君が幸せであるように
「わあ、主! びっくりしたなあ。声も掛けてくれないなんてひどいよ」
通信機の前でしゃがんだ清麿がとびきりの笑みで振り返る。僕の顔が水心子に見えているわけもないのに。
「驚いたのはこっちだ。清麿、どうしてここにいる?」
「どうしてって、僕には用事があるからだよ」
「……ここは巴形薙刀が暗号管理している。関係者以外出入り禁止だ」
「それもひどいよ。せめて水心子の作ったデータにくらい会わせて」
「例え部屋に入れてもあのデータは有害隔離でアクセスできないよ」
「じゃあ主にもここに来る理由はないよね」
自他の境界線が甘くなっているかような言動。僕には理由があるに決まっている。
「清麿が入っていくのが見えたから追いかけたんだ」
「主に気を使ってもらえるのはうれしいけれど、だめだよ。生体鍵を持ってる人間がのこのこ来ちゃ」
立ち上がると目も止まらぬ速さで入力端末が操作される。突き飛ばそうとして跳ね飛ばされた。なおもしがみつく。僕が失う訳にはいかない当の清麿の手は止まらない。
「出陣システムをハックまでして単騎で出陣したいのか?」
「それで解決できる問題は一つあるね」
視線はせわしなく動きつつ僕を見もしない。
「どうしてメンタルケアを受けないんだ。あの加工されていたデータに一番長く触れていたのは清麿だ」
「改ざんデータと僕の状態には関係がないよ。受診しなかったのは、そうだね、たぶん検索プロコトルを間違ったのかな。気持ちにはなんの変化もなかった。主は親友と憧れの人を一度になくしたことがあるかい? 僕は涙も出なくて人でなしなんだなあと思ったよ。清音の朧を消したときと同じかなって。水心子の消滅で課題が見つかって研究意欲さえ湧いた。でも気づいたら思考領域にぽっかり穴が空いていたんだ。埋めるものも思い当たらないし必要がないよ」
僕の力ではあっさりと振りほどかれてしまう。隔離処分が降りる直前まで水心子が部屋に残した論文を整理していた清麿に、不調がはっきりと目に見えはじめたのはここ数日だ。笑顔を貼り付けたまま日がなぼんやりしているし、月が出れば必ず眺めている。かと思えば数日前に単騎での出陣を申し出た。自分と仲間に説明できる出陣許可理由がなかった。
「メンタルケアの中身を知っててそれを言ってるんだよな。清めるものであって穴を埋めるものじゃない」
「もちろん知ってるよ。正直嫌悪感のほうが先に立つけれど、受ける気がまったくなかったわけじゃなくて、平気だと思っていただけなんだ。穢を移せる大きさの器がないことがわからなかったんだよ。あとは僕が刀剣男士の本能を手放せないなら明日から敵同士だね」
不穏な内容とは裏腹に、清麿の口からはおだやかに歌うようになめらかに、言葉が紡がれていく。
「探せば器が見つかるはずだ。僕が手間を惜しむと思ったのか?」
「今更もう遅いよ。僕にあふれる穢は恨みじゃなかった。穢が溜まるスピードが、たとえば恨みが芽吹いて育つような速さじゃない」
「どういうことだ」
「僕の感覚認識ゲートが未成熟だったんだ。無意識に補っていた水心子のゲートのトレースを使わないと通常稼働しないみたい。僕は水心子正秀の利害に関与しない使命感を持った。もう更新できないゲートが未処理データで溢れて耐久値を超えれば、正史を認識できなくなる。僕は僕でありながら刀剣男士の枠から外れる」
「そんなわけ」
「水心子はすごいやつなんだよ。僕は水心子の背中を押す役兼リミッター。それだけの存在になってしまったのは予定外だったのかもしれないね。この本丸で主たる逸話を水心子としか作れなかった僕の落ち度だ。しばらく稼働できていたのはデータへの執着のおかげかな」
「思い違いだろ? 前例がない」
「水心子がなくなってから始めた研究を進めると、崩壊が進んでいくんだ。参照したら、出陣しているときやデータを扱っているときは変わらない記録になってるのがわかる。……そんなにケアを受けさせたければ機械的にバイタルデータを監視すればよかったじゃない。僕のサーチよりもリアルタイムで正確だ」
事実なら間違いなく僕の采配ミスだ。作業の衣擦れが止んで清麿が振り返る。
「鍛錬所や合戦場で顕現した、審神者が不要とした刀剣男士に穢を移して必要な男士を浄化して、不要な男士が時間遡行軍に墜ちそうになったら刀解して次の素材にしてはい、おしまい。そうして墜ちるのを先延ばしをしているのが通常のメンタルケアだ。僕のケースに対応できて不具合を移せたとしても……僕の親友を、僕の憧れの人を認識するプロトコルを、この研究を他の誰かなんかにくれてやるわけにはいかない」
敵に向けられた時には頼もしい眼光が鋭く空間に瞬いた。
「研究ってなんだよ。生きることより大事なものなのか」
「分からず屋さんだね。君は僕の形を変えてでも自分の武器であれと言うのかい? 水心子にべったりだった僕が、個別で初めて手にした逸話を手放すことになるね。残ったものは源清麿という素材で構成されている個体ではあるかもしれないけれど、大酒飲みでとても凶暴かもしれないよ。僕の中から水心子が消されるなら、少なくとも今ここにいる僕ではない」
「そうと決まったわけではないだろう。ただの仮説だ。……そんなシステムで清麿がいなくなるなんて納得できない。正式に政府に報告して検査を受けてくれ」
「そんな暇はないと言っている。政府には欠陥品を処分できるいいきっかけになるかもしれないね」
赤い視線がさまよったあと、かくりと首が動いて下を向く。
「どうして僕たちは親友なんだよ……わかってた。大慶が顕現するまでの間に合わせだって。だったら、顕現してから急に出現した気持ちなんて、親友がなくなったら元通りの刀工になっているはずじゃないか。みなもときよまろには親友しかなかった。ケアっていうのなら、親友の代償に虎徹を返してよ。水心子が呼んで、助けてくれた正行にしてくれ。それなら縁が繋がる。僕の意識は連続するはずだ」
それは審神者にはできない。顕現させた政府にも無理だ。
「僕の、僕じゃないことになった虎徹を奪っておいて、空いた穴に嫌味みたいに親友じゃないはずの僕の憧れの人をあてがっておいてさ、ぞんざいに扱っても作ったおもちゃが憧れの人を全く否定できないのを陰であざ笑ってたんだろ。虎徹が水心子に遠く及ばないことを思い知らせたかったんだよね」
「清麿は水心子と並ぶ名工だ。君が水心子の親友として顕現したのは実力を持っていたからだろ。創造者なんていない。そこには意思なんてない!」
「では僕は誰にデザインされてこの身を得たのかな。君が思い描いていた四谷正宗はこんな姿だったかい? 僕はね、水心子を応援できて楽しかったよ、幸せだった。君の言う創造主は思惑通りになって満足だったかなあ。仕上げに顕現させた本物に僕の実力では憧れの人を守れないことを見せつけるんだろ。システムでは実物に勝てない。親友を守れなかった僕には大慶に合わせる顔なんてないのを知ってるくせに」
「ずいぶんと肥大した妄想だな。僕はそんなつもりで鍛刀してるんじゃない」
勢いに押されて声が消えかけそうなのが自分でもわかる。
作品名:君が幸せであるように 作家名:さかな