メッセージ・オブ・ザ・クレイドル
それを認めると、彼は気付けばリアルドに乗り込んでいた。「何故」という明確な理由はない。自分でも何をしたいのか判然としない。「そう」しようと思ってしたのではないのだから、当然とも言えた。
兎にも角にも、グラハムの身体はスレーチャー機のコクピットシートに収まったのである。OSを起動していない今は、アラートディスプレイもモニター映像も無い仄暗い空間が、エレメンタリースクールの課外授業で一度だけ連れられて行ったプラネタリウムと重なる。もしかしたら、母の胎というのも或いはこういったところだったのかもしれない。孤児であるグラハムにそれを知る術は無いのだが。
(静かだ……)
「モビルスーツに搭乗する」といえばそれは即ち「戦闘に出る」ことと同義で、だからこそグラハム等パイロットは日頃、機体の中でゆっくりと過ごすことなど無い。哨戒任務や護衛任務での航行中は、火器類やセンサー反応の騒音こそしないものの、気の抜けない環境に置かれているのだから、10年も昔のプラネタリウムのことなど考えるゆとりはやはり無い。
だが、こうしてただ座しているだけならば宿舎のベッドより余程居心地が良いものだ、などとグラハムは例によってMSの中で過ごす自分を想像した。
人型兵器に安心を求める自分の異常性を半ば自覚しながらも、その妄想に一匙分の違和感さえ抱けないのは、人間社会の不自由に縛られすぎたグラハムにとって、同僚からの嫉妬や悪意に絶えず晒される訓練基地よりも、何も言わずただこの身体を受け止めてくれるモビルスーツの中の方が、余程“居場所”と呼べる空間だったからだ。
(__あれはっ? )
不意に、何かが目の端でちらついた。誘導灯の光かと一瞬慌てたが、此処は格納デッキの中だ。しかも機体は起動していないのだから全天モニターも点くはずはないのだ。
「そんなことは……だが、あれは星の光だ……」
そう。何とも面妖なことに、目の前に光って見えるのは星明かりだった。意識すればするほどその光景はくっきりと輪郭を帯びていき、今では幾つもの大きな星がそれぞれ違った色彩、異なる明度で輝き、グラハムの視界を照らしている。遠くにある赤みの橙は少し小さく、その隣の星はほんの少し大きく青白い……といったように。
中でも一際目を引くのは、目の前で青く光る惑星だ。空色よりもう少し濃度の高い青色を、雲が覆って白っぽく見せている。雄大でありながら優しく、懐かしさを感じさせながら悠然と輝く星。
「地球……だというのか!? あれが? 」
あまりにもおかしなことだった。先にも述べた通り、このリアルドは起動していない。よって、全天モニターは映し出されない。仮にカメラ映像がディスプレイされたとしても、そこに広がるのは格納庫の無骨なフレームワークと、共に出撃を待つ同機たちくらいだろう。宇宙船の内部ならともかく、地球の中の一つの国の、更に一つの都市の小さな基地に居ながらにしてこのような幻覚を見るなどと、有り得るわけがない。
そもそも物を見るということは、目に映った光景を脳が信号として受け取り、それを元に構成した像を出力することではじめて完成する行為だ。
それが、今のグラハムは確実に、「脳で直接映像を見て」いるのだった。広大な宇宙の光景は、彼の頭に直に流れ込んでくるのだ。自分に脳波を操る能力があるとは到底考えられず、リアルドという機体にも当然そのような芸当は出来ないはずだ。
(……もしやこれも改良点か……? )
人革連では少し以前から、人体とモビルスーツのリンクを図る目的で脳波コントロールのテストが行われていると聞く。そのためにより強い脳波を操れるよう、人の脳を操作する違法実験まで行われているのだとか……。
(だが、ユニオンのMSにそのような仕掛けが施されているとは聞いていないぞ……そも、例えシステムを一新したとて、これほどの技術を今の科学力で再現できるとは思えない……)
あれこれと思考している内に、星々は彼の視界からふっと姿を消してしまう。後に残されたのは、先刻までの静寂と心地よい暗闇だった。
(何だったのだ、あれは……稀に、空と一体化するビジョンを視るパイロットも居ると聞くが、あれがそうだったのだろうか……? )
仮にそうだとして、出撃中ならいざ知らず、他人の機体にぼんやりと座っているだけで不可思議なビジョンを受け取るとは、何とも間の抜けた話だが。
「そうか、心得たぞ……少佐のコクピットは、小さな宇宙なのだ……ここが、宇宙そのものだ……」
意図せず、そんな言葉が口から零れ出た。自分が無意識の内に吐いた言葉を耳で受け止めて、ああ、そうなのかと他人事のように納得する。そうした体験も、グラハムには初めてのことだった。言語とは情念が思考となり、その思考が認識された結果出力されるものだと信じて生きてきた彼にとっては、未知の経験だ。
すると今度は、猛烈な睡魔がグラハムを襲う。ふうっと意識が遠のいていく感覚が何処か気持ち良い。脳の芯がぼうっと蕩けていくような強い眠気を覚えるのは、入隊直後__訓練の度にどっと疲れを覚え、硬くギシギシと唸るベッドに倒れ込むように横たわっていたあの頃__以来かもしれない。真逆こんな場所でこのまま眠るつもりか、と自分を一喝するも、もう一秒だって目を開けていられそうにない。抵抗虚しく、結局彼は思考の束を手放した。
ビーッ、ビーッ、ビーッ。
けたたましく鳴り響くアラート音で、深く沈んでいたグラハムの意識は急速に浮上した。
『……にて交戦状態に突入。パイロットは各員搭乗機にて待機せよ。繰り返す、……にて交戦状態に突入……』
アナウンスを聞き終わらない内に、デッキに近づいてくる早い足音に気づいた。これが彼の搭乗機である以上、考えるまでもなく足音の主はスレッグ・スレーチャーその人だろう。
(……まずい!)
早くコクピットを出なければ、然し今降りたところで鉢合わせは避けられない、と思考ばかりが空回りする。バケットを引き出させて、(とても珍しいことに)足をもつれさせかけながら何とか機体の外に出ると、折り悪くリアルドに搭乗しようと歩み出たスレーチャーとバッティングしてしまった。
驚いた拍子に(これもまた、とても珍しいことに)身体のバランスを崩し、避ける間もなく相手の胸元にぽす、と身を凭せかける格好になった。思わず「あ」と短い悲鳴が漏れる。
何から謝るべきか、コンマ数秒の間にあれこれと言葉を探していると、意外なことに相手はフン、と短く鼻を鳴らしただけだった。
「何をぼさっとしてる。さっさとスーツに着替えて自分の機体に乗れ。それとも基礎トレ100回ずつ増やされてぇか? 」
どうやらお咎めはないらしいと分かり、グラハムは一応安堵したものの、釈然としない気持ちにもなった。どうにか「はッ」と敬礼し、急いで出撃の支度をする。動揺がミスに繋がらなければいいが、そうなれば昇進どころか始末書とお説教の嵐だ、などと当面の懸案事項を思い浮かべながら。
作品名:メッセージ・オブ・ザ・クレイドル 作家名:月辺流琉