ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。
「え、え、え、流しても流しても、終わんないんだけどっ」
「はっはっは!」
すっきりとした照りを肌の艶に反映させながら、十名の乃木坂女子が大浴場を出たのは、それから三十分が過ぎた頃であった。
ドライヤーで髪を乾かすメンバー。浴衣を着るメンバー。私服に戻るメンバー。
リクライニング・シートで寛ぎながら動画を観るメンバー。体重計で体重を量るメンバー。
クーラーは利いているが、タワー・ファンやサーキュレーターの前で汗を引かせるメンバー。
それぞれであるが、数十分が過ぎた頃、皆すっぴんのまま、一列に並んで冷蔵庫から取り出した各々の好むドリンクを、片手を腰において、見上げるように、反り返るように、ごくりごくりと飲んだ。
「もう大丈夫っしょ、ね」梅澤美波はにこっと笑った。「もういないよ」
「あー、なんかねぇ、男の人が向こうの休憩所にいる時、イーサンの通知があるんだって」
佐藤楓が言った。
「じゃあ今は誰もいないって事ぉ?」久保史緒里は宙を見上げる。「イーサン、男湯に誰かいるぅ?」
『お問い合わせについてですが、恐れ入りますが、所存の是か非はお答えできかねます、しかしながら、ロビーには、現在、異性の滞在はございません』
電脳執事のイーサンの声が応答した。実にしゃがれた老人男性の声であった。
「じゃあ、行こっか」梅澤美波は言う。
「どこ行ったんだろ……」岩本蓮加は不思議に思う。
「そんな簡単にあきらめる男だったっけ?」佐藤楓はにやけて言った。
「でもイーサンが言ったんだから、いないんでしょう? 嘘は付けないもんね」阪口珠美は呟いた。
「めっちゃ髪きしきしになったよーもーう」向井葉月は、与田祐希に笑みを浮かべる。
「面白かった」与田祐希は笑った。
「レイちゃん、この後、私の部屋に来ない?」筒井あやめは清宮レイに微笑む。
「あああ、行くう!」清宮レイは屈託なく微笑み返した。
「さくー、どっかでご飯食べよっか?」柴田柚菜はにっこりと遠藤さくらに言った。
「うん、食べよー。お腹へった」遠藤さくらは、はにかんで答えた。
一方――。男湯では……。
「があっはっは今からなあ、お兄さん、お兄さんなあ、ティンティンぶらぶらしながらなぁー、サウナに入っちゃうぞーー! ああーーそうだ、燃えるティンポコだなまさに! 聞こえてるかみんな、いつでもっ、いっつでぇもっ! こっち来ていいんだかんなっ! なんならよぉ、一緒にサウナっちまうか、てがあ~っはっはっはー!」
7
二千二十二年六月二十四日。与田祐希は昨日から連日で〈リリィ・アース〉に訪れていた。地下二十階の〈ハード・トレーニングジム〉が目的であった。
与田祐希は、ハードなトレーニングを積んだ後は、風呂に入り、昼食を済ませ、歯磨きをしてすっきりとした。その後、自室で睡眠休憩を設けてから、むくりと起きて、気の向くままに夕食を食べに地下八階の〈BARノギー〉へと向かった。
地下八階にエレベーターで到着すると、そのまま北側に二つ在る巨大な扉のうち、左側の扉を選び、奥の通路へと進んだ。
すぐに左手側に見えてきた〈BARノギー〉。自動ドアをスライドさせ、店内に入ると、見渡す風景の中に、数人の先客が窺えた。
先客は乃木坂46四期生の賀喜遥香と、佐藤璃果と、金川紗耶と、掛橋沙耶香と、北川悠理と、林瑠奈と、弓木奈於と、松尾美佑と、矢久保美緒と、黒見明香と、田村真佑であった。
更に奥のカウンター席には、乃木坂46二期生の鈴木絢音と、山崎怜奈と、一期生の秋元真夏と、樋口日奈と、和田まあやがいた。
