Sugar Addiction
「桜河」
名前を呼べば、縁側の近くで立ったまま図鑑を眺めていたこはくが、顔を上げる。
「坊……やのうて、朱桜の兄はん。どこ行ってはったん」
「心配をかけてしまいましたので、その、一緒にお茶でも、と……」
お盆を置いてその傍に座れば、こはくの目がきらきらと輝く。
「それ、何なん?」
「水まんじゅうです。葛粉と蕨粉を混ぜた生地で、餡を包んであるものですよ」
ふふん、と得意げに説明してみたけれど、司が貰った時に聞いた言葉そのままだった。つまり、司自身も今から初めて口にするのだ。
そんなことはつゆ知らないこはくは、感心したようにへぇ、と口を開きながらも、期待に満ちた瞳でそれを見つめている。けれどもそれとは相反して、その場から動こうとはしない。そんなこはくに、司は優しく声を掛けた。
「桜河、隣に座ってください。僕からのお願いです」
ね? と首を傾ければ、こはくは困ったように頬を掻く。
「わしは屋敷には上がったらあかんち言われとるんよ」
「知っていますよ。縁側に座るだけです」
出会ってからこの一年で、何度も拒まれたから。でも、だからこそ、諦めたくない。家族で、友達で、大切な人だから。立ち上がって手を引けば、こはくは深い溜息を吐いた。
「知らんで、怒られても」
腰を下ろしたこはくに満足した司は、水まんじゅうの乗った皿を手渡す。二つ貰ったうちの一つをまるまる渡すのは、司にとってそれだけ特別な相手だという証だった。
「いただきます」
司が手を合わせれば、隣のこはくもそれに倣う。竹の和菓子切で四等分にしたそれを、ひとつ口に含んだ。
「はぁ……美味しいですね」
初めて食べるその食感に感激してしまうけれど、そんなことを表に出せば知ったかぶりをしていたのがこはくにばれてしまう。僕は桜河よりお兄さんだから、教える立場でないといけません。
「ん……ぷるぷるしてて、美味いわぁ」
そんな司に気づきもしないこはくは、ほっぺたが落っこちてしまいそうや、頬に手を添えている。
ぷるんとした生地に包まれた滑らかなこしあん。冷たいお茶でのどを潤しながら一切れずつ口に含めば、溶けるように消えていく。
「美味しいなぁ、兄はん」
分けてくれてありがとうな、と仄かに頬を染めるこはくに、心臓が早鐘を打つ。
「どういたしまして」
その笑顔を目に焼き付けたいのに、真っ直ぐに見つめることが出来なくて。ふふっと笑ったこはくが、何に対して、どんな顔をして笑っていたのか確かめる術はなかった。
「そういや、さっきの花見つけてん」
漸く縁側に座るのにも慣れてきたらしいこはくが、司の植物図鑑を広げてページをぱらぱらと捲っていく。どうやら司がお菓子を準備している間、こはくはそれを見ていたらしい。
「あ、ほらほら! これ」
桜色の爪が指す先に、確かに探していた白い花がある。
「くちなし、と言うのですね」
横に添えられた説明に書かれた開花時期や特徴から見ても、庭に咲いた花と矛盾はない。
「折角綺麗やのに、縁起悪い花やなぁ」
残念そうに唇を突き出すこはくに、司は首を傾げる。
「言いたいことも言えんと庭の隅でじっとしてる花、っちことやろ? ほら、『死人に口なし』って言うやん?」
ぷらり、ぷらりと持て余した足を揺らしながら庭の端を見つめるこはくは、寂しそうな顔をしている。
「違いますよ、桜河」
ぎゅっと握られていた拳を両手で包み、ゆっくりと語りかける。
「ほら、ちゃんと見てください。くちなしの花言葉」
「……花言葉?」
首を傾げるこはくに、花にはそれぞれ言葉が与えられているのだと教える。
「くちなしは……【とても幸せです】」
小さく添えられた文字を二人でなぞれば、こはくの表情は和らいだ。
「きっと言う必要もないくらい、幸せなのでしょう」
「そうやとええなぁ……あっ」
そうや、と突然立ち上がったこはくをぽかんと見ていると、にっと笑ったこはくが庭の隅に駆けていく。
くちなしの木の前にしゃがむと、堪忍な、と一言呟いてその花を手折る。
「桜河っ」
「堪忍やって、それに花も愛でられた方が嬉しいやろ」
な、と花に声を掛けながら、そっとこちらに戻ってきたこはくに瞬きで返す。
「はい、これ。朱桜の兄はんにあげるわ」
すっと髪の毛に挿され、甘い香りを纏う。やっぱりよう似合うなあ、と笑ったこはくに戸惑いを隠せないでいると、こはくは目を細めた。
「言う必要も無いくらい、幸せになれますように」
わしが隣で見守れるかは分からんけど。なんて小さく零したこはくの手を握り、今度は真っ直ぐ見つめ返す。
「出来ますよ、きっと。そしてあなたにも、幸せになってもらいます。私がその未来を、創りますから」
さよけ、と笑った桜河の目が、潤んでいたのは私だけの秘密です。
*
「わし、そないに恥ずかしいこと言うた?」
坊が記憶捻じ曲げとるだけやないん、なんて言うこはくの頬は赤く、きっとあの頃の記憶が甦ったに違いない。
私はベンチから立ち上がり、数歩歩いてしゃがみ込む。ぱきり、と手折った花はより一層甘く薫った気がした。
「はい、こはくん」
桜色を耳に掛け、そっと白を挿す。ああ、やっぱりよく似合う。
どうか言葉にする必要もないほど、幸せでありますようにと。そしてあわよくば、この匂いを見つけるたびに私のことを思い出しますようにと。心の中で小さく祈る。
「坊、」
「より綺麗な状態で愛でて貰った方が、花も嬉しいでしょう」
咎める様な視線に笑えば、大きな溜息で返された。
「さて、もう少し進めば和菓子屋さんがあるみたいですから、水まんじゅうでも食べませんか?」
スマホで開いた地図を見せれば、こはくは小さな呻き声を上げた。
「そないにゆっくりしててええん?」
行きたいけれども、と言わんばかりの表情を浮かべるその頬を撫で、穏やかに笑う。
「急ぐ旅ではないでしょう」
そっと手を引けば、あの時の様にゆっくりと握り返された。
3.gelato
こんにちは、と掛けられた大きな声に思わず肩が跳ねる。きょろきょろと辺りを見回していた視線をその声のする方へ向ければ、夏らしく真っ黒に日焼けした肌がそこにあった。
「こんにちは」
何でもないように挨拶を返す司に倣ってこはくも挨拶を返せば、深々と礼をしたユニフォーム姿の男の子は走り去っていく。
「青春、って感じがしますね」
そういって笑った司はどこか寂しそうな表情をしていた。
「あっついなぁ」
じんわりと浮かぶ汗を拭いながら歩いていると、遠くから声が聞こえる。フェンスの向こう、声のする方を見やればこの暑い日差しの中、どうやら野球をしているようだった。
「部活動……ですね、中学校でしょうか」
同じようにグラウンドを見つめていた司が、眩しそうに目を細める。
「ちょっと入ってみましょうか」
「え、ちょお……坊!」
開け放たれた門を抜け、事務室はこちらと書かれた看板通りに進んでいく。
「こんにちは。すみません、ここの卒業生なのですが、久しぶりに近くを通って……ええ、校舎を見ていってもいいですか?」
作品名:Sugar Addiction 作家名:志㮈。