘇に呼び止められ、靖王は振り向く。
──しまった!、景琰を呼び止めて、何を話すと。
良いのだ、景琰は私の何かに呆れ、付き合いきれぬと踏んだのだ。
、、、、、、これは、私が望んでいた状態。
景琰を道連れにしない為に、私は策士を名乗っている。
これ以上無い関係になろうとしているのに、私は何を惜しんで、感傷的になっているのだ、、。──
長蘇は何も言えずに、押し黙る。
長蘇が、ゆっくりと立ち上がる。
靖王は、長蘇が立つのを助けはしなかったが、立ち上がるまでずっと見ていた。
立ち上がって、靖王を見た時、長蘇を見守る優しげな瞳に包まる。
長蘇の心は、優しい靖王の温もりに、狂おしく抵抗をするが、、、、それも虚しく、危うく泣いてしまいそうになる。
長蘇は靖王から、目を逸らした。
視線さえ向けぬ長蘇に、諦めたのか、失望したのか、、、靖王は、悲しげに微笑みながら、ゆっくりと、また密道の方に、進む。
「、、景!、、待っ!!、、、。」
長蘇は急いで追いかけるが、靖王はそのまま止まること無く歩いた。
「、、待っ、、、ぁぁ、、。」
長蘇は、靖王が密道の扉の中に消える、既(すんで)の所で、靖王の外套を掴んだが、扉はそのまま閉じられて、外套が扉に挟まれてしまった。
外套は暫くそのままで、扉が開くことはなく。
そして次に、長蘇の手には、外套の重みが伝わった。
外套が、靖王の体から外されたのだ。
靖王はそのまま、離れていってしまったのだろう。
「、、景、、、。」
長蘇の胸には、後悔の念が、じわじわと広がっていった。
「、、ぅ、、ぅぅ、、、。」
信念があって、靖王にこんな態度を取ったのだが、今、長蘇の仮面は脆くも崩れて、そしてどちらも取り返せない。
長蘇は外套を顔に当て、声を押し殺すように泣いた。
──景琰、、景琰、、景琰、、、、。
景琰を、酷く、、、怒らせた。
これ程、靖王は手を差し伸べていたのに、振り切らざる得なかった。
、、、だが、、これで良かった、良かったのだ。
それは全て、景琰の為だった筈なのに。
それがこんなに、、こんなに、、苦しいとは。──
優しく笑む靖王の口元に、瞳は全てを諦めたような悲しみを湛え。
長蘇の脳裏から、切なげな靖王の表情は、いつまでも消えない。
靖王は長蘇の全てを許し、責めたりなぞはせぬだろう。
靖王は、ただ諦めて、ただ見守るのだ。
「、、景琰、、、ぁぁ、。」
靖王のその気持ちが、痛い程分かる。
──辛いのは私だけでは無い。
景琰を酷く悲しませた。
私に頼られず、拒絶される景琰の心は、、、。
景琰、何故、私が林殊だと、気付いてしまったのだ。
お前が知らなければ、、こんなに苦しくは、、、。──
それは靖王と林殊の心が、近過ぎるせいなのだ。
二つで一つのような。
互いの心が分からぬ方が、不自然なのだから。
それは長蘇にも分かっている。
靖王を欺くなど、無理な事だったのだ。
涙と、靖王を傷付けた後悔は、止めどなく溢れる。
すーっと、長蘇の頬に、風が過ぎる。
目を開けば、目の前の扉は開き、そこには靖王の姿が。
「景琰!。」
長蘇は靖王を抱きしめた。
長蘇には、もう我慢などできるわけが無い。
「馬鹿な小殊め。
私がお前を放っておける筈が、、。
私はお前と一つなのに、何故、私を締め出すのだ。
私はずっと、お前と共にある。」
そう言って、靖王もまた、長蘇を抱き締めた。
逞しい靖王の腕に包まれる喜びが、長蘇の眼から零れ落ちる。
──目の前の景琰を拒むなど、私には無理だ。
何が起ころうとも、後悔などしない。──
「泣くな、小殊。
私がいるのだ。」
頬の涙を指で拭く靖王に、微笑みを返す長蘇。
子供の頃のように、二人はコツンと額を合わせ、笑った。
──景琰と共に、進む道を選ぶ。
祖国を荒廃させてなるものか。
私は最善を尽くす。
景琰が傍にいれば、何も怖くは無い。──
長蘇はそう思った。
───── 十二 に 続く ─────