願うことはひとつ
雲雀よりも早く起きるには、これぐらいに起きなければならなかった。目覚まし無しで起きられた自分を誇らしく思う。
階下に下りる前に、雲雀の部屋に立ち寄った。音を立てないよう気を配りながら、そーっと扉を開けると、薄暗い部屋の窓のちょうど前にベッド。カーテンからわずかに零れるぼんやりとした光を受けて、雲雀はまだ心地よさそうに眠っていた。
それを確認してツナは誰にともなく頷く。再度音をたてないように扉を閉めてから、足早にキッチンに向かった。
「フライパンと卵と、」
ツナは昨日を思い出しながらキッチンをあさる。雲雀が使っていたものをとりあえず全て並べて、それから卵を手に取った。まずは割るのだ。
砂糖をいっぱいいれたほうがおいしくなりそうな気がして、たっぷりと入れる。
「簡単簡単」
歌うように声を弾ませた。淫魔が料理をするなんてきっと前例はない。
びっくりするだろうか、喜んでくれるだろうか。思い浮かべながら順調に進めていった。
最後はくるくる。
雲雀がやっていたように手を動かすけれど、昨夜のようにはいかない。フライパンにこびりついてしまって、なかなか巻かれてくれなかった。
焦る気持ちを抑えてなんとかひとところにまとめる。型崩れしてしまい、巻いた、というよりはまとめただけになってしまった。
平らな皿の上に乗せ、一口サイズに切り分けてみた。断面図は悲惨なことになっているが、真上から見るとなかなかに卵焼きらしく見え、ツナは満足したように「完成!」と声を弾ませる。
時計を見るとまだ5時半。いつも雲雀は6時頃起きているらしいから、まだ時間があった。ツナはしばらく考え、ぽんっと手を叩く。
使ったものはちゃんと片付けること、これは淫魔にも人間にも共通の概念だ。
使ったフライパンは洗って片付けなければならない。確かスポンジに洗剤をつけて洗えばよかったはずだと思い、ツナは頷く。ツナはコンロにあったフライパンを流しに移し、スポンジを手に取った。
そうして、まだ熱を持ったままのフライパンにそのまま触れて。
「つっ!」
指先が触れた途端に鋭い痛みが走って、ツナは反射的に手を引っ込めた。
まだ心臓がばくばくいっている。赤くなってしまった指先は、じんじんじんじん痛む。ツナは途方にくれた。おろおろとあたりを見回すがどうすればいいのか分からない。
怪我をしてしまったのだろうか。でも血は出ていない。この種の痛みは初めて感じるものだった。
「……綱吉?どうしたの、こんな早くに」
「ヒバリさんヒバリさん!痛い!」
物音に目が覚めてしまったのか、いつもより早く起きてきた雲雀にはっとして、体当たりをするようにツナは駆け寄った。
雲雀は寝ぼけたままの頭で、涙目のツナの指先を見、それから流しに目を移す。そうすることでなんとか状況を把握できた。
「馬鹿、早く水に……!」
手首を掴まれて、蛇口の下に持っていかれた。
勢い良く出てきた水に冷やされて、指先のじんとした痛みが徐々に和らいでいった。ツナはほうっと息をつく。
ひとしきり冷やしたら、痛みはほとんど残らなかった。最初、フライパンに触れた時の熱さにびっくりして気が動転していただけで、よく考えたらそれほどひどい痛みではなかったのだと気づく。
「平気?」
「はい。もう大丈夫です」
「全く、本当に君は目が離せないね。どうしてフライパンなんか使ったの」
言いながら、雲雀はテーブルに置かれた皿に気づいた。不恰好な卵焼きなのか、スクランブルエッグなのかは分からないが、皿の上に並べられている。
「ヒバリさんに食べてもらおうと思って、作ったんです」
「……どうして僕に?」
「いつもお世話になってるから、お礼がしたかったんです。それにいつまでも迷惑ばかりかけてちゃ、申し訳ないですし。自分でもいろいろできるようにならなきゃって……」
「できるようになって、それで?ここを出て、独り立ちでもするの?」
雲雀の言葉にツナはばっと顔を上げた。不安気な瞳に雲雀は続ける。
「いいんだよ、無理しなくて」
「ヒバリさん……」
「僕がちゃんと、君の面倒みてあげるんだから。君は余計なことに気を回さなくていい。 ……君はずっと、ここにいればいいんだよ」
「ほんとですか?」
うん、と頷いてくれた雲雀に、胸がいっぱいになる。それはとても、とても贅沢なことに思えた。
「あれ、僕のために作ってくれたんでしょ?もらうよ」
おいしい、と言いながら食べてくれる雲雀に、ツナは胸がしめつけられるような思いがした。