乃木坂46ファン同盟のメンバーも、ちらほらと乃木坂のメンバーの傍に座っている。
「あ、与田さん。ご飯ですか?」
賀喜遥香が、近寄ってきた与田祐希に言った。
「はい。ご飯、です」
与田祐希は頷いた。そして四期生達に尋ねる。
「何時からおったと? みんなで来たの?」
「んと、バラバラです。私はさっき、来ました」
賀喜遥香が、背を反るようにして、背後の与田祐希に答えた。
四期生達は、二つのテーブルに分かれて座っていた。今、与田祐希がその真ん中にあたる通路に立っている。賀喜遥香は、与田祐希と同じ向きに座り、与田祐希の左手側のテーブルの、最も右側の席に座っていた。
「座って下さい」賀喜遥香は、見上げて言う。
「あー、いいの?」与田祐希は、少しだけ、躊躇する。「じゃ、座っちゃおっかな~……」
「やあ与田ちゃん、連日でリリィにいるとは、珍しいね」
向かいの席の稲見瓶が言った。
「連休なんで」与田祐希ははにかむ。
「与田ちゃんは、何を食べる?」
稲見瓶がきいた。稲見瓶はざるそばを食べているようであった。
「肉に、しようっかなー……」与田祐希は呟いた。
賀喜遥香が「はい、どうぞ」と、手際よくメニュー表を与田祐希に手渡した。
与田祐希はメニュー表を開く。
一方、もう一つのテーブルでは――。
「さぁちゃんのよぉ、なんつうの、真のさぁちゃんがなんっかまだわっかんねえのよ」磯野波平は牛丼をテーブルに置きながら言った。「謎だよな、さぁちゃん。そうじゃねえ?」
「うーん、確かに。神秘的ではあるな」風秋夕は、白湯スープを手に持つ。「意外とそのまんま、落ち着いた可愛い人なのかも知れないし」
「私って謎? なの?」掛橋沙耶香ははにかんだ。「それって褒められてる?」
「褒めてるでござる褒めてるでござる」姫野あたるは笑った。「女性であることは、さも神秘的なものでござろう」
「紗耶は~? どう? どんな感じ?」金川紗耶は男子達にきく。
「俺さ~、やんちゃんに超元気貰ってるんだ~」風秋夕は微笑んだ。「ありがとうね、やんちゃん。やんちゃんの元気いいのが、パワーとなってこっちにも伝わってくんだよね」
「えー、良かったー」金川紗耶は笑った。
「神秘といえば、瑠奈ちゃん殿こそ、神秘的でござる」姫野あたるは林瑠奈を一瞥して言った。
「えー、私ぃ?」林瑠奈は箸を止めて驚く。「どこがですか?」
「ファンキーと思えば、清楚。清楚と思えばファンキー、でござる」姫野あたるは、考えながら渋い表情で言った。「ブログの言葉遣いや、乃木メの言葉遣い。そのチョイスも様々で、内容も、はっちゃけたものから、深淵の深い深いものまでと、様々でござる……」
「瑠奈ちゃんはぁ、面白い人」北川悠理が言った。「え、だよねぇ?」
「うんあってるあってる」金川紗耶が言った。
「璃果ちゃんは俺と結婚しちゃうんだよな~?」磯野波平は強調的な笑顔で、突拍子もない事を言った。
「しなぁい」佐藤璃果は首を横に振った。
「何でだよぅ璃果ちゃんっ!」磯野波平は突然に大声を張り上げる。「こんなに好きなのによぉ、俺じゃダメだってか!」
「ダメ~」佐藤璃果は僅かに笑みを浮かべて呟いた。
「あのー、璃果まじめなんで、挑発しないであげてくれます?」掛橋沙耶香ははにかみながら、磯野波平に言った。「ほんっとに、真面目なんで」
「この男は、妖怪不真面目、でござるからなあ。非対称でござる」
姫野あたるはそう言った後で、磯野波平にげんこつをもらった。
作品名:ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。 作家名:タンポポ